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アートライティングコース

2026年02月03日

【アートライティングコース】ゲームをめぐるアートライティング

こんにちは。アートライティングコース教員の小柏裕俊です。
アートライティングとは、芸術や文化をめぐる文章を書くこと、そうしてできあがった文章作品のことです。ここでいうアートは、美術・音楽・文学・映画・演劇といった、いわゆる「芸術」にとどまりません。アートの「タネ」というべきものも含まれます。ファッションやストリートダンス、グラフィティ、祭事や料理、都市の景観といった幅広い「文化」もアートライティングの対象となります。
そのような対象にゲーム(この記事ではコンピュータゲーム、ビデオゲームをもっぱら指すものとします)も含まれます。じっさい2025年度の「卒業制作」に、ごく数本ではありますが、ゲームを取り上げたものがありました。あるものは特定のジャンルにおけるプレイヤーとゲームとのインタラクティヴな関係がどのようなものであるかを詳細に記述し、その特徴の概念化を試みる分析的な文章でした。別のものは、あるゲーム作品のオリジナリティを追求しつつ、そのゲームをプレイすることが自分にもたらしたものを考察する文章で、作品論とエッセイとにまたがる味わいがありました。
同僚の先生方から聞いたところによると、ゲームを題材とする「卒業制作」はようやく出はじめたばかりということで、いわば来るべきアートライティングといってもよいのかもしれません。
では、ゲームについて書かれている文章であれば、どんなものでもアートライティングになるのでしょうか。たとえば、あるゲームの攻略情報を記した文章はアートライティングなのでしょうか。わたしはそうではないと答えます。あるゲームについてファン同士がSNSで交わすやりとりも、アートライティングと呼ぶには抵抗があります。なぜなのでしょうか。
この点については多根清史が『教養としてのゲーム史』(ちくま新書、2011年)の冒頭で述べていることが示唆的です。ゲームを語ることの楽しさについて、次のように述べています。
しかし、その楽しさは実際にプレイした人々の間の共犯めいた「仲間がたり」と深く結びついている。ゲームを遊んだもの同士の「あるある」を確認して頷き合う。そこで語られる言葉は、未知の情報を伝えるよりも、プレイした人だけが持つ記憶を示し合って、互いに仲間だと確かめるための割符のようなものだ。外部に対して「閉ざされている」から、コミュニティの結束はいっそう強くなり、言説はさらに閉ざされるというサイクルである(9頁)。

攻略情報を記したところで、それはゲームをプレイしていない人にとってほとんど意味を持たないという意味で、これもまた「閉ざされ」たコミュニケーションに該当するということになるでしょう。

 多根の著作はこの「閉ざされ」がちなゲーム語りを、ゲームの発展史(おもに黎明期から1990年代まで)をたどることで、外部に開いています。別の言い方をすれば、ゲームのプレイ経験がある人だけではなく、プレイ経験がない人にとっても意味のある文章となっているということです。もちろんプレイ経験のある人の方がより深く楽しめはするでしょう。それでもプレイ経験のない人が読んでも十分に得るものがあります。
この立ち位置はアートライティングの基礎ともいってもよいでしょう。ゲームにかぎらず、美術や演劇を取り上げた文章であっても、ファンだけに意味のある文章ではアートライティングとはいえません。未知なる他者に向けて「開かれ」ていること、未知なる他者もその語りの場に参入してこられるように「開かれ」ていることが必要不可欠です。
アートライティングとしてのゲーム語り。ゲームファンの方やゲームのファンだった方に、ぜひともチャレンジしていただきたいなと思います。ゲーム語りは好きだけど、「仲間がたり」とは違う語り方をしてみたい方、愛好家同士の交流ではなく未知の他者にむかってゲームの面白さを語りたい方、アートライティングの世界に一歩踏み込んでみませんか。

 

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