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2025年11月26日
【芸術学コース】浮世絵師と「著作権」―それはパクリなのか、オマージュなのか―
こんにちは。芸術学コース教員の石上です。いきなりですが、みなさんは鈴木春信(1725?-1770)の「坐舗八景」というシリーズをご存知でしょうか。春信の代表作の一つとされているもので、明和3年(1766)頃に8枚組の錦絵として作られました。そのうちの「行燈の夕照」をみてみましょう。
座敷では女性が手紙を読んでいます。手元が暗いのでしょうか、少女が行燈に明かりを点しているところです。庭先には穏やかに流れる水と紅葉がみえます。秋の夕暮れですね。この「坐舗八景」シリーズはもともと中国の伝統的画題である「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」をベースとしています。中国湖南省の湖と川辺の風景を自分たちの生活のなかの風景になぞらえるという趣向です。本来は漁村を照らす夕暮れの光を、手紙を照らす行燈の光に置き換えています。春信が描く美しい女性の姿と機知に富んだ見立てを楽しめる一図になっています。
ところで、この絵には類似する絵が存在します。春信より先に江戸で活躍していた浮世絵師石川豊信の『壮盛末摘花(わかざかりすえつむはな)』(宝暦7年/1757)の一図です。首の傾け方や小袖の模様など細かい点で異なってはいますが、少女の姿態や道具の細部についてはほぼそのまま利用しているのがわかります。


春信が既存の絵を自分の作品の要素として使っていたことは、これまで様々な研究者が指摘してきました。春信の特性の一つと言えます。ただし、これが春信のみの手法だったのかというともちろんそうではなく、使用頻度の多寡はあれ、多くの浮世絵師も同様の描き方をしていました。
例えば葛飾北斎(1760-1849)もその1人。みなさんもご存知の『北斎漫画』をみてみましょう。この本は当初北斎の門人や職人用の絵手本・図案集として作られたと考えられていますが、文化11年(1814)に初編を刊行したところこれが大当たり。なんと北斎没後の明治11年(1878)に至るまで続編が出版され続けました。文化14年(1817)刊の六編には馬の守護神である馬櫪神(ばれきじん)が描かれています。本来横長の見開き図として描くところ、90度回転してレイアウトする大胆な発想が北斎らしいといえるでしょう。さて、この絵の典拠は約100年前の享保5年(1720)に出版された橘守国(1679-1748)の『絵本写宝袋(えほんしゃほうぶくろ)』です。守国は大坂で活動した絵師で、狩野派の鶴沢探山の門人でした。様々な絵手本を出版し、浮世絵師や画家に大きな影響を与えました。


北斎もその絵手本から学んでいたわけです。守国が描いた馬櫪神の基本の部分をしっかりと写し取りつつも、細かな箇所にアレンジを加えています。
このような話を大学の授業や公開講座ですると、しばしば次のような質問を受けます。
「春信は著作権を侵害しているのではないでしょうか。当時訴えられることはなかったのですか。」
「これはパクリなのでしょうか。それともオマージュなのでしょうか。」
実は江戸時代には、著作物に対する権利を明確に定めた法令は存在しておらず、現在の「著作権」に相当する概念そのものがありませんでした。当時、出版に関して認められていたのは「版権」で、これは本を印刷するための板木を所有する出版者が、その著作物を出版する権利を持っているという仕組でした。そのため、例えばある絵師が似ている作品を出版した別の絵師を訴えるということはありませんでした。そもそも、浮世絵に限らず、先行する作品を写すという行為は絵を学ぶための重要な工程の一つと考えられていましたので、絵師にとって制作上のタブーとして認識されていなかったと考える方が自然かもしれません。ちなみに、日本で著作権法が制定されるのは明治32年(1899)のことです。
さて、このように浮世絵をみていくと作品を研究するときの注意点がいくつかみえてくると思います。ある作品を考えるとき、その絵の前にはどんな絵があったのか。その絵の後にはどのような影響を及ぼしたのかを調べることはとても重要となります。どんな作品であれ、完全に孤立して成立しえたものはありません。作品のまわりに存在する様々な要素を確認した上で、その作品の表象を検証することでようやく作品研究をはじめることができるといえるでしょう。
そしてもう一つ大事な点は、この制作行為を「オマージュ」や「パクリ」といった現代の私たちが使う言葉で安易に理解してはいけないということです。今の私たちがいる場所に江戸時代の作品を持ってきて考えるのではなく、私たちが作品が作られた江戸時代に分け入っていき考えてみる、それが作品を研究するということです。しかし、これはたやすいことではありません。そのためにはどうすればよいか。当時の社会、文化、宗教、風習を学び、資料や情報を収集し、それらを踏まえた上で読み解いていく力が必要となります。
本学ブログには、芸術学コースだけではなく歴史遺産コース、和の伝統文化コースといった他の芸術学科での学びを紹介する様々な記事が載っています。くずし字を読んだり、フィールドワークで史跡を観察・調査したり、コースの枠を超えて受講できる様々な授業がありますので、ぜひ記事をのぞいてみてください。
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座敷では女性が手紙を読んでいます。手元が暗いのでしょうか、少女が行燈に明かりを点しているところです。庭先には穏やかに流れる水と紅葉がみえます。秋の夕暮れですね。この「坐舗八景」シリーズはもともと中国の伝統的画題である「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」をベースとしています。中国湖南省の湖と川辺の風景を自分たちの生活のなかの風景になぞらえるという趣向です。本来は漁村を照らす夕暮れの光を、手紙を照らす行燈の光に置き換えています。春信が描く美しい女性の姿と機知に富んだ見立てを楽しめる一図になっています。
ところで、この絵には類似する絵が存在します。春信より先に江戸で活躍していた浮世絵師石川豊信の『壮盛末摘花(わかざかりすえつむはな)』(宝暦7年/1757)の一図です。首の傾け方や小袖の模様など細かい点で異なってはいますが、少女の姿態や道具の細部についてはほぼそのまま利用しているのがわかります。

