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2025年12月15日
【文芸コース】セザンヌの静物画のような文章を書きたい

『リンゴとオレンジのある静物』、1895~1900年、オルセー美術館蔵。
この絵において、あらゆる美術史上の規範は破壊され、残るのはただ「描く」という行為のみである。
セザンヌの描くリンゴを、私は私の言葉で書いてみたい。
このところ、強くそう思う。私が私自身の創作のために許す時間は、だいたい夜の10時以降。5歳の息子の寝かしつけを済ませ、皿洗いや翌日の支度を整え、返信しなければならないメールを書き終え、やっと自由を得られるのが、その時間帯からなのである。
だが、自由であるはずの私の思考は、幾重にも織り編まれた現実に束縛される。創作と宣ったところで、所詮、私は職業作家であって、その構造には相当数の規範が介在し、抗えない規約が闊歩し、守らざるを得ない規律が跋扈する。無論、そこに不満はない。仕事なのであるから、当然である。現実を飲み込んだ上で、私の原稿は金銭報酬へと変容する。そのおかげで妻子を養える。ベッドの上で息子が屈託のない寝顔を浮かべられるのは、私が各種の現実を受容した結果であって、そこを覆そうとはまったく思わない。
ただ、現実は否応なく私に意味を強いる。原稿の価値、書籍になる意義、読者にとっての有益性……三文文士ゆえにそれらの規模はとてつもなく小さいが、だからといって意味を放棄してよい道理にはならぬ。私なりにそれらの意味たちに応答すべく、毎夜、せっせと筆を運ぶ。それでよい。それが仕事である。そんな風に自身を説得しつつ、ときにタバコをふかし、ときに高ぶりすぎた精神を宥めるためワインを飲む。やがて私は疲弊し、日付の変わった1時頃、ベッドに倒れ込む。
眠るまでの数瞬、私はスマホでセザンヌの絵を眺める。絵画鑑賞の本質からまったくかけ離れた態度であるが、その美術批評的誤謬を糺す気力がその段階の私にはない。データでしかないセザンヌの絵は、それでもしかし、私に勇気をくれる。あるいは私を叱咤し、かつ激励してくれる。その時間が、毎夜、現実に倒される私を、次の朝へと導いてくれる。
セザンヌの作品は、ドラマを放棄する。とりわけ1880年代半ば以降のセザンヌの静物画たちは、ロジャー・フライの言葉を借りれば「劇的、抒情的ではない」姿勢を貫いている。いわんや、表現としての主張などあるはずもない。エドゥアール・マネは絵画が平面であるというある種の真理を発見したが、そのマネですら(多分に頭でっかちな見方ではあるが)慣れてしまうと「絵画は絵画である」と訴えかける仕草を見いだせてしまうが、セザンヌは、ただ純粋に、描くことをする。セザンヌの静物画にあるものは、描くという行為の結果だけであって、鑑賞者へのメッセージは絶無である。
そこに痺れ、憧れる。極論すれば、セザンヌは鑑賞者を見ていない。セザンヌが見るものは、自身の筆致のみである。描くという過程と、その先にある結果のみがセザンヌの関心事であり、言ってしまえば、セザンヌの静物画は、その絵単体で完結するのである。すごい。うらやましい。私の文章は、読者の存在というパワーを贈与されない限りは完成しないが、セザンヌはそうではない。セザンヌの静物画は、ただそれのみで完結し、完了し、完成する。セザンヌが現代美術の開祖と目されるのも道理である。表現者を志す人間は、その表現のみに打ち込みたい。クライアントや鑑賞者のために思考と肉体とを駆使したいわけではない。そうした欲望を、セザンヌは肯定する。だからセザンヌは死後100年以上を経てもなお、参照され、敬愛されるのである。
私もセザンヌになりたい。途方もない夢であるが、夢ぐらい持たないと、現実を超克できないと、さすがに44年も馬齢を重ねた以上、理解している。私には絵を描くことができない。駄文を積み重ねるのが関の山である。が、いつかは意味に隷属しない、あるいは意味をとことんまで削除し、行為のみを凝縮した文章表現を成してみたい。私が言うと、安っぽい憧れ以上のものには聞こえないかもしれないが、構わない。憧れが、表現の材料になることを、私は知っている。
文芸コース主任 川﨑昌平
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