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アートライティングコース

2025年06月04日

【アートライティングコース】アートライティングと文芸のあわい

こんにちは。アートライティングコース非常勤講師の小柏裕俊です。今年度からアートライティングコースのブログを定期的に執筆します。
筆者は文芸コースにも長く関わっています。アートライティングコース歴よりも、文芸コース歴の方がはるかに長いです。そのためアートライティングコースに興味をお持ちの方が抱いているであろう「アートライティングって何だ?」という疑問は、筆者にも付いて離れません。とはいえ、文芸コースとアートライティングコースでレポートの採点や講評をするなかで、手探りでその相違を探ろうとしている、というか、手触りでその相違を体感的に認識しつつあるようにも思います。

今回のブログ記事では、文芸コースとアートライティングコースの線引きについて、とくに文芸とアートライティングのあわいにあるような文章ジャンルについて、筆者なりに考えていること、感じていることを記してみたいと思います。

文芸とアートライティングのあわいにある文章と述べましたが、まずは明らかに文芸コースの領域だよなと思われるジャンルを挙げましょう。小説、戯曲、シナリオといった、フィクションに属する文章ジャンルは、文芸コースの領域に属すると直感的に判断できます。「アートや文化についての文章」「アートのタネをめぐる文章」をアートライティングと定義するならば、現実にあるアートやアート作品、文化事象、アートのタネをめぐる文章になりますから、フィクションはアートライティングに含まれてはいなそうだ、ということです。また詩歌も文芸の領域であって、アートライティングの領域ではないでしょう。書き手の心情や言語そのものに関する創造的試みといった、アートや文化事象とは異なるものを表すジャンルだからです。

アートライティングの領域にあると直感的に判断できる文章ジャンルもあります。美術や音楽、文芸作品や映画作品、伝統芸能などをめぐる芸術系の批評や評論は、まさしく「アート」をめぐる文章です。伝統行事や食文化、グラフィティやストリートダンス、ビデオゲームやアイドル文化を取り上げたエッセイ、展覧会やコンサートのレビュー、さらには旅行した国や文化について書かれた旅行記や、自分に馴染みの街の魅力や面白さについて書かれた文章なども、「文化」や「アートのタネ」を取り上げる文章ですので、アートライティングといえるでしょう。

しかし同時に、これらの批評、評論、エッセイ、レビューといった文章は、文芸とアートライティングのあわいにある文章ジャンルであるようにも見えます。じじつ、文芸コースの卒業制作で、ジャコメッティについての評論や、体験談を交えてワインの魅力を伝えるエッセイ、「働くことに疲れた人」に向けてお勧めしたい小説を紹介する書評集を書かれた方がいます。となると、アートライティングは、結局のところ、文芸の傍系ということになるのでしょうか。

今年の2月に実施したコース説明会で、旅行記を書きたいがアートライティングが適しているのか文芸が適しているのかといった質問がありました。どちらのコースでも十分に学んでいただけると思いますが、筆者の個人的な見解としては、「旅した街」を書きたいのか、「旅した私」を書きたいのかで、アートライティングか文芸かに別れるでしょう。もちろん「旅した街」と「旅した私」が揃ってこその旅行記です。どちらかのみを選んで文章にするということはそうそうないでしょう。それでもどちらに力点を置くかによって、文芸かアートライティングに別れうるかもしれません。自分を主人公とする旅行記を書きたいなら文芸、自分はあくまでもカメラのレンズを覗き込む側に身を置きつつ旅先で見たもの聞いたものを言葉で表したいならアートライティングといってもいいかもしれません。内田百閒の「乗り鉄」紀行文シリーズ『阿房列車』(19501955年)は、作者自身が作品中に登場し、列車旅での経験を記しているから文芸寄りでしょう。詩人フェルナンド・ペソアが書いたリスボン観光案内(1925年。邦訳は『ペソアと歩くリスボン』、彩流社、1999年)は、観光客目線で街を歩いてその名所や魅力を伝えようとする文章だからアートライティング寄りでしょう。だいぶざっくりとした区別ではありますが、こんなふうに区別していいのかもしれません。

 こうした区別を踏まえるならば、旅や街にかぎらず「アート」をめぐる文章であっても、その魅力や面白さを伝えるための「演出家」に徹したいのであればアートライティング、自分を舞台に上げてその魅力や面白さを伝えようとする「主演」の役割も果たしたいのであれば文芸といえるのかもしれません。アートライティングと文芸のあわいにはこんな違いが潜んでいるのかなと、文芸コースとアートライティングコースにまたがって仕事をする一人として感じています。

ところで、この記事の前半で、フィクションや詩歌といった文章ジャンルはアートライティングの領域ではないだろうと書きましたが、フィクションや詩歌であることと「アート(のタネ)」を取り上げることは、じつは、なにも矛盾するものではありません。両立しうる事柄でもあります。ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(1984年)のように、実在の作家と作品に即した内容を備えた小説も存在します。そうであれば、フィクションや詩歌といった形式を借りたアートライティングがあって悪いことはありません。そんなアートライティング作品が本コースの学生から生まれてくることを夢見てしまいます。

 

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