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書画コース

2026年01月28日

【書画コース】2025年 書画コース特別講義スペシャル―田能村竹田を訪ねて―

こんにちは。書画研究室の渡邊浩樹です。このブログは学生募集を目的としていますので、読者のみなさんに入学して頂きたいなあと思いながら丹精込めて執筆しています。入学者が増えたとて、私個人に大した利益はありませんが、根が真面目ですから頑張っちゃおうという方針です。

去る11月15日(土)、書画コースでは特別講義スペシャル、すなわち遠足を実施しました。不祥事だの大事件だのも無かったため、こうしてめでたくブログ記事にして、学生募集に役立てられそうです。

行き先は大分県竹田(たけた)市です。この地は、江戸時代の南画の大家、田能村竹田(たのむらちくでん)(1777-1835)の故郷であり、画をご担当の塩見貴彦先生が、かねてより訪問を望んでいらした場所です。

朝、竹田を散策していて偶然に合流した塩見先生と、書をご担当の桐生眞輔先生。……こんな写真があるってことは、俺も偶然居合わせたってことだな。



竹田創生館にて、竹田の風景を眺める塩見先生。



* * *

下記のような日程でした。

■岡城跡(国指定史跡・岡城跡コース 約60分) 10:30-11:30
 観光ボランティアガイドによる解説
■城下町竹田 付近で各自昼食 12:00-13:00
■由学館(竹田市歴史文化館) 再集合 13:00-13:40
 歴史文化館学芸員による解説
■旧竹田荘 14:00-14:30
■画聖堂(田能村竹田廟) 14:30-14:50
■観音寺十六羅漢 15:00-15:30
■竹田温泉花見月(土、日、祝/足湯あり) 16:00-16:30
■解散・自由行動 16:30-

岡城跡にて。



11名の学生の方々が、ご参加くださいました。前回の遠足(宮城県多賀城市)や、過去の特別講義でお会いした方々もいらっしゃり、皆さんと実際に顔を合わせてお話しできて、大変楽しかったです。
一年で一番良い時の竹田を訪れられたと思われますし、写真で分かる通り、気候に恵まれました。
一部の方々から気候に関連して、私に「晴れ男ですか」というご下問がありました。私はまたいつもの病気が始まって「晴れ男の免許を所持している」とか「それは気象庁から交付せられるのである」とかいうセリフが次々に思い浮かびましたが、絶景を前に、かような戯言は不要であると悟っていたので、「晴れ男です」と、断言可能な事実だけを回答しました。

竹田荘にて。



田能村竹田が暮らした竹田荘は、現代の建築の感覚から言えば、やや小ぢんまりとした規模のようで、これは昔の人が小柄であったことも関係しているのかもしれませんが、それよりも、「これで充分」というような、必要以上にものを求めすぎない美意識が表れているのかもしれません。このようなことを、塩見先生がつぶやいていらっしゃいました。私だったら地面を獲得したら、山城みたような御大層な住処をぶっ建ててみたくなってしまいます。

画聖堂にて。



田能村竹田を祀る画聖堂では、私は皆さんと竹田を訪れることが出来たご縁に、感謝の祈りを捧げました。私のことを全てデタラメな男と思う者があったら豚に食われるであろう。書画コースは、科目自体は完全遠隔ですが、このように顔を合わせることの出来る行事もありまして(成績や卒業の条件とは無関係)、学生の方同士で交流するきっかけにもなっているようです。
楽しい時が過ぎるのを惜しみつつ、観音寺の石段の下で、私たちは別れました。きっとまたいつか、お会い出来るでしょう。

* * *

本稿は何とも気の利かないことに、竹田の絶景を主として撮った写真の用意が無いですから、私のお絵描きを以下に掲げることとします。遠足時の感慨を読んだ漢詩も、書き添えてありますがな。

筆者作「竹田憶」166mm×241mm



(以下、漢詩の本文と口語訳)


山色青丹繞四方、
桃花源裏竹田莊。
東西南北看眞幅、
畫手胸中于是詳。

〔山々の景色が 青や丹の色をして 周囲を囲る、
桃源郷のような 竹田荘。
東西南北を見渡せば真幅(本物)の山水が見え、
画家の胸中は ここに詳らかとなる。〕

構図上の禁忌を色々とやっている気がしますが、そもそも本稿は怪しさ満載であるからして、そんなことを気にしていては、きりがありませぬ。
ところで、この記事をお読みの皆さま、詩を飛ばし読みしたでしょう。
実は今回の遠足では、田能村竹田の作品自体は鑑賞していないのです。かなり精巧な複製は、画聖堂で見ることができました。
しかし、この土地の風景こそ、紛れもなく「本物の竹田(ちくでん・たけた)の山水」でしょう。第三句には、田能村竹田が見たであろう美しい風景を眺める事の出来た、満足な心境を詠み込んだつもりです。無論、江戸時代と今とでは街の様子は大きく変わっているわけですが、山並みなどは昔の通りであるはずです。
そしてこの第三句にはもう一つ、別の意味を重ねていますので、ぜひ我慢して続きを読んでほしいと存じます。田能村竹田は南画に優れた人でありますが、やはり「南画」という様式にはめ込んで画を考えると、かえって南画の良さが失われてしまうように思われます。
田能村竹田が優れたのは、自由な心持ちで画をかいたところにあり、それが結果的に素晴らしい南画作品となって人々に喜ばれたと考えられます。それで「南画」という様式から自由な心境を表すべく、「東西南北に真幅を看る」という、一見ふざけた句にしているのです。実際ふざけて作った句ですが、このように一大哲理を内包しているからして、飛ばし読み等なさってはなりませぬ。

* * *

翌日、遠足の日程が終了して寂しくなった私はひとり北東に向かって歩き、「普光寺磨崖仏」という、岩壁に刻まれた鎌倉時代の大きな仏像を拝んだのち、温泉に入って飛行機に乗り、九州の大地から消え失せました。本稿は少々ふざけすぎました。
普光寺磨崖仏の前で詠んだ三首の歌を載せて、この紀行文(?)を終わりたいと思います。

筑紫なる 阿蘇の巖尾(いはお)は 八百(やほ)の年 經(ふ)りて 和(やはら)の みほとけゐたり


雨風に 和顏(わげん)の形(ぎやう)と なりにける 不動の齒牙(しが)は なほ利(と)くあるらん


よろづよの 巖根(いはね)に八百(やほ)の 年經(ふ)りて 鎭(しづ)む怒りの 流るの形

 

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