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2026年07月29日
【歴史遺産コース】 寛永行幸四百年②―いくらもらった?―
以心崇伝版『寛永行幸記』(紅葉山文庫旧蔵・国立公文書館所蔵、請求番号:145-1018)によると、行幸2日目(9月7日)の朝に将軍徳川家光から、翌3日目(9月8日)の朝に大御所徳川秀忠からの進献品(プレゼント)が贈られています。
家光から、天皇へ白銀30,000両+御服200領+その他、和子へ10,000両+御服50領+その他、前子へ10,000両+御服50領+その他、女一宮へ3,000両+御服30領+その他、女二宮へ2,000両+御服20領+その他。
秀忠から、天皇へ金2,000両+御服100領+その他、和子へ白銀10,000両+御服30領+その他、前子へ10,000両+御服30領+その他、女一宮へ3,000両+御服20領+その他、女二宮へ2,000両+御服20領+その他。

慶長小袖(「松皮菱段小文様小袖 染分綸子地 絞り染・刺繡・摺箔」京都国立博物館所蔵、重要文化財、岡山藩池田家伝来)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/I甲367)
「領」(りょう/くだり)は着(ちゃく)と同様に衣服を数える単位です。合計550着。ちょっと想像がつきません。
「白銀」(はくぎん/しろがね)は贈答用の包み銀のことで、銀10両=銀1枚=銀43匁でやりとりされます。江戸時代初頭は銀50匁=金1両でしたから、合計白銀80,000両=金6,880両+金2,000両=金8,880両。金1両は時期によって、何と比べるかによって価値も変わりますが、大雑把に約10万円と考えると、この5人に対してだけで約8億円をバラまいたことになります。

慶長銀(草間直方『三貨図彙』〈滝本誠一 編『日本経済叢書』巻27 日本経済叢書刊行会 1916.8、出典:国立国会図書館デジタルコレクション〉)
天皇には公家(摂家、堂上、非蔵人、地下官人)や親王、門跡(僧侶)、女中たちが随行していました。
和子や前子もそれぞれ女中たちを従えて同行していましたから、当時の朝廷に属すほとんどの人々が参加していたことになります。
以心崇伝版『寛永行幸記』によれば、行幸2日目(9月7日)の夜、彼ら彼女らにも、将軍家光から手厚い拝領物(プレゼント)が贈られたといいます。
同晩至、宮衆・摂家衆・門跡・諸公家衆・地下、各有賜。或白銀三千両・綿衣二十領、或二千両・千両・五百両、綿衣十領・五領。依仁体有甲乙。見左録。宮衆・公卿衆、被添御太刀一腰、共名作。
同書末尾の「従将軍家諸家拝領之目録」(以下、『拝領目録』とします)は誰にいくら贈ったか詳細なリストになっていますが、「白銀」を合計すると120,300両=金10,345.8両となります。約10億円です。
「綿衣」は木綿の小袖で、計1,718領。
親王・摂家と公卿の一部、計30名は、「名作」の「御太刀」1腰(よう/こし)ももらったことになっています。
「仁体(にんてい)により甲乙あり」、すなわち、人によって贈り物の量は異なっていました。
たとえば、筆頭に挙げられている関白・左大臣の「近衛殿」(信尋、28歳)は、自身の日記に「銀子三百枚・太刀〈雲次〉・小袖二十」をもらったことを記しています(『本源自性院記』別記「寛永三年行幸日記」)。このとき拝領した「太刀 銘 備前国住雲次」(重要美術品)は、近衛家所有の文化財を継承した公益財団法人陽明文庫(京都市右京区)に現存していますので、正確な情報といえるでしょう。
近衛家と同じ摂家の家格を有する九条家では、当主の「九条殿」(忠栄、41歳、従一位前関白左大臣。のち幸家と改名)が銀2,000両と綿衣20領と「行平」の太刀、嫡子の「九条殿若御所」(忠象、18歳、正三位権大納言・右近衛大将。のち道房と改名)が銀2,000両と綿衣10領と「守家」の太刀を拝領したことになっています。宮内庁書陵部所蔵『九條道房公雑書』には、裏に「寛永三寅年行幸二条第、自両将軍之折紙」とメモ書きされた「太刀〈守家〉 一腰」・「馬 一疋」の進物目録が収録されていますので、一応信用しておきましょう。
六位蔵人の壬生忠利(27歳)は9月7日の日記(宮内庁書陵部所蔵『忠利宿禰日記』)に次のように記しています。
七日、丙【亥】[子]。晴。参二条亭。今日被下饌〈殿上人一行〉。次自大樹(将軍家光)呉服五領・白銀廿枚拜領。殿上人分、各同前。
将軍家光から呉服5領・白銀20枚を拝領した。殿上人はみな同じ。
公家は、三位・参議以上を公卿(くぎょう)、五位以上を殿上人(てんじょうびと)、それ以下を地下(じげ)官人と呼び、ランク分けされていました。忠利は六位の地下官人でしたが、蔵人のため殿上人の末席に連なっており、同量をもらえたのです。
