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文芸コース

2026年09月16日

【文芸コース】小説の冒頭で、なぜ主人公の状況を説明してしまうのか

文芸コースの麻宮ゆり子です。
私は、学生の小説を十年以上読んでいるのですが、以前からずっと気になっていることがあります。それは、「小説の冒頭で、いきなり主人公の状況を説明している人が多い」ということです。
そこで今回は、「なぜ小説を書くとき、いきなり主人公の状況を説明してしまうのか」、「では、プロの作家はどうしているのか」という点について述べていきたいと思います。

なぜ冒頭で、説明してしまうのか


まず一つ目の理由として考えられるのは、「説明と描写」の違いをまだ十分に理解していないからではないでしょうか。「説明するより描写しよう」「読者を作品に没頭させるためには、描写を駆使する」ということは、以前にもこのブログで書いています。「描写とは何か」という点についてもすでに書いているので、興味のある方は、まず過去のブログをさかのぼって読んでみてください。

二つ目の理由は、文芸コースに入る方の多くが、「初めて小説を書くから」ではないかと思います。私が感じている限り、文芸コースに入る方には、「小説を書きたい」と思っているにもかかわらず、「今まで一度も書いたことがない」という人がかなりいらっしゃいます。「小説を書きたい」けれども、「なかなか書けない」。
だから文芸コースに入って文学や文章について学び、自分の文章と出会い、最後には小説を書いて発表してみたい、ということなのだと思います。
その気持ち、よくわかります。確かに、小説を書くのって、怖いですよね。だから文芸コースに入ることで、やっと小説を書けるぞ、と感じているような方も多いのではないかと思います。

しかし、だからこそ、初めて書く小説の出だしで「主人公の状況を長々と説明してしまう」というのを、無自覚なままやってしまうのではないでしょうか。
いやいや、もちろんそれがいけないと言っているのではありません。むしろ、最初はそれでいいんです。
「自分は小説の冒頭で説明をしがちだな」と気づくために、こうして私もここで話しているわけですから、自分の小説を否定する必要は一切ありません。とにかく、ひとまずそれでいい。あとは気づいて学べばいいだけのことですからね。

ちなみに、「初めて小説を書いた」という方でも、不思議と「冒頭で状況説明をせず、かなり描写ができている」という方もいらっしゃいます。そういう方には、私もつい興味津々で質問をしてしまうのですが、私が聞いた限りでは、おそらく「小説をたくさん読んでいるから」というのが一つの要因としてあるようです。
たくさん読んでいるからこそ、小説の冒頭がどんなふうに始まるのかを知っている。無自覚ではあっても、これまでの読書体験の積み重ねによって、体感として身についている。そんな感じです。
でも、「小説の本をよく読むんですか」と私がたずねると、こういう方は、たいてい謙虚な人が多いので、「えっ、まあ、そうなんですかね。普通だと思いますけど」といった、どっちとも取れるような返答をいただくこともあります。

だけど、こういう方って、やはりちょっとした合間に、スマホではなく「小説の本」を手に取っているんですよね。つまり、隙間時間に読書をするという経験を、長年にわたって積み重ねている。そういう読書習慣があるからこそ、

「小説の冒頭では、なるべく説明をしない」
「冒頭は、とにかくおもしろく書く」
「冒頭は、読者を物語の世界に惹き込むために、とても大事なところ」

といったことを、すでに知っているのではないでしょうか。だから、「初めて書いた」にもかかわらず、冒頭から読者を物語の中にぐっと引き込むような描写を、無意識に書くことができるのではないかと思います。

小説の冒頭と、「説明書」の違いとは


「小説を書いたことがない」という方は、基本的に、登場人物の詳細やプロット、物語の舞台となる設定などを、本文を書き始める前にあまり決めていない場合がほとんどであるように思います。だから、冒頭で主人公について説明をしてしまう。「主人公に関すること」をまだ十分に作っていないし、決めてもいないから、執筆しながら主人公の情報を探っているような状態です。
その結果、冒頭で状況説明が続いてしまう、ということが起きるのだと私は感じています。

