

文芸コース
- 文芸コース 記事一覧
- 【文芸コース】 「紙上の冒険」に向かって
2026年05月29日
【文芸コース】 「紙上の冒険」に向かって
在学生の皆さま、こんにちは。四月より文芸コースに着任いたしました、白井耕平と申します。これからどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回はわたしの自己紹介も兼ねて、「読書」に関するお話を書きたいと思います。わたしはこれまで、直木賞作家・五木寛之の作品を中心とする一九六〇年代以降のエンターテインメント小説を読んで研究してきましたが、そもそもの読書の始まりは、もちろん文学研究などまるで関係のない、ただ物語を「面白い」と思って読む読書でした。
思い出すのは、いつもどこかの隅っこ、例えば小学校の図書室に並ぶ本棚の足もとにひっそりとあるような、そういう誰にも邪魔されずに済むような隅っこです。皆さまも似たようなものかと思いますが、わたしもいったん本を読みだすと止まらなくなる、そういう子どもでした。例えば『西遊記』や『タンタンの冒険』などの絵本、少し背が伸びてきたら、はやみねかおるの『都会のトム&ソーヤ』シリーズや、もしくは当時流行していた『ハリーポッター』シリーズなんかを読んでいました。
終わるな終わるなまだ終わってくれるなと念じながら、登場人物たちが繰り広げる「紙上の冒険」が終わってしまうのを惜しみながら、ページをめくる手が止まらない、そうした幸福な読書がわたしの原体験にはあります。そうして物語の底に突っ込んでいた顔をふと上げると、いつの間にか、五時を告げるチャイムが窓の外で鳴っていて、周りには誰もいなくなっている。そんな時に感じるひとりぼっちの寂しさが、一人きりで遠い旅路から帰って来たみたいに思えて嫌いではありませんでした。
わたしにとって「良い読書体験」とは、そういう旅の寂しさを感じさせてくれるものです。小説の読書をはじめ、本の読み方は旅路に似ています。つまり、同じ作品を読んだとしても誰一人としてその読み方はじつは同じではありえず、例えば小説テクストのどこに注目して読んでいるのかは人によって異なるのです。読み方がちがえば、紙上にひろがる世界もまたちがってくるわけですね。

ところで、文芸コースには作品を「書くこと」を目的とした科目が多いですが、そうした科目の提出課題だけでなく、課外で自主的に書かれた作品の個別講評も行なっております。
わたしが着任してからすでに約二カ月が経ちましたが、文芸コースの皆さまから作品の個別講評のご依頼をたくさん頂きました(引き続きお待ちしております)。その中には文学賞への応募を検討している方もいたりなど、非常に意欲的な学生がとても多く、コメントをする側も緊張感をもって添削に望んでおります。
ただ一方で、本を読むことを通じてものを書いてきたわたしとしては、「作品を読むこと」の意義も少し主張したいところではあります。なぜなら、個別講評であれ、課題講評であれ、提出作品を読んでいると、「惜しい」と感じることがあるからです。惜しい、というのは、作品におけるモチーフの選び方や人物の設定、対象の描写の仕方、あるいは視点の取り方や発想の仕方など、とてもいいなと思いながらも、「あれとこれとそれを読んで参照すればもっと良くなるのに」と感じることが多い、ということです。
「あれ」と「これ」と「それ」と書きましたが、これらはつまり類似する作品や作品内容に関連する書物のことです。物書きなら多くの人が心得ていることですが、自分が書こうとしているものごとは、ほとんどの場合すでに誰かが書いています。新しい、個性的、と思っても、じつははるか昔に先行する同様の研究があり、類似した作品がある、というわけです。
むろん、だからと言って「新しさ」や「個性」といった価値の実現は不可能なんだ、と言いたいわけではありません。作家たちはむしろ先行する過去の作品群を下敷きにすることでユニークな創作を可能にしてきました。
例えば、上記に引用したはやみねかおるの『都会のトム&ソーヤ』は、言うまでもなくマーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』をオマージュしていますが、この『都会のトム&ソーヤ』の第十三巻「黒須島クローズド」において参照された作品は、江戸川乱歩の有名作『パノラマ島綺譚』です。そして、この『パノラマ島綺譚』もまた、エドガー・アラン・ポー「アルンハイムの地所」と谷崎潤一郎「金色の死」を下敷きにして書かれたとされています。

