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2025年06月02日
【芸術学コース】作品を観察する―江戸時代の浮世絵・版本の場合
みなさん、こんにちは。芸術学コース教員の石上です。緑の青々とした香りを感じる季節になりました。今年は万博ということもあり、特に春季の関西では各館力の入った展覧会が目白押しです。京都国立博物館の「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」展、奈良国立博物館の「超国宝―祈りのかがやき―」展、大阪市立美術館の「日本国宝」展。連日多くの人でにぎわっています。
このような展覧会というのは、実物に対面してその魅力を正面から浴びることができる貴重な機会ですよね。単眼鏡を片手に、じっくりと作品をながめている人もしばしばみかけます。今回の展覧会に出ているような国宝、重要文化財レベルの作品は、次にいつ会えるかわかりません。一期一会と思えばこそ、作品の前から動けなくなる気持ちはよくわかります。
実物を見ること、しっかりと観察すること。これは芸術学コースの様々な授業でも教員が口を酸っぱくして伝えることです。レポートや卒業研究の講評で「作品を観察しましょう」「観察を踏まえて作品記述を行いましょう」と書かれた人は多いのではないでしょうか。また、テキスト科目「芸術論Ⅰ-3」「芸術論Ⅰ-4」やスクーリング科目「芸術学実践」という観察・記述の実践を行う授業もあります。
作品を観察することで何がわかるのか。その一例として、今回は私の経験をもとに江戸時代の浮世絵をとりあげてみたいと思います。(ちなみに浮世絵には肉筆、版画、版本があります)
数年前のこと、ある古書店の方からお声がけをいただきました。私の研究テーマの一つが江戸時代中期に京都で活躍した西川祐信(1671-1750)という浮世絵師なのですが、祐信の絵本が今度の古典籍の入札会にでるというのです。通常の古典籍入札会は業者のみで行われるオークションですが、なかには一般の来場者も下見ができる会があります。代表的なものが、東京古典会の「古典籍展観大入札会」や大阪古典会の「古典籍展観入札会」です。入札会の前には目録が発行され、それを見て購入を検討したり、下見会にいったりするんですね。

というわけで、祐信の絵本が出ていますよと連絡を受けた私は早速目録をみました。そこに載っていたのは『百人女郎品定(ひゃくにんじょろうしなさだめ)』という本でした。これは享保8年(1723)に京都の版元八文字屋から出版された墨摺大本二冊のもので、祐信の代表作の一つです。

となれば、自分の提示できる金額で落札することは難しい。でも下見に行くことはできます。『百人女郎品定』は印刷物である版本ですから、世界中の図書館・博物館に三十点以上現存しています。一つでも多くの原本を見ることは研究者にとって重要課題です。というわけで、いそいそと会場に足を運びました。
会場には業者の方や研究者、学生など様々な人でにぎわっています。早速古書店の人に案内してもらい、『百人女郎品定』のケースの前にたどりつきました。下見会では、スタッフに声をかければ実際に手にとって見ることも可能です。一丁、一丁(和書の場合、「ページ」ではなく「丁」とよびます)じっくりとみていきました。すると何丁か見ていく内に違和感を覚えました。これまで数々見てきた『百人女郎品定』と何かが違う…。
「私が知っている祐信ではない」
そういう時は、まず人物の顔を観察することにしています。そうすると、違和感の正体がはっきりしました。「目」が違ったのです。
ここで、二つの『百人女郎品定』を比べてみましょう。
※一つは実際に私が下見会で見た本ではなく、同じ特徴を持つ本を底本として覆刻したものを使用しています。

みなさん、AとBの違いはわかりましたか?
そしてどちらがお好みですか?
私が知っている祐信はAの方です。Bの美人たちは、「初めまして」という印象でした。
なぜこんなことが起きるのでしょうか。それを考えるためには、これが「版本」だということを理解しておく必要があります。先ほども述べましたが、版本は印刷された書物のことです。「板木」と呼ばれる木に文字や絵を彫り、それを摺ることで同じものを大量に出版することができます。そしてこの板木があれば、その後何度でも出版することができるのですが、その時に一部を彫変えて修正を加えることも可能です。あるいは、印刷された本を利用して一から板木を作り直すこともできるのです(これを「被せ彫」といいます)。
そこで思い出したのが『百人女郎品定』について書かれた論文でした。倉員正江さんという近世文学者が『百人女郎品定』の改刻について詳しく考察していたのです。どうやら『百人女郎品定』には京都で出版した初版本と、おそらく被せ彫をして江戸で出版した改刻本があるようでした。そして、下見会で見たのはその改刻本だったのです。
これは目録の写真では到底わからないことでした。実際に現物を見ること、そしてじっくりと観察することが作品研究の上でどれだけ重要か改めて実感した一日でした。
研究で行う作品記述の方法は、西洋・東洋・日本、それぞれの美術史でも異なりますし、日本美術史の中でも分野が違えば記述方法や観察のポイントも細かく異なります。今回取り上げたのはその中のほんの一例ですが、実際の授業ではそれぞれの方法を学ぶことができます。
より深く観察技術を学びたい方はぜひ受講していただきたいと思います。
『百人女郎品定』
Aは国立国会図書館本
Bは黒川真道(編)『日本風俗図絵』第3輯、日本風俗図絵刊行会、大正3、4年(1914、15)。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1266523。
【参考文献】
松平進『近世日本風俗絵本集成・百人女郎品定』解説、臨川書店、1979年。
倉員正江「出版規制と草紙類の刊行をめぐって –八文字屋刊『百人女郎品定』の場合–」『国文学研究』139号、2003年3月、pp.30-40。http://hdl.handle.net/2065/43844
芸術学コース|学科・コース紹介
このような展覧会というのは、実物に対面してその魅力を正面から浴びることができる貴重な機会ですよね。単眼鏡を片手に、じっくりと作品をながめている人もしばしばみかけます。今回の展覧会に出ているような国宝、重要文化財レベルの作品は、次にいつ会えるかわかりません。一期一会と思えばこそ、作品の前から動けなくなる気持ちはよくわかります。
実物を見ること、しっかりと観察すること。これは芸術学コースの様々な授業でも教員が口を酸っぱくして伝えることです。レポートや卒業研究の講評で「作品を観察しましょう」「観察を踏まえて作品記述を行いましょう」と書かれた人は多いのではないでしょうか。また、テキスト科目「芸術論Ⅰ-3」「芸術論Ⅰ-4」やスクーリング科目「芸術学実践」という観察・記述の実践を行う授業もあります。
作品を観察することで何がわかるのか。その一例として、今回は私の経験をもとに江戸時代の浮世絵をとりあげてみたいと思います。(ちなみに浮世絵には肉筆、版画、版本があります)
数年前のこと、ある古書店の方からお声がけをいただきました。私の研究テーマの一つが江戸時代中期に京都で活躍した西川祐信(1671-1750)という浮世絵師なのですが、祐信の絵本が今度の古典籍の入札会にでるというのです。通常の古典籍入札会は業者のみで行われるオークションですが、なかには一般の来場者も下見ができる会があります。代表的なものが、東京古典会の「古典籍展観大入札会」や大阪古典会の「古典籍展観入札会」です。入札会の前には目録が発行され、それを見て購入を検討したり、下見会にいったりするんですね。

