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2025年05月09日

【アートライティングコース】「いまどき外見なんて関係ない、というのはウソだ。それは自分自身と調和のとれた生活を可能にしてくれる」 カール・ラガーフェルト

みなさま、こんにちは。アートライティングコースの教員の上村です。立夏を迎えようとしている京都は、いたるところにみずみずしく青葉が繁っています。寒暖差の激しい春でしたが、自然は着々と季節の装いをあらためています。この春に入学されたかたも、引き続き在籍されているかたも、年度はじめの学習は無事にスタートされましたでしょうか? はじめが肝心、ということもありますが、通信教育課程の場合、なによりもそれまで身につけてきた習慣をこのタイミングでいかに方向転換するかということが大きな課題です(おそらく、ひとつひとつのレポート課題以上に)。

習慣の力は言うまでもありません。とりわけ大人にとって、日々の習慣はしっかりと根を下ろしていて、自分自身の根幹をなしていると言っても過言ではないでしょう。日々の生活の試行錯誤や悪戦苦闘のなかで築き上げてきた行動は、ルーティン化することで良くも悪くも安定します。朝起きてから就寝するまで、ああしよう、こうしよう、と考える必要もなく、ほぼ無意識のうちに習慣に身を任せておくことができます。またそうした自動化のおかげで、ちょっとした時間稼ぎができて、目先のことだけでなく将来のことを考える余地も生まれますが、逆にそのためにかえって不安や心配に気が塞がれてしまい、また気を紛らわすために小さなルーティン・ワークに没頭しがちなのも悲しい性です。ともあれ、家事や仕事のスケジュール、食事や休憩のとりかた、育児や介護の流れなど、おおよその時間の使い道があらかた決まっているのが社会人です。ごくまれに、半日ほどでも、ぽっかりと予定がない時が来ると、かえって戸惑うほどです。そうした、しっかりと決まり切った日常のなかに、これまでになかった新しい活動の時間を割り込ませるのは、なかなかに決断と努力を要します。
形から入る、という言葉があります。趣味や習い事など、何か新しいことに取りかかるときに、身なりや道具類をそれらしく揃えることから始める、という場合に使われます。これは時として、恰好ばかり整えて実行が進まないということを、ちょっと皮肉る(あるいは自虐する)言い方にもなりますが、あながち悪いことではないかもしれません。先に書いたとおり、身についた、身にこびりついた習慣の厚い衣を少しでも脱ぎ捨てようとするには、少しの頑張り、さらには勇気が必要です。慣れない行動をあえて行うのは面倒です。とりわけ、自分が身につけようとする新しい習慣がそれまでの自分を形成している諸々の活動とはまったく異なる新しい種類のものであればそうでしょう。それが果たして自分の身につくかどうかもわかりませんし、またしたがってその努力に対して何らかの効果(報酬)が得られることも見通せないからです。そんなときに、自分の行動そのものというより、その行動にかかわるような仕草、態勢、恰好を整えるというのは、意志鞏固ならぬ普通の人間にとっては手軽なきっかけです。衣装を身につけ、道具を手にし、活動の場に足を運ぶ、というのは、ちょっとした普段の行動を少しだけ変えれば可能ですし、そのことでずっしりした習慣の重い車輪を方向転換する手助けになるかもしれません。

冒頭に掲げたのはフェンディやシャネルなどのファッション・ブランドでデザイナーとして活躍したハンブルク出身のラガーフェルトの言葉です(Jean-Christophe Napias et al., Le monde selon Karl, Flammarion, 2013)。ラガーフェルトはここでファッションについて行われる紋切り型の外見批判に対して、面白い反論を行っています。服装や宝飾に身をやつすのは、一見すると人格とか才能といった人間の内的な「本質」とは違うところに腐心するくだらない仕業のように思えます。しかし、外見か内面かというような二項対立ではなく、むしろ外見を整えることが内面にとって如何に重要かということをラガーフェルトは語ります。実際、人間の本質があるとしたら、それはどこか天空に漂っているものではなく、身なりや身のこなしといった他者との関係のなかで表出されるところに現れます。自分のあるべき姿、ありたい形を表現することで、自分自身が何者になろうとしているのかもわかります。もちろん、外見だけ取り繕ってもそれが自分にそぐわない、ということもしばしばあるでしょう(関西弁でいうところの「やつし」というのもその一種でしょう)。しかし、先に書いた「形から入る」のと同じく、たとえ形や恰好ばかりになる恐れがあろうと、あるべき自分と現実の自分とのズレを調整して、自分自身のアイデンティティを作るのに外見を繕い、恰好をつけ、形から入ることは、(十分条件ではないにせよ)重要な手立てになるのではないでしょうか。

なかなか思うように学習の習慣が身につかないと心配されている方は、この春までとはちょっと違った自分になるため、形から入るというのはどうでしょう。ライティングの稽古に励むため、新しい日課を決めて、新しい図書館を訪ね、新しいペンを求めても良いでしょう。ときは5月、さわやかな季節です。軽い上着を身に纏い、良いもの、優れもの、変なものを探索しに旅に出るのも良いかもしれませんね。
どうぞ気分もあらたに、良い年度をスタートされますように

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