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歴史遺産コース

2026年08月28日

【歴史遺産コース】江戸時代の日記

こんにちは。
歴史遺産コースの業務担当非常勤講師の山下です。


最近、一部で日記がブームとなっているようですね。日記の専門店「日記屋月日」ができたり、その出版部から専門誌(『季刊日記』)の刊行が始まったりしています。
私は最近、『フィクションと日記帳』という本を読みました。「表現の最小単位としての日記」などとして論じられる、言語表現としての「日記」をめぐる思索は、普段研究するなかで昔の日記を読んでいる私にとってもたいへん刺激的なものでした。
そこで今回のブログでは、江戸時代に書かれていた日記についてすこし紹介してみようかと思います。

江戸時代にも日記はたくさん記されていました。ただし、ひとくちに「日記」と言ってもその内実はさまざまです。現代の日記にも、プライベートなものから、公開を前提にして書かれるブログや日記本、役職の記録としての業務日誌などまでいろいろとあります。江戸時代には、加えて文体の問題(候文・和文・漢文)もあったり、記されてからかなり後になって清書したり編集したりするものもあって、分類しようとするとなかなかに複雑です。
そのような江戸時代の日記を概観し把握しようとする書籍に、近年出された『近世日記の世界』があります。おおくの日記を実際に分析し紹介しているだけでなく、史料としての「近世日記」の特質も論じられており、さらに巻末には677点に及ぶ「近世主要日記一覧」が付されています。ちなみに、そんな『近世日記の世界』での「近世日記」の(仮置きの)定義は次のようなものです。

「ある主体的意志のもつ人格のもとで、日々、自らの言葉で書き継がれた日次記」

日々書き継ぐこと。「主体的意志」で「自らの言葉」を書くこと。言葉じたいは違いますが、現在の日記ブームでも注目されている点ではないかと思います。『近世日記の世界』を踏まえて今後進んでいくだろう近世日記研究と、現在の日記ブームのなかで考えられている問題にも接点はありそうですね。

石井久左衛門「萬日記」(第一巻)天保十四年正月条、青森県立図書館所蔵、青森県立図書館デジタルアーカイブ、 https://da.plib.pref.aomori.lg.jp/archives/detail?cls=collect_01&pkey=10203131258



林読耕斎「欽哉亭日録」寛永十九年陬月(正月)条、東京国立博物館所蔵、東京国立博物館デジタルライブラリー、https://webarchives.tnm.jp/dlib/detail/4168



川合小梅「小梅日記」嘉永二年八月条、和歌山県立図書館所蔵、和歌山県立図書館デジタルアーカイブ https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/digitalarchive/cat82/1-2.html



さて、ここからは江戸時代の日記をすこしだけ実際に紹介してみましょう。二点ほど挙げてみます。

まずは、西谷さくという、19世紀の古市(現・大阪府羽曳野市)に生きた在郷商人の娘の日記です。さくは天保十三年(1842)生まれで、安政七年(1860)、数え十九歳の時の日記が三冊残されています。十九歳ではありましたが、病気の父に代わって家の切り盛りなども行っていました。安政七年の三月一日条の一部を見てみましょう。

「一、ひるから安吉よむきつみニ行
一、ひなさんかざり候」

一日のうちのさまざまなできごとを一つ書きで羅列する形式です。「よむき」は「蓬」で、この日の午後に下男の安吉が蓬を摘みに行ったという記事。「ひなさん」はお雛さまですね。日々の生活の様子がわかります。少し後の三月七日条には「早々さく髪あらい候」と、髪を洗ったことを記したりもされています。また、人に物をもらって帰ったことを「もろて帰り候」(安政七年三月七日条)と記しているなど、方言(河内弁)が出てくるところも面白い。ただ、個人的な感慨などが記されることはあまり多くはありません。自身や使用人の動きや近所付き合い、お金の貸し借りなどの様子が比較的淡々と記されています。しかし、どのできごとを日記に記すか、それをどういう言葉で記すか、という選択にその考え方をかいま見ることができるでしょう。

次に紹介するのは、すこし特殊な日記です。
江戸幕府に仕えた林鵞峰という儒学者による漢文での日記(「国史館日録」)。鵞峰は元和四年(1618)に京都で生まれ、成人後は江戸で暮らしていました。特殊なのは漢文であるという点ではなく(江戸時代には漢文日記も多くありました)、その日記の記され方です。実はこの日記は鵞峰じしんが筆を執っていない部分があります。門人に口で伝えて書かせた、つまり口述筆記です。日記にはたとえば次のような記事があります(寛文七年(1667)七月一日条)。

「今夕閑暇、懐旧頻萌、欲睡不能交睫、故喚石習任口記之」
(今日の夕方は暇があり、昔を思いだす気持ちがしきりに起こって、眠ろうとしても眠れなかった。そのため石習を呼んで、口から出るにまかせてこれを記している。)

「石習」というのは門人の石井重武という人物の名を中国風に呼んだもの。門人を呼んで口述筆記で日記を記しています。漢文を口述筆記する、というのは中国語を話したのではなく、日本語として読み下したもの(訓読文)を口で述べて、それを門人が漢文にして記すということです。これは、そもそも漢文執筆・読解(訓読)を門人に教育するための方法として口述筆記というやり方があったのを日記にも応用していたということでしょう。
日記史料として面白いのは、この場合、日々の記録がそもそも他人の目に触れ、他人の筆によって記されているという点です。鵞峰の日記には、個人的な感慨や門人たちへの批評などもおおく述べられていますが、それらはいずれも門人たちに聞かれることが前提のものとして内容も言葉も選ばれていたのだということです。なかなか類例の少ない事例ですが、日記の取り得るかたちの一つとして興味深いものです。

このほか、例えば琉球の役人の日記(高里唯紀「御物城高里親雲上唯紀日記」)についての研究では、事前(おそらく前日あたり)に一日の予定を日記に書き込んでおき、予定に無いことが起こった場合には後ほど追記したり、整序したりしていること、さらにその後日記全体を清書していることなどがわかっています。一日の終わりに振り返って書くという単純な形とはかなり違っていますね。一方で、家の日記(「家乗」)と銘打ちつつも、若い頃の実らなかった恋の様子が書き残されているようなもの(石橋生菴「家乗」)もあったりして、日記といっても実にさまざまです。

現在のわたしたちが親しむ日記と近いところもあれば、おおきく異なっているところもある。そんな江戸時代の日記史料に触れてみることは、日記について考えるヒントにもなるのかもしれません。もちろん江戸時代の人びとがどう生き、何を感じたかを知るための重要な手がかりでもあります。

 

《参考文献》
・山本浩貴(いぬのせなか座)『フィクションと日記帳』(いぬのせなか座、2025年)
・福田千鶴・藤實久美子編『近世日記の世界』(ミネルヴァ書房、2022年)
・羽曳野市史編纂委員会『羽曳野市史』第五巻(羽曳野市、1983年)
・薮田貫『男と女の近世史』(青木書店、1998年)
・高山大毅「林鵞峰の問答体」(『駒澤國文』552018年)
・下郡剛『琉球王国那覇役人の日記』(臨川書店、2017年)
・西岡直樹『〈日常〉のなかの近世』(清文堂出版、2023年)

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