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2026年03月03日

【アートライティングコース】「メダルなんて必要ない。ただここに存在し、皆に演技を見てもらえるだけで十分です」─女子シングル金メダリスト・アリサ・リュウ選手(1)

こんにちは。アートライティングコースの非常勤講師、青木由美子です。
みなさんはミラノ・コルティナ冬期オリンピックを楽しみましたか。私は長年見続けてきたフィギュアスケートをメインにTV観戦しましたが、今回は個人的に思い入れのある選手がいなかったため、リラックスして競技を俯瞰するようにみていたようです。個々の選手の戦績よりも、前回の北京五輪とは女子シングルの雰囲気がすっかり変わっていたことが強く印象に残りました。 かつてロシア代表の細く、軽く、けれど鍛え抜かれたミドルティーンの少女たちがクルクルと4回転を跳ぶ姿はなく、坂本花織選手を筆頭に米国のアンバー・グレン選手、金メダルを獲得したアリサ・リュウ選手など健やかな身体をもった大人のアスリートがスピードと技の精度、そして表現力を競い合っていました。組織的なドーピングでロシアの選手が国際大会への出場を制限されたこの4年の間、フィギュアスケート女子シングル界を牽引してきたのは、間違いなく坂本選手です。2022年から年から2024年まで世界選手権3連覇。4回転ジャンプこそ跳ばないものの、演技の最初から最後までスピードに乗って氷上に一筆描きのような軌跡を刻む精緻なテクニック、並外れたジャンプの高さと飛距離は他の選手を寄せつけないレベルにあります。ロシア選手不在だからと揶揄する声もありましたが、坂本選手が世界女王として輝き続けてきたことで、フィギュアスケートの権威は保たれ、その価値基準は変わったと感じます。今回のオリンピックでは女子シングルに限らず、他の種目のTV解説でもスピード、推進力、移動距離、ひと蹴りの伸び、という言葉が多く聞かれました。スケートの本来の技術、つまり4mmほどのブレードに乗って氷の上を滑走する能力を評価する傾向はまちがいなく強まっているといってよいでしょう。

ふいに思い出したのは1988年カルガリーオリンピックでの伊藤みどりさんのフリー演技。まだトリプルアクセルを成功させる前でしたが、ダイナミックなジャンプを次々と決めるようすをふたりのレジェンドスケーター、ペギー・フレミングとディック・バトンが激賞し、「これぞアスレティックの勝利」と叫んでいる動画があります。みどりさんはコンパルソリという規定演技が苦手で、最終的な総合順位は5位でしたが、バトンはスポーツならアスレティックの要素こそ評価すべき、彼女はもっと上位にいるべきと力説しています。この時、カナダの観客は総立ちで彼女を讃えました。伊藤みどりが女子フィギュアを変えたといわれる少し前の話です。坂本花織選手のスケーティングとジャンプには、このエピソードを彷彿とさせるものがあります。パワーとスピードはスポーツの正義でしょう。

先ほど健康的な身体をもったスケーターといいましたが、実はそれほど単純な話ではありません。体重が軽いほどジャンプに有利なのは明白ですし、着地の時に膝や足首にかかる負荷も体重に比例して大きくなるため、多くの女子選手がウェイトコントロールに苦心しています。またフィギュアや新体操などアーティスティックスポーツと呼ばれる競技では、外見評価にさらされやすいことも選手を追い込む要因です。減量イコール節食となりやすく、無理なダイエットが健康障害を招く問題はなかなか解消されていないと聞いています。競技連盟やJOCによる選手へのカウンセリングやサポートが必要なのではないかと、素人ながら思うところです。あの坂本選手でさえ、栄養管理のプロからアドバイスやサポートを受けるようになった昨年の7月までは、自己流で減量していたと知った時はほんとうに驚きました。いまではすっかり改善されましたが、その時の栄養摂取は全くのエネルギー不足だったそうです。


