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2025年07月03日
【アートライティングコース】「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる 」──清少納言『枕草子』

今回は専門科目「演習1」の課題からディスクリプションについてお話したいと思います。ディスクリプションとは、ことばで対象を描き出すこと。日本語では「描写」といいます。優れた描写は、目の前には無いモノや起きていない事象を、読み手にありありと想像させることができます。作者の世界に読者を巻き込み、体験や感覚を共有させることも可能です。いったいどういう文章?どうやったら書けるのでしょうか? お手本となる小説やエッセイなどを参照しながらヒントを探っていきます。
清少納言は描写の名手?
ブログの構想をぼんやりと考えていたとき、最初に浮かんだのが冒頭に掲げた『枕草子』の一段です。日本の古典文学に全く明るくない私でさえ暗誦できる、あまりに有名なテキストです。これ描写ですよね。たちまち絵が思い浮かびました。シンプルな線と少ない色で迷いなく描かれた日本画のような風景。広い空と山の稜線による安定感にたなびく雲がアクセントになっている、とそんなところでしょうか。みなさんは、どんな絵を想像されましたか?
取り上げた一節は短く情報量が少ないにもかかわらず、読み手の想像力に強く訴えてきます。その理由はこのテキストが作者の価値観の主張として確信をもって発信されているからではないでしょうか。「春は明け方がいい。でしょう?」と読者に同意を求めるような前のめりのメッセージが小気味良いリズムに乗って届けられます。また、しろくなり→あかりて→紫だちたる、と色彩変化による時間表現がイメージを立ち上げる推進力となっているように思います。シンプルな文章ですが、読者の想像力に働きかけるためのさまざまなことばの工夫が見られるのです。流石!清少納言。
それでは改めて一段の冒頭を読んでみましょう。作家の大庭みなこ氏の現代語訳と橋本治氏の桃尻語訳をつけました。
風景の描写/『枕草子』清少納言
春はあけぼの。やうやうしろくなり行く山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
春はなんといっても明け方。だんだん白んでくる山際が少し明るくなって、紫がかった雲がほそくたなびいているさま。 大庭みな子訳
春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの! 橋本治 桃尻語訳
何を書く、書かない、いつ書くのか?
内田洋子さんのエッセイにはイタリアで出会ったさまざまな人物が登場します。老若男女それぞれの陰影ある人生を彼女の筆はリアルに息づかせてみせます。作品を読んだあと、私はいつもイタリアに少し近づいたような気がするのでした。これからご紹介するのは随筆集「ロベルトからの手紙」の標題作。筆者がバールでロベルトに出会う場面です。初対面の少年を人物表現の名手はどのように描写したでしょうか。
人物描写/『ロベルトからの手紙』内田洋子
二、三日続けて、スポーツ新聞を読む先客があった。上背のある若い男で、フォカッチャを頬張りながら熱心に読んでいる。
「読み終わったのなら、お隣に回して」
カウンターの向こうから店主に促されて、慌てて彼は脇へ置いたばかりの新聞を私に手渡した。まだ十代の少年だった。巻き毛は、癖毛なのだろう。細かく縮れた濃い茶色の頭は、ボールのようにまん丸に膨らんでいる。子供っぽさの残る眼差しが、黒縁の眼鏡の奥で人懐っこい。いきなり背ばかりが伸びて残りが追い付かず、ひょろりとした 身体に大きな頭がいかにも頼りなげだ。
作家が読者に最初に差し出した情報は、高身長、若い、少年、丸いモジャモジャ頭、黒縁眼鏡、子供っぽい、人懐こい、ひょろりとした、頼りなげ……。簡潔明瞭な文章から、いささかマンガじみた少年の姿が浮かび上がってきます。網羅的な情報で輪郭をなぞるのではなく、キャラクターの核心にふれる要素だけを手際よく提示していて、初対面のフレッシュな印象が伝わってきました。気になる少年の姿です。
さて、サッカーの話で盛り上がったふたりは、毎日のように同じバールでランチタイムを過ごします。そして筆者が次に彼について知ったのは、帆布製のカバンに入っているのは古代ギリシャ語の辞書や古典文学の本であること。身なりは簡素だけれど、いつもどれも水を通していない下ろしたてに見えるという謎めいたものでした。
ある人物像をストーリーの中で描き出そうとするとき、彼に関する何を、いつ、書くか、書かないかの判断は重要です。物語が進むにつれ、ロベルトの込み入った境遇や困難と冒険が明らかになりますが、それを語り手とともにすこしずつ知っていくことで、読者はいつしか主人公の人生に踏み入っていくのです。なお、このエピソードはとてもイタリアらしい結末が用意されています。
