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2025年11月27日
【歴史遺産コース】朱(硫化水銀=HgS)でたどる『邪馬台国』東遷の物語
日本古代史の最大の謎といえば、「邪馬台国はどこにあったのか?」という大問題でしょう。今回はその謎に、赤い鉱物「朱」(硫化水銀=HgS)から迫ってみたいと思います!

三重県松阪市産出の辰砂(朱の原料)(筆者撮影)
まず古代史の研究界隈では、「朱」は古代史の“指紋”と呼ばれることがあります。そもそも朱(HgS)は、弥生〜古墳時代にかけて祭祀・葬送の現場で重要な役割を果たしました。
墓に撒かれた朱、器に残る朱、そして中国由来の不老不死を望む神仙思想や銅鏡技術など、枚挙にいとまがありません。

朱を使った古墳埋葬の事例(奈良県天理市黒塚古墳)(橿原考古学研究所2018)
例えば、中国では不老長寿をめざす神仙思想との結びつきが古くから知られ、朱を液状化して盃に入れる事例が見られます。
実は日本列島でも、弥生時代終末期(3世紀)に北部九州の福岡県福岡市博多区の遺跡(奴国)から、内面に朱が付着した土器や「觚型銅製品」という、おそらく中国で製造されたであろう「青銅製の盃」が出土しています。

福岡市出土の朱を使った道具(左の上下2点:内面朱付着土器、中・右:觚型銅製品)(筆者撮影)
この事例以外でも、佐賀県で底部内面に朱の付着したであろう、奴国の「青銅製の盃」ととてもよく似た「青銅製の盃」が出土しています。

佐賀県採集の朱を使った道具(觚型銅製品)(筆者撮影)
これまでの赤色顔料研究では、「朱」そのものの出土状況等から、弥生時代には日本に神仙思想は伝来していないという学説が優位となってきました。しかし、上述したような北部九州における「盃」の諸事例からみると、墓での顔料利用(西方系施朱:墓で朱をまくという大陸由来の行為)にとどまらず、「神仙思想と祭祀儀礼」を伴った朱の利用形態が中国より伝播していた可能性をうかがわせます。
改めて整理するなら、邪馬台国が存在した時期の前半における日本列島では、北部九州の伊都国に神仙思想の核心となる「朱」の利用の開始が認められます。とくに弥生時代早期(紀元前8世紀)には、渡来人とともに墓で「朱がまかれるという行為」が伝来しました。その後も、絶えず大陸との交流を重ねながら、当初は、思想的背景を持たない「朱の利用行為」であったものが、弥生時代終末期には「神仙思想に基づく朱の利用」へと変化を遂げるのです。
特に、伊都国の王墓とされる弥生時代終末期(2世紀後葉)の福岡県糸島市の平原遺跡の推定王墓遺構では、朱の大量消費と多数の仿製鏡(国産の銅鏡:方格規矩鏡・大型の内行花文鏡)が同時に見られます。

糸島市平原遺跡の埋葬施設に朱がまかれている様子(筆者撮影)

糸島市平原遺跡出土の銅鏡(大型内行花文鏡)(糸島市教育委員会2017)
おそらく渡来人の来訪が高度な文化の形成を後押しし、弥生中期中葉(紀元前2世紀)には青銅器・銅鏡の国産化(仿製鏡の技術)などを促進、終末期においては大型鏡の大量生産へと進化していくのです。
一方、大和(近畿)は、朱に関していえば、鉱山資源は豊富にありましたが、その利用文化の展開のタイミングは、古墳時代以降であったと考えられます。そもそも奈良県(大和)には辰砂(朱の原料)鉱山があり、縄文時代末期以降(紀元前9世紀)にも朱の県域や京都府での流通が報告されています。しかし、弥生終末期以前において確実に「朱を大量消費する墳墓」は確認されていません。
ところが古墳時代が始まると同時に、古墳時代初頭期(3世紀)奈良県天理市の中山大塚古墳(卑弥呼の墓とされる箸墓古墳とほぼ同時期)に大量の朱が撒かれるなど、大和での施朱が一気に広がるのです。
また、古墳時代前期中葉(4世紀)奈良県天理市の行燈山古墳(崇神陵古墳)からは、旧伊都国系の内行花文鏡の紋様がある銅板が出土しています。大和の古墳文化が出現する前夜に、北部九州で成熟していた技術・意匠・儀礼(施朱)が「移動」してきたことを示します。
このように「朱」の使用形態に着目すると、その文化の受容と再編のタイミングが見えてきます。
つまり、西から東へ朱の使用の「重心」が移る「東遷」の過程ということができます。最後に私が提案する仮説、『邪馬台国』 東遷説について紹介しましょう。
実は弥生の終わりから古墳の始まりにかけ、瀬戸内沿岸には多数の墳墓が築造され、朱の精製・流通の拠点が形成されました。徳島県鳴門市の弥生時代終末期(2世紀末)の萩原墳丘墓や岡山県倉敷市の楯築墳丘墓などでも施朱が確認されており、これらの「朱」の産地についても北部九州、後の大和との関係性が認められます。

大和との関係がみられる岡山県楯築墳丘墓(近藤義郎ほか1992)
おそらく瀬戸内は、北部九州から近畿へと朱の使用の諸要素を段階的に伝え、統合していく「中継帯」として機能したと考えられます。香川県善通寺市の旧練兵場遺跡では、ここを拠点とする、弥生時代の長期的な朱の分配ネットワークも想定されています。
つまり朱の祭祀・葬送、仿製鏡技術、神仙思想などを象徴とする邪馬台国の文化的要素の「根」は北部九州にあり、その後、瀬戸内を経由して要素が移動・統合され、古墳時代の幕開けとともに大和で王権が確立するととらえています。
私がここで指摘したいのは、九州と近畿の“どちらか”といった 単純な二項対立ではありません。「朱」を基軸として、西から東へとその文化要素の重心が移っていくという、ダイナミックな歴史の姿です。
今回は既存の古墳時代研究の学説と併せて、朱という物質文化の連続性・移動性から補強する視点を新たに示しました。もちろん、学説は常に更新されます。だからこそ、考古資料や文献資料等に基づく検証の積み上げが大切で、そこに研究の面白さがあります。
歴史遺産コースでは、ものやこころの見えないつながりを知り、あなた自身の手で新しい歴史像を描いていく力を養います。最前線の研究をもとにした、手ざわりのある歴史研究の世界をご一緒に学んでみませんか。
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