アスリートの声、メディアの言葉


ミラノコルティナオリンピックは連日のように日本選手が活躍したこともあって、マスコミ報道が盛り上がりました。メダルにからんだ選手のプレーは何度も放映され、実況のアナウンサー、解説者、スタジオのコメンテーター、インタビューに答える選手本人の声、さらにネット情報も加わって膨大な量が発信されました。そんな中でもひときわ高く響いていたのがアリサ・リュウ選手の声。
「メダルは要らない」「オリンピックも世界選手権も大会のひとつにすぎない」と繰り返し発言していた彼女が金メダルを獲得したのは、胸のすくような爽快なできごとでした。金色と黒が横縞になったヘアーに歯のピアス、ゴールドのドレスを纏ってドナ・サマーの楽曲「MacArthur Park」を楽しそうに踊りきったフリースケーティングで今期最高の150.20点をたたき出しました。
彼女の自由でつねに幸せそうなふるまいが、競い合う、勝負する場の緊張感をほぐして会場を明るく親密にしたようにみえます。すっかり人気者になったアリサに関する情報はますます増えて、来歴やひととなりをより知ることになりました。13歳で最年少全米チャンピオンになったこと。トリプルアクセルと4回転トーループを跳んだこと。2022年、北京オリンピックに出場し6位となり、その後の世界選手権で銅メダルを獲得し、直後に突然引退したこと。2年後に復帰しますが、コーチとの契約条件に練習方法、試合の選定、プログラム、振り付け、衣装などすべてアリサ自身が決定権をもつことを認めさせています。また、食事や減量についての指図は一切受け付けないとも。
自立したひとりの人間として生き方や身体について自ら決めたいという強い意志を表しています。引退前の16歳の写真は、黒髪でほっそりした、アイメイクも控えめな少女がこちらを見つめています。今とは印象がちがいます。
この4年の間に何があったのでしょう。天才少女は大人の用意した道からいったん降りて、自ら決めた新ルートでスケートに取り組んでいるということのようです。力強く、賢く、カッコいい女性。自身をアーティストと呼び、スケートは自己表現手段だといいます。復帰から2年で世界選手権、グランプリファイナル、オリンピックのすべてで金メダル獲得となれば、やはり天才か、と思いますが、何度も氷に体が叩きつけられるように転倒しているトリプルアクセルの練習動画を見てしまうと、努力の人でもあると思い直すのでした。

声をあげるアスリート。アンバー・グレン。


「私は生理中なの。とてもつらいわ」とアンバー・グレン選手がメディアにそうっ語ったという報道には、ドキッとしました。優勝候補の一角にあげられながら、ショートプログラムでジャンプミスがあり13位と出遅れた直後のことでした。「特にこんな衣装を着て世界中の前で演技しなければならない時はなおさら」と女性アスリート特有の悩みを率直に口にして、みんな話し合うべきと、問題提起しました。女性なら誰にも身に覚えがある生理中にスポーツする不安や悩みについて公に話し合われることはあまりありません。男性指導者が圧倒的に多いのもひとつの理由かもしれません。露出の多いユニフォームや透けやすい白い上下のトレーニングウェアが女性からの要望で変更される例が、最近ようやく見られるようになりました。彼女の今回の発言がきっかけになって生理が心身の健康の問題として取り組まれるようになるといいなあ、と思います。
26歳で初めてオリンピック代表の座を射止めたグレン選手は、自分の言葉を持った、声をあげるアスリートです。自身のクイアアイデンティティを公表しており、LBGTQ+の権利を守るための発言を躊躇うことはありません。
社会的、政治的論点にも自分の意見を表明します。そのため彼女のSNSには誹謗中傷のコメントがあふれ、なかには殺害予告もありますが、「私は黙らない」と断じて引きません。とても勇気ある社会性をもった大人の女性として敬意を表したい人物です。
今回3本のトリプルアクセルを鮮やかに決め、フリー演技とトータル得点で自己ベストを更新しました。メダルには届きませんでしたが、そのパフォーマンスには彼女の人間性が表われて、力強く、キレがあり、とてもカッコよい。そして26歳でトリプルアクセルを跳ぶなんて、凄い、としかいいようがありません。私もそうですが、このオリンピックを通じてアンバー・グレン選手のファンになったひとが多いのではないでしょうか。

ナンバーウェブ
1https://number.bunshun.jp/articles/-/869434?page=2

 

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