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書画コース

2025年03月25日

【書画コース】松岡・渡邊の書画のよもやま話

みなさん、こんにちは。書画研究室の松岡です。
各地で梅も見頃となり、少し春めいてまいりましたが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。我が家の盆梅も満開で甘い香りを漂わせております。



先日3/15は通信教育課程の卒業式。卒展もじっくり拝見しました。

学ぶこと・創ること、これまで走り抜けた姿に感動しました。
そして卒業式後の分科会。祝賀会では、学友同士で制作の思い出、次のチャレンジなど語らい合うひととき。それぞれが抱えるストーリーがあり、そこから生み出すのは、大変なことばかり。
「先生の言葉が制作を支えてくれた。」
「書画文化の面白さ、自分にとって創ることの意味を気づかせてくれた。」
心から言葉を紡いで伝えてくださり、携われたことに胸が熱くなりました。
そして素敵な思い出と通信教育らしい各地のお品を贈ってくださりありがとうございました。

塩見先生が語られた

― 黎明 新しい事柄が始まろうとすること ―

新たなスタートに心からの拍手を贈ります。
これからも書画コースの面白さ・学びを伝え、沢山の出逢いを大切にしてください!



そんな中、実は業務担当の松岡と渡邊は久しぶりの再会で積もる話が…。
さて、今回は卒業式の裏側で行われていた、松岡・渡邊による「書画のよもやま話」をリポートいたします。

― 午前9時 芸大の進々堂でのモーニング松岡 おはようございます。今日は寒いね。渡邊先生、そのネクタイおしゃれですね。
渡邊 お久しぶりですね。これですか?実は手ぬぐいでして、以前、桐生先生からいただいたものなんです。もともと着物の生地だったそうです。松岡 いいね。手ぬぐいもおしゃれに使えるんだな。書画コースでの縁だからぴったりやな。
渡邊 そうですね。そう、塩見先生も素敵なストールを巻いていらっしゃった事があり、いいなぁと思っていたんです。松岡先生のネクタイ、どなたのデザインですか?
松岡 わからへん。でも、一目惚れして買ったんです。いつも安いのを買う。渡邊 そう、松岡先生はいつも何にお金つかいますか?
松岡 ほとんど画材かな。岩絵具に筆、紙、特に革と金箔は高い。お金ないし服とかも買わないから、画材に使う。
渡邊 僕は収集ですね。掛け軸、本、あとは旅費ですかね。
松岡 僕もこの前、日本画家 大野俊明さんの絵を買いました。好きな作家が同じ30代に描いた作品。その作家の転換期のもので、自分もこれからが勝負なので惹かれて。収集に使うよね。最近は何を買ったの?
渡邊 それはいいですね。僕は長尾雨山のものを。10点近く持っていて、今回のは少し変わった書風のもので、研究資料として運良く手に入れられました。
あとは、甲斐虎山の作品。石をよく描いた作家ですが、戦時中に戦意高揚の絵を描く人が多いなか、石を描いていた。ちょうどその時期に描いたものがあり、どうも内面を見つめていたらしく。それも運良く迎えられました。松岡さんも石を描かはりますよね。松岡 さすがの審美眼。僕はなかなか見つけられなくて。僕も甲斐虎山と似てるかも。
石を見つめていると、その生成されてきた時間の重積、風雨・圧力等の作用で生まれてくる造形。自然と存在について考える感覚ですね。今も石は集めてますね。
そうだ、渡邊さんにまた印をお願いしたい!AFK2024の豚革屏風の焼印のように作品のコンセプトを表現した印を創ってほしくて。渡邊 ぜひ、また彫りたいと思っていました。ああいうのを彫るのは楽しいですね。
松岡さんの作風は点の集積と抽象性の高い表現ですし、金文や甲骨文の書風をベースにしたものでもいいかもしれませんね。
松岡 いいね。水、雲、はじまりもおわりもない、それらを表すための印が欲しい。
豚革屏風で感じたけど、画中に「しるす」行為は、作家の存在ではなく主題を刻む行為に感じた。色々と新しいことしていきたいね。
あ、そろそろ時間ですね。会場に行きましょう。

― 祝賀会後は桐生先生のご自宅で夜な夜な観石会
桐生先生のご自宅には各所のから収集された形のいい石が飾られていました。我々ふたりは、ほろ酔いの心地よさを感じながら、観石を始めたのでした。松岡 これ、いい形の石だよね。エネルギー感じる。
渡邊 そうですね。どこで出会われたのか。水石文化もありますし、石の魅力はありますね。
松岡さんも石集めていらっしゃるですよね。どちらで?
松岡 僕は出先ですね。アンテナにビビッときたやつを拾いますね。あとはネットかな。太湖石や岩絵具の原石も集めてますね。それをモチーフに描いたりします。中国・日本の絵画の中に奇形の岩が描かれているけど、画の要素として存在している。でも自分は、愛でる距離の石そのものを自然の分身と捉えて描きたいなとおもったんですよね。渡邊 なるほど。鹿島灘が近いんですが、削られて穴の空いた石があるんです。結構気に入っていて、中国留学のときに故郷を思い出す、よすがとして持っていきましたね。向こうで仲良くなった方に贈ったりしました。中国では太湖石のように穴の空いた石を珍重しますので。あと部屋にいて山を見たくなったときに愛でたり。石は自分より古いものだから、時間の長さを感じたくなったとき。徳島で拾ったのは、足つぼを押すのにちょうどいい。
小学生のときは、開発されていった住宅地によく黒曜石が落ちてたんです。そんなの綺麗で、友達が持っていたのがすごい大きな塊でいいなと。でも、自分が見つけるから楽しいのであって、自分も欲しいなと思ってましたね。松岡さんは何が石の魅力ですか?
松岡 足つぼか。それ素敵やな。僕は、石は自然の分身って言ったように、無機物なんだけど、有機的であったり他のものと繋がっている。見えない作用、重力とか浸食とか、時間を刻み込んでる存在。それってすごい魅力的やなって。
渡邊 確かに、とんでもない地球の記録ですよね。
松岡 石は描かへんの?
渡邊 そうですね、描いてないです。ただ、朝話した甲斐虎山が石を見つめて描くことで内省していたように、もしかしたら私が煮えきらないとき、あるいは葛藤に苦しむようなときに石を描くことがヒントになるのではないかと思っています。
石を多く描かれてますが、どういう感覚ですか?
例えば、自分は人間で外から石を見つめているのか、人間という立場は、石とある種同種の立場である。自分と繋がるものとして描いてるのか。
松岡 うん。石はあくまで石なんだけど、先の分身の話をベースにしていて、鍾乳石を描いていたのもそれ。大地の内臓と言える鍾乳洞の造形は、人体における脊椎や他造形と共通するものが多い。石を見て海をみる、石を見て雲をみる、石を見て人をみる。違う次元でありながら共通性を見いだせる物体。これ写生と制作。渡邊 なるほど。それ、まさに詩ですね。人体であったら、あまり直視するとグロテスクさも見えて、美しいだけでは済まなくなりますが、石に置き換えることで鑑賞することができる。やはり、そういう抽出のあり方が、詩と同じなのかもしれませんね。

 二人のよもやま話は長々と続くのでした…。

みなさん、いかがだったでしょうか。普段垣間見ない我々の姿を感じていただけたのではないでしょうか。私も書画コースでの出逢いに感謝しています。みなさんも学友、教職員等学びの中での出逢いを大切にしてください。

書画コースブログでは、特別講義や課題、書画関連の記事をアップしております。ぜひ、コースの様子が感じられる記事をご一読くださいませ。
次回のブログもお楽しみに!

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