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歴史遺産コース

2026年04月27日

【歴史遺産コース】東京近代散歩みち「東京女学館発祥の地」

こんにちは、教員の加藤です。
今回は皆さんの身近にもさまざまな歴史が潜んでいますよというお話です。

私はよく国立国会図書館へ行きます。
永田町駅の最寄りの出口から出ていくのが一番近いのですが、丸の内線で向かう場合には赤坂見附駅から永田町駅の半蔵門線と有楽町線のホームを抜けていく、かなーり長い地下移動になるので、天気が悪くない限りは赤坂見附駅から出て歩いて向かうことが多いです。

いま解体工事中の東急プラザ赤坂の前の横断歩道を渡り、左折して道なりに進むと青山通りに出る急カーブの坂があります。
そこを曲がり切った先の右手には広い敷地の衆議院議長公邸と参議院議長公邸があり、その辺りから自民党本部までは、場所柄、警官が立っていたり機動隊の車が並んでいて少し緊張する、そんな道なりです。

はこの経路を15年以上幾度も歩いていますが、先日、はじめて気がついたことがありました。

溜池方面から青山通りに出た急カーブの先の石垣に「東京女学館発祥の地」というレリーフが嵌め込まれています。

ん??東京女学館って、あの広尾の??なぜここに?

と思って調べ始めると、あっという間に2、3時間が過ぎていくのが歴史好きの性です。笑

さすが、都心中の都心の史蹟ですので、ネットで検索をしてみると多くの方がこのレリーフについて興味を持っていて、永田町周辺の歴史を説明されていますが、ここでは東京女学館百年史編集室編『東京女学館百年史』を参考にその由来について、調べてみることにしました。

そもそも、この一帯は多くの大名屋敷が広がっていた場所で、この石垣は松江藩松平家上屋敷跡のものです。
※ちなみに青山通りの向いにあたる、東京ガーデンテラス紀尾井町の周辺は紀伊和歌山藩徳川家の上屋敷でした。



景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』外桜田永田町絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286657 (参照 2026-04-21)



歴史を辿っていくと、明治11年(1878)に御料地(皇室が所有する土地)となり、その敷地の半分は、明治29年(1896)に閑院宮邸となります。戦後、GHQの指令で旧宮家が皇族離脱となって邸宅が売却され、現在は「衆議院議長公邸」となっています。

その歴史のうち2年間(18881890)だけ、この地に東京女学館があったそうです。

東京女学館の前身となる女子教育奨励会は以下の目的によって設立されました。

本會ノ目的ハ日本ノ貴婦人に欧米諸国ノ貴婦人ト同等ナル佳良ノ教化及家事ノ訓練ヲウケシムルニ在リ(「女子教育奨勵會規則」第一条、註1


女学館の敷地の候補地は複数あったそうですが、結局、女子教育奨勵會(発起人 伊藤博文)は宮内大臣土方久元(女子教育奨勵會の評議員長)に「御用邸拝借願」を提出しました(註2)。

   御用邸拝借願

今般女子之教育方ヲ完全ニスルノ目途ニテ同志申合セ女子教育奨励会ナルモノ設立一ノ黌舎ヲ置テ實業ニ從事可致見込ニ御座候處差向右ニ相應之建物無之困却罷仕候就テハ永田町二丁目御用邸目下御差支モ無之義ニ候ハバ拝借仕度候間何卒御貸渡相成候様御詮議被下度候此段奉願候也
   明治二十年授位一月十二日    女子教育奨勵會發起員
                      伯爵 伊藤博文
    宮内大臣子爵土方久元殿               (註3


そして、明治2011月に永田町御用邸は同会に引き渡され、明治21年に開校という運びになります。

永田町校舎は、教室が5か所、寄宿舎が6か所、食堂、客室、応接間、事務所、二階には外国人教員の住居という構成でした(註4)。国語国文学、日本史は日本人教師、世界史、外国文学、理化学、数学などはイギリス人教師が担当していました(註5)。入学者は尋常小学校卒業以上の満十一歳以上、予科3年間、本科三年間の6年間の課程です(註6)。

特に注目されるべきは、「英学」の授業数が突出して多いことです。明治21年に東京府知事に提出された「私立女学校設置願」の課程表をみると、1年次でも例えば国語が週に4時間に対し、英学は8時間を開講していることが分かります(註7)。

当時の女学校の普通教育は基本的に家政や裁縫などを学ぶことを目的としたものでしたが、ここでは、高等教育を目指し、設立の目的にあるように国際的な教養を身に付けた女性の育成を目指したものであったことがよく分かります。

その為、寄宿舎には大名屋敷ながら廊下に赤絨毯が敷かれていたり、洋式の家具が設えてあったそうです(註8)。「寄宿生規則」には「舘内ノ生活ハ英國中等以上ノ社会ノ風に則ルヘシ」「英國諸教師ハ可成的生徒ト密接シ之ヲシテ英國課程ノ生活ヲ實地ニ習ハシムルヲ以テ目的トナス」とあり(註9)、さながら日本国内で留学経験ができるような環境をつくろうとしていたようです。

この永田町校舎で女子学生らが学んでいた期間は短く、学校の機能としては明治23年(1890)には虎ノ門校舎に移ることになります。

さて、当時この学校で学んだ女子学生たちはどのような学びを得てどのような人生を歩んでいったのでしょうか?更に歴史沼にハマっていきそうなので、この辺りで私の探求は終わりにしておこうと思います。

歴史遺産コースには、平安京の地図を手に京都の街を歩くスクーリング科目や、皆さんの身近な地域の文字史料から知られざる地域の歴史を探っていただくようなテキスト科目があります。是非、身近に潜む歴史にご関心を傾けてみてください!

 

1:東京女学館百年史編集室 編『東京女学館百年史』東京女学館、1991年、28
2:註1参考文献、58-59
3:註1参考文献、59-60
4:註1参考文献、62-63
5:註1参考文献、73
註6:註1参考文献、75頁
7:註1参考文献、87-90
8:註1参考文献、80
9:註1参考文献、79

 

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