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芸術学コース

2025年08月26日

【芸術学コース】土山湾工房をめぐる旅:シンガポール・上海取材ノート

こんにちは、業務担当非常勤講師の白石恵理です。今年の春先に、論文執筆に向けた取材のため、シンガポールと上海を旅しました。その背景となった物語を少しご紹介します。

かつて孤児院のあった地に建つ土山湾博物館内部



私はここ5年ほど、共同研究会(郭南燕・明治大学教授代表)のメンバーとして、上海市徐家匯(じょかわい)地区の土山湾(どざんわん)という地にかつて存在した孤児院と、その工房から生み出された文化財について調査研究を行っています。土山湾の孤児院はイエズス会によって1864年に創設されました。1960年に閉鎖されるまでの約100年にわたり、児童福祉の実践ならびに芸術文化発信において重要な役割を担っていました。

明代末の学者で政治家でもあった徐光啓(1562−1633)の名は、聞いたことがあるかもしれません。市街地の南西に広がる徐家匯はもともと徐光啓の生家があった土地で、若くしてマテオ・リッチ(1552−1610)などのイエズス会宣教師と出会いキリスト教を信奉した彼は、カトリック天主堂を皮切りに、神学校、小・中学校、天文台、博物館、図書館などの施設を次々と建設し、一大文化拠点を築き上げました。近代の西洋文化と科学技術をいち早く取り入れて、上海ひいては中国の発展に大きく貢献したことで知られています。

徐家匯地区にある徐光啓の像



時を経て創設された土山湾孤児院でもイエズス会士らを指導者に迎え、早い時期から印刷(出版)事業を開始するなど、当時最新の西洋技術が積極的に導入されました。孤児たちの技能・職業訓練の場として、木工・彫刻・絵画・金工・ステンドグラス・写真など部門別の工房を設置し、そこで製作された作品の数々は、イエズス会およびパリ外国宣教会等のネットワークを通じて、広くヨーロッパ各国や日本を含むアジア諸国へと輸出されます。

そのようななかで、土山湾孤児院の名を一躍有名にしたのが、1915(大正5)年にサンフランシスコで開催された「パナマ太平洋万博」への出品でした。特に、教育館の中国ゾーンでは孤児院工房の美術工芸作品が最も大きなスペースを占め、なかでも当時現存していた中国を代表する仏塔(pagoda)群の忠実な模型(1/50サイズ)84基が観衆の注目を浴びたといわれます。

1915年「パナマ太平洋万博」での展示風景
Source:SanFranciscoPublicLibrary
https://calisphere.org/item/45348c5bb36009fb96cd5f65511c826c/(2025年8月18日閲覧)



それらの模型作品については、万博終了後にアメリカの博物館あるいは大学等での研究用に一括販売を想定していたそうですが、サイズと量によって困難を極め、長らく所在不明となっていました。しかし、2013年の夏にボストンの倉庫で発見され、2015年にサンフランシスコのSFO Museumにおいて、100年ぶりに公開されています。

今回、私がシンガポールを訪れたのは、それからさらに10年ほどが経ち、作品群がアジア文明博物館の所蔵となったことを記念して、「塔遊記1915」と題する展覧会がロングラン開催されると聞き及んだためです。

シンガポール・アジア文明博物館外観



同館入口風景



館内展示風景



ほとんど伝説のようになっていた仏塔模型を実際に会場で目にすると、モノクロ画面が突如としてカラフルな絵に入れ替わったような、えもいわれぬ不思議な感動が湧き上がってきました。どれも100年以上前の作品とは思えない保存状態の良さで、多くはガラスケースを外し、間近に木肌や彩色の具合を確かめることができます。万博で評判を呼んだという噂通り、彫りの精巧さにはやはり目を見張りました。館内では、指導を受けながら熱心に木板を削る孤児たちの姿を写した過去のビデオや、1915万博の息吹を伝える映像なども展示され、知られざる土山湾工房の歴史物語を新たな形で伝えようとする、企画者の意欲を感じました。

展覧会のガイドブックによると、仏塔模型の製作は1912年からの3年間にわたって孤児院工房の若者約300人の手によって行われたそうです。模型の基となった実際の仏塔は20世紀のうちに解体されたり、改築や大修理を余儀なくされたりしたものも多く、これらの模型は当時の仏塔群の姿を今に伝える貴重な建築アーカイブでもあるとか。展示室最後のキャプションには、次のような一言がありました。「仮にこれらが購入されずに上海に戻っていたなら、1960年の孤児院閉鎖後は、分散消失していたことでしょう」(原文は英語、拙訳)。

土山湾博物館外観



絵画工房での学習の様子を伝える展示風景



シンガポール訪問から3週間後の3月初め、上海の街路樹にはまだ葉も花もなく、通りにはひんやりとした空気が流れていました。孤児院の歴史を今に伝える土山湾博物館にも、その日は人影がなく、子どもたちが木工や絵画の指導を受ける様子を再現したジオラマなどとゆっくり対峙することができました。館内には、シンガポールの展覧会と呼応するかのように、いくつかの仏塔の姿も見えます。徐家匯地区のさらに南西の端に位置する土山湾。そこで日夜制作に励んでいたであろう子どもや若者たちの姿を思い描きながら、論文の構成に頭を悩ませる今日この頃です。(締切近し!)

 

(撮影は筆者[写真3を除く])


 

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