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写真コース

2026年06月26日

【写真コース】本と展示、誰かから手渡されたものからの興味

写真コース 片岡俊


写真コースだから写真に打ち込んでいる。ただそれだけでいいのだろうか。人によって悩みは違うので、すんなりと自らの蓄えを増やしている方もたくさんおられるでしょう。私はどうだったろうか。いつも思うのは自らの力だけではなかったと言うこと。私の写真との出会いは学生時代の教員からで、「あなたが興味ありそうだから」と手渡された写真集に始まります。その写真集についてや興味を話しだすと文字が膨大になってしまうのでここでは書きませんが、今回は誰かに手渡されたものからの興味の波及と、近頃について書くことができればと思っています。

 

『現代美術史-欧米、日本、トランスナショナル』山本浩貴(中公新書)
『美学への招待 増補版』佐々木健一(中公新書)

6月が訪れてから上記の新書2冊を読みました。どちらも入門書と言えるような読みやすいもので、写真に関わる同世代の友人と話していて、「写真について考えることはいいけれど、何よりは作ること自体を考えたい」そんな会話がきっかけとなり、共に書店を彷徨きながら手にとりました。

先ごろ講座を担当した「写真表現拡張思考」(京都)もきっかけとなり、写真の裾野が広がることの愉しみが世の中と接続する様子は興味深く、多くの制作技法や考えが今の世の中を問う役割を担うことになるのだと、改めて現在や過去、何より作ることを知りたいと思うようになりました。この場で授業の内容を書くことは難しいですが、写真がその誕生から今まで拡張をとどめていないこと、おそらく変化をし続ける制作行為であると知ることが何より興味深いものでした。

 

『中西夏之 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』国立国際美術館
2026年3月14日(土)‒ 2026年6月14日(日)
https://www.nmao.go.jp/events/event/20260314_nakanishi/


ハイレッド・センター(高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名によって1963年に結成)の一員でもあった中西夏之。大阪の国立国際美術館にて開催されていた没後10年にして初の回顧展を鑑賞しました。
先日まで開催されていたKYOTOGRAPHIEの期間中に一人の友人が東京から京都を訪れていました。ひとしきり共に展示を鑑賞し食事をしていた時に「明日は中西夏之を観に行く」と。近頃思うのは、読んだ本や話した人、それによって気になった言葉、そういったものが一度ちらつくと、妙なほどにそれに関わる情報や出来事が集まり始める、ということです。この頃ちょうど読んでいたのが山本浩貴『現代美術史-欧米、日本、トランスナショナル』。日本美術史に関わる章は特に厚く書かれていた印象があり、そこでも取り上げられていた中西の名前は没後10年でありながらタイミングよく立ち現れてきました。

一人の作家に焦点を当てた展示というものは贅沢です。注力したシリーズ、時期毎に変化する興味。包括する軸や理論、立ち現れる色彩や構成は、作家(作り続ける人・私たち)自身を考える契機となります。私自身は現在製作している作品の助けとなるような「作家が意図しなかった変化」「継続性・持続性・共通性」などが浮かびました。



 

『没後50年 髙島野十郎展』大阪中之島美術館
2026年3月25日(水)‒ 2026年6月21日(日)
https://nakka-art.jp/exhibition-post/yajuro50/


福岡県久留米市出身の洋画家、髙島野十郎の回顧展が大阪中之島美術館で開催されていました。氏の作品を見たいと待ち焦がれていた作品展でもあり、私自身にも強い影響を及ぼしたと考えている作家の一人です。ここでもはじまりは書籍が浮かびます。

 

『高島野十郎画集 作品と遺稿』(求龍堂)

今から10年ほどまえに書店で見かけた書籍、「こんな作家知ってる?」と書店員である友人が教えてくれました。髙島野十郎という名前も初耳でしたが、手に取り開いたページを捲るたび、作家が対峙する風景や樹木、蝋燭の火に月明かり、自画像までも、全てに通底する生々しい緊張感に衝撃を受けました。作家が何かと対峙していた。その事実。現実を絵にすることの真剣さ。本当に描こうとすること。

書籍に掲載されていた作品によって受けた髙島野十郎の人物像(作る人の姿)はある種、想像の域にありますが、私自身が「作る」をする上での一つの指針となっています。

写真を今日撮った。明日も写真を撮ろうと思っている。眠る前にバッテリーを充電する。いくつかの手に入れたい写真集がある。写真以外のものから受ける影響というものがある。通信写真コースで続く学び、その流れの中で授業は間違いなく「写真」に突出しています。しかし、「私」をかたち造るのは、写真以外のものが含まれます。写真以外からの蓄えは何より作家としての個人を拡張し養います。知らないことを知ることの面白さ、凝り固まった時にこそ、他分野を知り触れること、写真は想像以上に他分野に開かれていることも、写真表現拡張思考の授業を終えて実感しているところです。

いつまでも続く写真の途上、晴れない問いが作るたびに生まれては、写真を撮ることでややもやが晴れる。作っては思考する学舎のおもしろさを学生の皆さん自身も感じていればと思うこの頃です。

 

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