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2026年03月13日
【文芸コース】小説の描写とグラウンディング──描写は脳を癒し、その働きを目覚めさせる

写真はYANMAR TOKYO『HANASAKA SQUARE』
文芸コースの麻宮ゆり子です。ここ4年ほど私は心理カウンセリングの勉強をしています。そんななか最近、心(=脳)を安定させる心理療法である「グラウンディング」が、小説の「描写」と非常によく似ているのではないか、という気づきを得ました。両者に共通しているのは、「五感を使う」という点です。
今回は、その気づきについてお話したいと思います。
昨年9月、私は川﨑昌平先生とともに『小説を書くことで癒される』という特別講義を行いました(https://t-lp.kyoto-art.ac.jp/briefing/literary20250920)。その際の副題は「創作とナラティブセラピーの類似性」でした。
今回新たに感じたのは、「小説の描写とグラウンディングの類似性」です。心の働きと創作には、やはり強い関係があるのではないかと思わずにはいられません。そこでまず、その関連に触れる前に、小説の「描写」について整理してみたいと思います。
描写とは何か
小説の文章は主に「説明」「描写」「会話」という三つの要素によって成り立っています。そのなかでも作品のリアリティやおもしろさを大きく左右するのが、「描写」だと私は考えています。
以前このブログでも触れましたが、描写を書く際には五感をめいっぱい使うことが大切です。つまり視点人物──多くの場合は主人公──が体験している五感、「見る」「聞く」「におい」「味わう」「皮膚の感じ」を言葉で表現する、ということです。
こうした五感を伴う描写を地の文にバランスよく織り込むと、作品の世界観を読者のなかに鮮やかに立ち上げることができます。五感が刺激されると、読者はまるで自分が主人公とともにその場に「立っている」かのような没入感や臨場感をおぼえるからです。
特に現代とは異なる時代を舞台にした作品では、その時代の空気や雰囲気などを読者にリアルに感じてもらうためにも、描写の力が重要になります。
最近読んだ小説のなかでは、三木卓の『砲撃のあとで』に登場する描写が印象的でしたので、以下、引用してみます。
(※第二次世界大戦末期、満州に暮らす主人公の少年を含む家族四人のもとへ、広島に原爆が落ちたというニュースが届く。そこへさらに、ソ連兵が日ソ中立条約を破って国境を越え満州に進撃を開始したと知らされる。緊迫した状況のなか、少年たち家族四人は、満州を出るか留まるかという選択を迫られる)
少年の顔はひきしまった。兄のいう通りだった。深夜の三時だというのに、このアパートは昼の活気を蘇らせていた。数多くの人の動作、声、器物の触れ合う音──それらが複雑に入りまじり、コンクリートの建造物全体にこだましているのだった。少年は跳ねるようにして部屋をとび出すと玄関の鉄扉をあけ階段に首を突き出した。今やアパートのざわめきは一層生々しく、はっきりと少年の耳朶を打った。ひっきりなしに玄関のドアが開いたり閉じたりし、早口に、声高に喋る男たちの声がはねかえっていた。どこかの階で茶碗が一挙に割れ、女が悲鳴をあげた。少年は階段を駆け降り、外へ出ると建物を見上げた。するとどうだろう。何時もならこの時刻には真っ暗な窓がならんで闇の中に沈んでいるはずの建物のあちこちに今夜は光の裂目が出来ているのだった。灯火管制用の黒幕が引いてあるので、光は派手に洩れはしなかったが、時にはあけ放したまま煌々と輝いている窓もあった。あきらかに人々は狼狽しているのだ。少年は、光っている窓をみつめているうちに、今やこの建物の人々が一人残らず目覚めていることがはっきりとわかった。
『砲撃のあとで』(三木 卓著、集英社、P23~24)
グラウンディングとは?
一方、「グラウンディング」は心理学の手法です。不安によってパニック状態になったときや、解離、トラウマのフラッシュバックなどに巻き込まれたときに、「今、ここ」へ意識を集中することで心の安定を取り戻す方法です。
具体的には、「目に見えるもの」や「聞こえる音」など、五感が捉えている現実の感覚だけに意識を向ける。また、「グラウンディング」という言葉が示す通り、足の裏が地面に接している感覚に意識を集中させ、足をトントンと踏みならすことで、自分が現実の世界にしっかり立っている感覚を味わう、という方法もあります。
いずれの場合も大切なのは、頭のなかを占めている「まだ起きていない未来の不安」や「過去への後悔」といった妄想を手放し、「今、ここ」に意識を戻すことです。
人は五感を通した感覚を丁寧に味わうことで、心(=脳)が落ち着くようにできています。しかし情報があふれる現代では、人は、煩雑な人間関係やSNSなどに振り回され、脳や心が常に疲れやすい環境にある、とも言えます。だからこそ、ときどきグラウンディングを行い、心を穏やかにし、脳をリフレッシュする必要があるのではないでしょうか。
何も考えずに散歩をしたり、森林浴や登山を楽しんだりすることも、ある意味ではグラウンディングに近い行為だと私は感じています。
描写とグラウディングの類似点
ここまで読んでくださった方は、小説の描写とグラウンディングの両方に「五感を使う」という共通点があると、あらためて気づかれたのではないでしょうか。
私は普段から学生にもよく話しているのですが、描写の少ない小説は「取り扱い説明書」や「あらすじ」を読んでいるような印象を与えてしまう恐れがあると思っています。そうした文章は情報としては理解できても、リアルな感覚が伝わってこないため、読んでいても他人事というか、「なんだかおもしろくない」「読むのをやめようかな」と感じさせてしまう可能性が高いのです。
だからこそ、小説は描写が重要になります。主人公が体験している五感を意識しながら、それらの描写を文章のあちこちにさりげなく織り込んでいく。すると作品世界は、主人公の感覚を通して、よりリアルに読者に伝わっていく。
読者は登場人物に共感し、ハラハラしたり胸を打たれたり、ときにはじわっと涙がにじむような感覚を味わいながら物語を読み進めていきます。そして最後のページを閉じたとき、ふと気づくはずです。いつの間にか日常のモヤモヤした不安や心配事から解放され、心が「今ここ」に静かに留まっている、と。
描写の豊かな小説は、主人公のカタルシス(心の浄化)を読者にもちゃんと運んできてくれます。なぜなら優れた描写のある小説を読むことは、主人公に自分を重ねながら、物語のなかで何度もグラウンディングを行っているのと同じだからです。
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