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文芸コース

2026年08月17日

【文芸コース】文学と剣道

皆さん、こんにちは。文芸コース主任の川崎昌平です。
今年の2月から中学生以来となる30年ぶりの剣道を再開しました。地元の道場に参加させていただき、週に2回、水曜日の夜と日曜日の昼に稽古をしています。きっかけは5歳の息子が剣道をやりたいと言い出して、それならまあ、私も一緒にやろうかと腰を上げたことなのですが、いや、もう今では私もすっかり夢中になっています。

私が執筆中の漫画『リバ剣44』から(以下同)。



もちろん、老いた肉体はまったく思う通りに動きません。一応、私は有段者(二段)なので、それなりにやれるだろうと目論んでいたのですが、甘かった。もう何もかもできないんです。蹲踞の姿勢もそうですし、脚の運びも竹刀の握りも、全部忘れていました。



でも、半年ほど稽古を続けていて感じるのは、その「うまくできない自分」という存在が、どうしてか、楽しく思えてしまう事実です。おそらくですが、これは私が自分の弱さを、明確に客観視できる状況を、喜んでいるからではないかと推測しています。道場には小学生も多くいますが、地稽古などをしても、私は彼らにこっぴどく打ち込まれます。圧倒的に小学生のほうが強いんです。すると、自然と、しょうもない謙遜や嘘くさい卑下などではなく、素直に「あ、俺って弱いな」と自覚できる……その構造に、私は魅了されているのでしょう。



剣道には、必ず相手がいます。素振りなどはともかく、ほとんどの稽古は、ひとりでやるわけではありません。自分とは異なる人格を有する、自分とは別の人生を歩む、明確な一個の他者性がそこにある。お相手と向き合った私は、私ではない他者のアクションによって、鮮烈に私の弱さを自覚します。



剣道と同じように、表現にも必ず相手がいます。読者であったり観客であったり視聴者であったり鑑賞者であったり……呼称はさまざまですが、表現を受容する相手を想定しない作業は、独りよがりの児戯であって、表現の名に値しません。
が、そのテーゼを頭でこそ理解していた私は、真実、真摯に相手に向き合っていたでしょうか? 手癖で原稿を書いていなかったか? 締切を言い訳に練り込まず筆を走らせてしまっていたのでは? たいした作家でもないくせに経験を語ってごまかそうとしていなかったか?
そう、反省することだらけでした。文学は、その根底に「言語情報の伝達」という役割を有します。しかし、相手を真剣に見ようとしていなかった私は、私の中の文学性において、相手と、すなわち読者と、真っ向から打ち合おうとしていませんでした。手持ちの言葉をせっせと並べるだけの、書き方をしていました。攻めにも守りにもなっていない、安全な場所から無難な主張を繰り出すだけの、柔弱な、卑怯な、レベルの低い文学を私はしていました。
されど、剣道のおかげで自分を弱い人間であると改めて認めることができたからでしょうか。ここ数ヶ月、私の表現活動はかなり順調です。まだまだ結果は出ていませんが、「弱いなりに前に出よう、真っすぐ攻めて打つような文学をやろう」と決心して、いろいろとチャレンジしています。試行錯誤を重ねて実験をすることすら、ここ数年やっていなかった気がしています。まったく、充実の日々です。

文学において表現を志す皆さんも、ぜひ「自分の弱さ」を自覚できる体験をしてみてください。敗北感や悔しさに襲われる側面もありますが……きっとそれがあなたの文学性を、新たな境地へと運ぶための契機となるはずです。


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