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芸術学コース

2025年06月18日

【芸術学コース】人々に記憶される芸術――デューラーが残した後世への「仕掛け」

はじめまして。今年度から芸術学コースに着任いたしました、教員の三井麻央です。専門は西洋美術史で、とりわけ19世紀のドイツ美術をテーマに研究活動を行っています。――と、ひとくちに「西洋美術史」といってみても、長い歴史のなかで私たちが知ることのできる芸術家や作品の数は氷山の一角。美術館の収蔵庫にも、美術全集にも、インターネットの片隅にも存在が残らなかった芸術家が無数にいることは、みなさんの想像に難くないはずです。

一方、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)というドイツ・ルネサンス期の最も著名な画家は、日本ではレオナルド・ダ・ヴィンチやピカソほどの知名度はないかもしれませんが、ドイツでは展覧会があると連日長蛇の列ができるほどの人気です。さらに、ドイツ国内に出向くとわたしたちは、美術館のみならず至るところで記念碑や建築装飾などさまざまな姿のデューラーに出くわします。例えば、没後300年を記念し19世紀に作られた記念碑は、画家の故郷ニュルンベルクで人々を出迎えます[図1]。また、現代ではフィギュアの姿で土産物屋にも現れるなど[図2]、没後300年を超え、500年を迎えようとしている今もなお、その名は忘れられることがありません。

左:[図1]クリスティアン・ダニエル・ラウフ《デューラー記念碑》1826-40年、ブロンズ(筆者撮影)
右:[図2]デューラーのPlay Mobil(ドイツの玩具メーカーが販売するフィギュア・筆者撮影)



では、人々の記憶に残らなかった芸術家とデューラーとでは、一体何が異なるというのでしょうか?単に絵が「上手い」から、だけではないはず。それ以外にも、独創性や新規性、歴史的な出来事との結びつき、有力者からの援助――等々、複数の要因が考えられます。しかしここで注目してみたいのは、デューラーが、自らの名前を後世に残すための「仕掛け」を自覚的に作っていた芸術家だといわれていることです。ここではその「仕掛け」について、3つの例を紹介したいと思います。

1. セルフイメージを操る


長髪に髭、毛皮でできたローブを纏い、こちらをまっすぐ見つめる眼差しがなんとも印象的な《1500年の自画像》[図3]。この作品でデューラーは創造する者としての自分自身を、なんとキリストの姿になぞらえて表現します。そのほかにもデューラーは自らの風貌を特徴的に示す自画像を複数描き、さらには注文作にも自身の姿を描き入れるなど[図4, 5]、積極的にセルフイメージを形成しました(存命中はそれほど多くの人が見なかったにせよ)。後世に記念碑や土産物が作られ、さながら芸術家の「ドイツ代表」になりえたのも、このインパクトある自画像あってのことでしょう。

[図3]アルブレヒト・デューラー《1500年の自画像》1500年、油彩・板、67.1×48.9cm、アルテ・ピナコテーク(https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artwork/Qlx2QpQ4Xq)



また、画中にイニシャル「AD」のモノグラムを記したことにも、デューラーが芸術家・制作者としての個人を主張することに意欲的であった様子をうかがえます。このことは、単にデューラーが自己主張の激しい人間であったというよりも、自身の存在や作品の痕跡を残すことが現在と比べ非常に困難であった、という時代背景にも起因します。

左:[図4]アルブレヒト・デューラー《聖三位一体(ランダウアー祭壇画)》1511年、油彩・板、135×123.4cm、ウィーン美術史美術館(https://www.khm.at/kunstwerke/allerheiligenbild-landauer-altar-615)
右:[図5][図4]の拡大図(右下部分)


2. 新規メディアの利用


15世紀のドイツといえばグーテンベルクによる活版印刷術の発明がよく知られていますが、デューラーもまた木版画や銅版画を巧みに用いて、自身の作品を複製・流通させ、遠隔地にまで届けることに成功します。《騎士と死と悪魔》、《メレンコリアI》[図6]、《書斎の聖ヒエロニムス》の3作品は「三大銅版画」とよばれ、これまで数多の解釈がなされてきました。とりわけ《メレンコリアI》は多面体や魔法陣、コウモリ、肘をついた有翼の人物像などと寓意的な図像に満ち、未解明の謎もあるがゆえに、今なお多くの人を惹きつけています。

[図6]アルブレヒト・デューラー《メレンコリアI》1514年、エングレーヴィング、24×18.8cm、ベルリン版画素描館(https://id.smb.museum/object/1048677/melencolia-i)



ところでデューラーは自作の権利関係にも敏感でした。版画の剽窃を行った画家に対してわざわざイタリアにまで出向き、著作権裁判を起こしたといいます。このようなトラブルは現代となってはよく耳にすることですが、実はこれが美術史上初めての出来事だったそうです。ここにもデューラーの、独立した芸術家としての自負がみられますね。

3. 技巧のアピール


デューラーはドイツ領内にとどまらず、当時美術のメインストリームとされていたイタリアへ赴き、ヴェネツィアで現地の芸術家たちと交流し、イタリア・ルネサンス風の絵画技術を習得することも試みました。秋山聰『デューラーと名声』によれば、デューラーの油彩画にはそういったイタリア由来の技巧が発揮されているほか、絵画の技量を誇示するかのように小さな蠅が描かれていたり、驚くべき短期間で絵画を完成させたことなどが記されていたりなどと、さまざまなアピールがみられるといいます。
ちなみに、デューラーは旅行時に自身の行動や収支、食事の内容などを克明に記録していました。その記述からは、版画の販売に際して妻のアグネスが手腕を発揮していたこともわかります。下記の「読書案内」に記載の『ネーデルラント旅日記』ではその様子を日本語で読むことができるのですが、500年前の人物とは思えないような生活感にあふれており、とても面白いですよ。

ここまでデューラーの「仕掛け」について3点ほどご紹介しましたが、これはまだほんの一部です。個々の作品をじっくりと考察してみると、デューラーの作風や行動がいかに革新的で、後世に影響を与えるものであったかがさらによくわかります。

芸術に触れたときに感じる「上手い」、「美しい」、「良い」、「悪い」といった率直な感想は、とても重要なものです。その感覚は大事にしつつも、芸術学コースでは、より深く、さまざまな観点から芸術にアプローチする方法を学べます。史料を活用し、多角的かつ客観的な視野をもって芸術について考えることは、非常にスリリングな営みです。ご興味をお持ちの方はぜひ、下記のリンクから詳細をご覧ください。

読書案内
アルブレヒト・デューラー『自伝と書簡』前川誠郎訳、岩波文庫、2009年。
アルブレヒト・デューラー『ネーデルラント旅日記』前川誠郎訳、岩波文庫、2007年。
秋山聰『デューラーと名声――芸術家のイメージ形成』中央公論美術出版、2001年。
越宏一『ヨーロッパ美術史講義 デューラーの芸術』岩波書店、2012年。

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