直近の古典籍入札会(左が東京古典会、右が大阪古典会)
というわけで、祐信の絵本が出ていますよと連絡を受けた私は早速目録をみました。そこに載っていたのは『百人女郎品定(ひゃくにんじょろうしなさだめ)』という本でした。これは享保8年(1723)に京都の版元八文字屋から出版された墨摺大本二冊のもので、祐信の代表作の一つです。

西川祐信『百人女郎品定』享保8年(1773)国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2541151/1/4
となれば、自分の提示できる金額で落札することは難しい。でも下見に行くことはできます。『百人女郎品定』は印刷物である版本ですから、世界中の図書館・博物館に三十点以上現存しています。一つでも多くの原本を見ることは研究者にとって重要課題です。というわけで、いそいそと会場に足を運びました。
会場には業者の方や研究者、学生など様々な人でにぎわっています。早速古書店の人に案内してもらい、『百人女郎品定』のケースの前にたどりつきました。下見会では、スタッフに声をかければ実際に手にとって見ることも可能です。一丁、一丁(和書の場合、「ページ」ではなく「丁」とよびます)じっくりとみていきました。すると何丁か見ていく内に違和感を覚えました。これまで数々見てきた『百人女郎品定』と何かが違う…。
「私が知っている祐信ではない」
そういう時は、まず人物の顔を観察することにしています。そうすると、違和感の正体がはっきりしました。「目」が違ったのです。
ここで、二つの『百人女郎品定』を比べてみましょう。
※一つは実際に私が下見会で見た本ではなく、同じ特徴を持つ本を底本として覆刻したものを使用しています。

(左)A (右)B
みなさん、AとBの違いはわかりましたか?
そしてどちらがお好みですか?
私が知っている祐信はAの方です。Bの美人たちは、「初めまして」という印象でした。
なぜこんなことが起きるのでしょうか。それを考えるためには、これが「版本」だということを理解しておく必要があります。先ほども述べましたが、版本は印刷された書物のことです。「板木」と呼ばれる木に文字や絵を彫り、それを摺ることで同じものを大量に出版することができます。そしてこの板木があれば、その後何度でも出版することができるのですが、その時に一部を彫変えて修正を加えることも可能です。あるいは、印刷された本を利用して一から板木を作り直すこともできるのです(これを「被せ彫」といいます)。
そこで思い出したのが『百人女郎品定』について書かれた論文でした。倉員正江さんという近世文学者が『百人女郎品定』の改刻について詳しく考察していたのです。どうやら『百人女郎品定』には京都で出版した初版本と、おそらく被せ彫をして江戸で出版した改刻本があるようでした。そして、下見会で見たのはその改刻本だったのです。
これは目録の写真では到底わからないことでした。実際に現物を見ること、そしてじっくりと観察することが作品研究の上でどれだけ重要か改めて実感した一日でした。
研究で行う作品記述の方法は、西洋・東洋・日本、それぞれの美術史でも異なりますし、日本美術史の中でも分野が違えば記述方法や観察のポイントも細かく異なります。今回取り上げたのはその中のほんの一例ですが、実際の授業ではそれぞれの方法を学ぶことができます。
より深く観察技術を学びたい方はぜひ受講していただきたいと思います。
『百人女郎品定』
Aは国立国会図書館本
Bは黒川真道(編)『日本風俗図絵』第3輯、日本風俗図絵刊行会、大正3、4年(1914、15)。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1266523。
【参考文献】
松平進『近世日本風俗絵本集成・百人女郎品定』解説、臨川書店、1979年。
倉員正江「出版規制と草紙類の刊行をめぐって –八文字屋刊『百人女郎品定』の場合–」『国文学研究』139号、2003年3月、pp.30-40。http://hdl.handle.net/2065/43844
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