このようにして、オリジナリティのある創作は、読んだ本の「組み合わせ」によって可能になっています。読書の遍歴、すなわち「紙上の冒険」を経て手に入れた様々な物語や知識の片鱗を、どのように組み合わせるのか。その「組み合わせ方」に、本当の意味での個性が宿るのではないかと、わたしは思います。
文芸コースの皆さん、もっと作品を読んでみましょう。「紙上の冒険」に終わりはありません。
文芸コース| 学科・コース紹介
大学パンフレット資料請求はこちらから
さて、今回はわたしの自己紹介も兼ねて、「読書」に関するお話を書きたいと思います。わたしはこれまで、直木賞作家・五木寛之の作品を中心とする一九六〇年代以降のエンターテインメント小説を読んで研究してきましたが、そもそもの読書の始まりは、もちろん文学研究などまるで関係のない、ただ物語を「面白い」と思って読む読書でした。
思い出すのは、いつもどこかの隅っこ、例えば小学校の図書室に並ぶ本棚の足もとにひっそりとあるような、そういう誰にも邪魔されずに済むような隅っこです。皆さまも似たようなものかと思いますが、わたしもいったん本を読みだすと止まらなくなる、そういう子どもでした。例えば『西遊記』や『タンタンの冒険』などの絵本、少し背が伸びてきたら、はやみねかおるの『都会のトム&ソーヤ』シリーズや、もしくは当時流行していた『ハリーポッター』シリーズなんかを読んでいました。
終わるな終わるなまだ終わってくれるなと念じながら、登場人物たちが繰り広げる「紙上の冒険」が終わってしまうのを惜しみながら、ページをめくる手が止まらない、そうした幸福な読書がわたしの原体験にはあります。そうして物語の底に突っ込んでいた顔をふと上げると、いつの間にか、五時を告げるチャイムが窓の外で鳴っていて、周りには誰もいなくなっている。そんな時に感じるひとりぼっちの寂しさが、一人きりで遠い旅路から帰って来たみたいに思えて嫌いではありませんでした。
わたしにとって「良い読書体験」とは、そういう旅の寂しさを感じさせてくれるものです。小説の読書をはじめ、本の読み方は旅路に似ています。つまり、同じ作品を読んだとしても誰一人としてその読み方はじつは同じではありえず、例えば小説テクストのどこに注目して読んでいるのかは人によって異なるのです。読み方がちがえば、紙上にひろがる世界もまたちがってくるわけですね。

『都会のトム&ソーヤ』
ところで、文芸コースには作品を「書くこと」を目的とした科目が多いですが、そうした科目の提出課題だけでなく、課外で自主的に書かれた作品の個別講評も行なっております。
わたしが着任してからすでに約二カ月が経ちましたが、文芸コースの皆さまから作品の個別講評のご依頼をたくさん頂きました(引き続きお待ちしております)。その中には文学賞への応募を検討している方もいたりなど、非常に意欲的な学生がとても多く、コメントをする側も緊張感をもって添削に望んでおります。
ただ一方で、本を読むことを通じてものを書いてきたわたしとしては、「作品を読むこと」の意義も少し主張したいところではあります。なぜなら、個別講評であれ、課題講評であれ、提出作品を読んでいると、「惜しい」と感じることがあるからです。惜しい、というのは、作品におけるモチーフの選び方や人物の設定、対象の描写の仕方、あるいは視点の取り方や発想の仕方など、とてもいいなと思いながらも、「あれとこれとそれを読んで参照すればもっと良くなるのに」と感じることが多い、ということです。
「あれ」と「これ」と「それ」と書きましたが、これらはつまり類似する作品や作品内容に関連する書物のことです。物書きなら多くの人が心得ていることですが、自分が書こうとしているものごとは、ほとんどの場合すでに誰かが書いています。新しい、個性的、と思っても、じつははるか昔に先行する同様の研究があり、類似した作品がある、というわけです。
むろん、だからと言って「新しさ」や「個性」といった価値の実現は不可能なんだ、と言いたいわけではありません。作家たちはむしろ先行する過去の作品群を下敷きにすることでユニークな創作を可能にしてきました。
例えば、上記に引用したはやみねかおるの『都会のトム&ソーヤ』は、言うまでもなくマーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』をオマージュしていますが、この『都会のトム&ソーヤ』の第十三巻「黒須島クローズド」において参照された作品は、江戸川乱歩の有名作『パノラマ島綺譚』です。そして、この『パノラマ島綺譚』もまた、エドガー・アラン・ポー「アルンハイムの地所」と谷崎潤一郎「金色の死」を下敷きにして書かれたとされています。

『パノラマ島綺譚』
このようにして、オリジナリティのある創作は、読んだ本の「組み合わせ」によって可能になっています。読書の遍歴、すなわち「紙上の冒険」を経て手に入れた様々な物語や知識の片鱗を、どのように組み合わせるのか。その「組み合わせ方」に、本当の意味での個性が宿るのではないかと、わたしは思います。
文芸コースの皆さん、もっと作品を読んでみましょう。「紙上の冒険」に終わりはありません。
文芸コース| 学科・コース紹介
大学パンフレット資料請求はこちらから
おすすめ記事
-

文芸コース
2026年04月23日
【文芸コース】AI日記2:AIに人間としての私を叩きのめしてもらおう計画
皆さん、こんにちは。文芸コース主任の川崎昌平です。 今回は2月に続いて、懲りずにAIに無知な私がAIに無謀に挑んだ成果をお話します。 2026年3月下旬に、AI…
-

文芸コース
2026年03月13日
【文芸コース】小説の描写とグラウンディング──描写は脳を癒し、その働きを目覚めさせる
文芸コースの麻宮ゆり子です。ここ4年ほど私は心理カウンセリングの勉強をしています。そんななか最近、心(=脳)を安定させる心理療法である「グラウンディング」が、小…
-

文芸コース
2026年02月20日
【文芸コース】AI日記:皆もすなるAIといふものを、AIに無知なる人文学系大学教員もしてみむとてするなり
皆さん、こんにちは。文芸コース主任の川崎昌平です。 今回のテーマは「芸術大学におけるAIとの向き合い方」でありまして……と書き出すと、ははあ、この川崎という教員…






