ヴァニラが香るテキスト
小説家、翻訳家、童話作家の松田青子さんの本が好きです。自由闊達に語る書評や映画評も、日常的なトピックから社会的課題へつなげるエッセイも。ここで取り上げたのはどこまでも楽しいお菓子作りの話です。
「母と作ったクッキー」松田青子
まず、柔らかくしたマーガリンを混ぜ、卵を入れてさらに混ぜる。どこかのタイミングでヴァニラエッセンスも垂らす。それから薄力粉を少しずつふるいでふるって、たねを作っていく。私は粉をふるう作業が好きだった。ボウルの中に粉が雪みたいに降り積もっていくのがきれいだと思ったし、早く落ちるようにスプーンで粉をさくさくと混ぜる時に、スプーンの先端がふるいの底に触れ、ざらざらとした感触がするのも良かった。ちょっと楽器みたいな音がした。(中略)
クッキー作りの手順・作業を描写したテキストです。五感に訴える色、質感、ヴァニラの香り、降り積もる粉、サクサクと混ぜる音……。ことばのルックス、リズム、流れ、響き、あらゆる要素を動員して、甘い匂いと空中に粉の粒子が浮遊する幸福なキッチンを表現しています。ひらがな、カタカナ、漢字のバランスもポイントですね。

ソングライターのライティング
ブルース・スプリングティーンの自叙伝を読んでいた家人が「ボス、文章うまい!」と声をあげたので、借りて、パラパラとページを捲り、目に止まったテキストをピックアップしました。彼がまだ地元のスターでしかなかった20歳のころ、バンド仲間と犬のJ.Tとサンフランシスコに向かって車をひた走らせている場面です。実はこのときブルース・スプリングスティーンは車の運転をしたことがなく、免許も持っていませんでした。人間二人と犬一匹の道中。必死の思いでドライブしていたはずです。目の前に広がる風景は、どう見えていたのでしょう。
旅の描写/『ボーン・トゥ・ラン 上』ブルース・スプリングティーン
美しい土地だった。夜明け前の谷間をおおう深い青と紫の影、淡い黄に染まりゆく朝の空、その色が背後の山影だけを残して引き伸ばされていく。そんな西部の砂漠をトラックで越えるとき、胸が高鳴った。東から登る朝日を背に受け、濃い赤と茶の平原と斜面が息を吹き返す。ハンドルを握る手が乾燥して、てのひらに白い塩が浮く。朝が大地の目を覚まし、無言のままに色づかせる。やがて真昼の一様な光が押し寄せると、すべてがあらわになる。純然たる地平線が二車線の黒い路面までおり、消えて……無に……おれの好きなものになる。そして夜、太陽がまっ赤に燃えて目にはいり、金色の光を放ちながら西の山々に沈む。まるで家にいるかのように、おれは砂漠と恋に落ち、付き合いつづける。
このパラグラフは前後のものとは雰囲気が全く違います。散文詩? ソングライト? 深い青と紫の影、淡い黄、濃い赤と茶、白、黒、まっ赤、金色……。次々と色を繰り出し目の前に広がる風景を力強くペインティングしつづけます。目に映るものを言語化するのではなく、50年前の記憶を描き直しているのかもしれません。とてもクリエイティブな描写で独自の美しさがあります。ソングライターの仕事だと思いました。
さて、その情景がありありと浮かぶような、巧みな描写の例をご紹介してきましたが、最後に韓国の作家ハン・ガンの作品から精緻な一篇を選びました。解説はありません。ただただ鑑賞してください。
『すべての白いものたちの』ハン・ガン
ぼたん雪がコートの袖に止まると、特別に大きな雪の結晶は肉眼でもみることができる。正六角形の神秘的な形が少しずつ溶けて消えるまでにかかる時間はわずか一、二秒。それを黙々と見つめる時間について、彼女は考える。
雪が降りはじめると、人々はやっていたことを止めてしばらく雪に見入る。そこがバスの中なら、しばらく顔を上げて窓の外を見つめる。音もなく、いかなる喜びも哀しみもなく霏々として雪が舞い沈むとき、やがて数千数万の雪片が通りを黙々と生めてゆくとき、もう見守ることをやめ、そこから顔をそらす人々がいる。
参考文献
・新訂『枕草子 上』清少納言 河添房江・津島知明=訳注、角川ソフィア文庫、2024年
・現代語訳『枕草子』大庭みな子、岩波現代文庫、2014年
・桃尻語訳『枕草子』橋本治、河出文庫、1998年
・『ロベルトからの手紙』内田洋子、文春文庫、2019年
・『彼女たちに守られてきた』松田青子、中央公論新社、2025年
・『ボーン・トゥ・ラン』ブルース・スプリングティーン、鈴木恵・加賀山卓朗他[訳]、早川書房、2016年
・『すべての白いものたちの』ハン・ガン、齋藤美奈子訳、河出書房、2023年
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