鈴木春信「坐舗八景 行燈の夕照」
ボストン美術館

石川豊信『壮盛末摘花』国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2534288
春信が既存の絵を自分の作品の要素として使っていたことは、これまで様々な研究者が指摘してきました。春信の特性の一つと言えます。ただし、これが春信のみの手法だったのかというともちろんそうではなく、使用頻度の多寡はあれ、多くの浮世絵師も同様の描き方をしていました。
例えば葛飾北斎(1760-1849)もその1人。みなさんもご存知の『北斎漫画』をみてみましょう。この本は当初北斎の門人や職人用の絵手本・図案集として作られたと考えられていますが、文化11年(1814)に初編を刊行したところこれが大当たり。なんと北斎没後の明治11年(1878)に至るまで続編が出版され続けました。文化14年(1817)刊の六編には馬の守護神である馬櫪神(ばれきじん)が描かれています。本来横長の見開き図として描くところ、90度回転してレイアウトする大胆な発想が北斎らしいといえるでしょう。さて、この絵の典拠は約100年前の享保5年(1720)に出版された橘守国(1679-1748)の『絵本写宝袋(えほんしゃほうぶくろ)』です。守国は大坂で活動した絵師で、狩野派の鶴沢探山の門人でした。様々な絵手本を出版し、浮世絵師や画家に大きな影響を与えました。

葛飾北斎『北斎漫画』六編
大英博物館

橘守国『絵本写宝袋』国文学研究資料館
https://doi.org/10.20730/200015290
北斎もその絵手本から学んでいたわけです。守国が描いた馬櫪神の基本の部分をしっかりと写し取りつつも、細かな箇所にアレンジを加えています。
このような話を大学の授業や公開講座ですると、しばしば次のような質問を受けます。
「春信は著作権を侵害しているのではないでしょうか。当時訴えられることはなかったのですか。」
「これはパクリなのでしょうか。それともオマージュなのでしょうか。」
実は江戸時代には、著作物に対する権利を明確に定めた法令は存在しておらず、現在の「著作権」に相当する概念そのものがありませんでした。当時、出版に関して認められていたのは「版権」で、これは本を印刷するための板木を所有する出版者が、その著作物を出版する権利を持っているという仕組でした。そのため、例えばある絵師が似ている作品を出版した別の絵師を訴えるということはありませんでした。そもそも、浮世絵に限らず、先行する作品を写すという行為は絵を学ぶための重要な工程の一つと考えられていましたので、絵師にとって制作上のタブーとして認識されていなかったと考える方が自然かもしれません。ちなみに、日本で著作権法が制定されるのは明治32年(1899)のことです。
さて、このように浮世絵をみていくと作品を研究するときの注意点がいくつかみえてくると思います。ある作品を考えるとき、その絵の前にはどんな絵があったのか。その絵の後にはどのような影響を及ぼしたのかを調べることはとても重要となります。どんな作品であれ、完全に孤立して成立しえたものはありません。作品のまわりに存在する様々な要素を確認した上で、その作品の表象を検証することでようやく作品研究をはじめることができるといえるでしょう。
そしてもう一つ大事な点は、この制作行為を「オマージュ」や「パクリ」といった現代の私たちが使う言葉で安易に理解してはいけないということです。今の私たちがいる場所に江戸時代の作品を持ってきて考えるのではなく、私たちが作品が作られた江戸時代に分け入っていき考えてみる、それが作品を研究するということです。しかし、これはたやすいことではありません。そのためにはどうすればよいか。当時の社会、文化、宗教、風習を学び、資料や情報を収集し、それらを踏まえた上で読み解いていく力が必要となります。
本学ブログには、芸術学コースだけではなく歴史遺産コース、和の伝統文化コースといった他の芸術学科での学びを紹介する様々な記事が載っています。くずし字を読んだり、フィールドワークで史跡を観察・調査したり、コースの枠を超えて受講できる様々な授業がありますので、ぜひ記事をのぞいてみてください。
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