ところが、天皇の最も近くで奉仕していた殿上人の土御門泰重(41歳、従四位下中務少輔)は、7日の日記(『泰重卿記』)に次のように記しています。
(前略)其以後、公卿分衆、艮(銀)子三十枚・小袖十・太刀一腰拝領也。雲客之衆(殿上人)、艮子二十枚・小袖五ツヽ拝領也。雲客衆内ニテ、滋野井(季吉)・高倉(嗣良)・竹内(孝治)三人、小袖十・艮子三十枚之由、承及候。水無瀬前宰相(氏成)ニハ、何たる失念候哉、艮子二十枚・小袖五、事外不興、理被申候由、承及候。予(泰重)・黄門(中御門宣衡)、侍御前、拝領不存候。(後略)
公卿は銀子30枚・小袖10・太刀1腰を、殿上人は銀子20枚・小袖5を拝領した。ただし、殿上人のうち滋野井・高倉・竹内の3人は銀子30枚・小袖10ももらえた。水無瀬氏成は前宰相(前参議)であるのに銀子20枚・小袖5であったためことのほか不機嫌で訴え出た、と伝え聞いた、というのです。
先述の『拝領目録』によれば、確かに竹内孝治は殿上人ながら白銀300両・綿衣10領を拝領したことになっています。ところが、滋野井季吉と高倉嗣良は白銀300両・綿衣5領と書かれています。泰重の情報はあくまで伝聞ですから、こちらが正確なのでしょう。
この微妙な差の原因ははっきりしません。行幸当日・前後に何か任務を果たしたのか、ふだん和子に奉仕していたのか、そのあたりが想定されますが、目に見える形で将軍家との距離感(親疎)が明示されてしまったのです。幕府は贈り物に微妙な差を設けることで、公家社会の忠誠競争を煽ったとみることもできます。
『拝領目録』によると、水無瀬氏成の息子兼俊(34歳、正四位下左近衛権中将)が白銀200両・綿衣5領を拝領したことになっていますから、担当者は父子を取り違えてしまったと考えられます。
プレゼントの量が少ないことを言い立てるのはなかなか強靭な精神力が求められるように感じられますが、序列の明確な格差社会に生きる当時の人々にとっては、死活問題なのでした。
地下官人筆頭の壬生孝亮(52歳、正五位上左大史。忠利の父)は8日の日記(宮内庁書陵部所蔵『孝亮宿禰記』)に次のように記しています。
(前略)今日(昨日ヵ)自摂関家以下至六位蔵人、自大樹(将軍家光)拝領物有之云々《摂家方、銀二百枚、金作御太刀、小袖十重宛云々。 宮方 御門跡方 大中納言 参議等分、可尋。殿上人、白銀廿枚、小袖五云々》。
親王や門跡・大納言・中納言・参議の拝領物は、あとで調べよう(「可尋」)。
誰がどれくらいもらったのかという情報は、わざわざ調査する必要があるほどの重要事項なのでした。
なお、孝亮の日記の9月16日条には、次のようにあります。
十六日、乙酉。晴。去九、於二条亭自大樹之拝領銀、今日於二条城令請取之。
(去る9日に二条城で将軍から拝領した銀を、本日二条城で受け取らせた。)
忠利の日記同日条にも次のようにあります。
二条行幸之間、予拝領銀廿枚、遣侍令請取。
(二条城行幸のときに私が拝領した銀20枚を、侍(家来)を派遣して受け取らせた。)
孝亮は9日、将軍家光から白銀10枚を拝領していました(『孝亮宿禰記』)。どうやら行幸当日は数量を記した進物目録が配られ、後日各々が引き取りに来ることになっていたようです。
当然と言えば当然ですが、250名近い随行者全員へいっぺんに現物を渡すとなると、大混乱が予想されます。実際、水無瀬家のように人物を取り違えるというトラブルも発生してしまったわけですから、現実的な対応といえるでしょう。
なお幕府は、行幸に供奉した公家衆には「装束料」(衣装代)を支給しています。ところが、末端の地下官人への支払いは拒絶したため、論争になるという一件が発生しています(北堀2007)。
ケチったわけではなく、先例や今後のことも考えての判断だったようですが、「物を贈る」という行為はとても難しいものだと思ったのでした。
一つの史料だけでは、このような裏事情はわかりません。複数の史料を突き合わせて、史料批判を行なうこと。歴史学では、とても重要な作業です。
なおなお、天皇へ贈った刀剣についても謎があるのですが、それはまた次(③)のお話しとしましょう。
参考文献
近衛通隆・名和修・橋本政宣 校訂『史料纂集 本源自性院記』古記録編第50 続群書類従完成会 1976.7
本田慧子・武部敏夫 校訂『史料纂集 泰重卿記』第3 古記録編第138 続群書類従完成会 2004.6
北堀光信「近世行幸と装束料」『風俗史学』第35号 2007.1(『豊臣政権下の行幸と朝廷の動向』清文堂出版 2014.6再録)
参考サイト
貨幣博物館HP 江戸時代の1両は今のいくら? ―昔のお金の現在価値― https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/edojidaino1ryowa/
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