もちろん、「書きながら探る」という行為が大事なときもあります。頭の中だけでじっと考え込んでいるより、実際に手を動かして書いているうちに、ふっと新しい発想が出てくることもあるからです。
しかし、たとえそうであっても、自分が書いた文章をあとで読み返したときに、「あかん、ここで長々と説明しすぎてるやん」と気づくことが大切なのです。
気づいたら、推敲する。それだけで、「状況説明を延々としてしまう」という状態は避けられるはずです。けれども推敲しなければ、文章はそのまま残ってしまいます。

ところで、冒頭で状況説明をしてしまう方には、そもそも「人は何のために小説を読むのか」「どんな目的で読むのか」という視点が、まだ抜けている可能性があるのではないでしょうか。
もちろん、その理由は人それぞれです。

「現実を忘れて、楽しみたい」
「会社で上司と部下に挟まれていて、つらい。だから、それを忘れるくらいおもしろいものを読みたい」
「日常が退屈で仕方がない。だから、小説の世界に没頭して非日常を味わいたい」
「この小説を読んで、自分が生きている現実を、別の角度から捉えることができるようになりたい」

他にも挙げていったらきりがありません。しかしやはり、
「ワクワクしたい」「ドキドキしたい」「えっ、と驚かせてほしい」「小説の世界観にたっぷり浸って、楽しみたい」
といった感覚を求めて、小説を手に取る人は多いのではないでしょうか。
それなのになぜ、あなたは、まだ小説の冒頭で状況説明をしてしまうのか──。

では、具体例を挙げてみます。
まずは、「アルコール性肝炎」や、飲酒による身体の変化について書いている、次の説明を読んでみてください。
慢性アルコール性肝炎では、初期は無症状のことが多く、健康診断での肝機能異常で発見されることがほとんどです。進行すると、全身倦怠感、食欲不振、腹部膨満感などの非特異的な症状が現れます。

急性アルコール性肝炎では、黄疸、発熱、腹痛、嘔吐などの急性症状が現れます。黄疸は皮膚や白眼が黄色くなる症状で、ビリルビン値の上昇により起こります。
重症例では、腹水、浮腫、意識障害などの肝不全症状が出現し、生命に関わる状態となることがあります。このような場合は緊急入院による集中治療が必要です。

(しもたかいどホームドクタークリニックHP『アルコール肝炎』から引用)
https://shimotakaido.home-doctor.clinic/symptom-search/gastroenterology/alcoholic-hepatitis/

 
アルコール依存症では、顔つきと同様に目つきにも顕著な変化が現れます。
これは肝機能や血流、脳神経の状態が目の色や輝き、焦点の合い方に反映されるためです。
白目の色や血管の浮き出し、まぶたの腫れ、クマなどは、単なる疲れや寝不足と混同されがちですが、慢性的な飲酒習慣が原因となっている場合も多く見られます。
また、脳機能の低下に伴う視線の虚ろさや焦点のズレは、依存症の進行を示す重要なサインです。

白目の黄ばみ(黄疸)
肝臓がアルコールの影響で損傷すると、血液中にビリルビンが蓄積し、白目が黄ばみます。
これは黄疸の典型的な症状で、肝炎や肝硬変などの重篤な肝疾患を示唆します。
白目の黄ばみは日常的に鏡を見ていても気づきにくく、他人から指摘されて初めて意識することも多いです。
黄疸が見られる場合、すでに肝機能が大きく低下している可能性が高く、早急な医療介入が必要です。

 (新宿よりそいメンタルクリニックHP『アルコール依存症の顔つき・目つき・手の震え|見た目でわかるサインと原因・改善法を徹底解説』から引用)
https://ashitano.clinic/column/alcoholism-face/

 

どちらも病院のHPに掲載されている説明で、アルコール性肝炎や、飲酒によって黄疸を発症する例について書かれたものです。
こうした文章を読むとよくわかりますが、説明というのはまさに、「読者が求めている情報を、できるだけ早く伝えるための文章」です。
必要な情報に少しでも早くたどり着けるよう、可能な限り無駄を省く。これが、説明文の大きな特徴です。
つまり、「アルコール性肝炎や依存症、さらに黄疸について、すぐ知りたい」という方のために書かれているのですから、必要な情報がはっきりと、わかりやすく示されています。

では、次の文章を読んだら、みなさんはどう感じるでしょうか。
「普段からこんな色なんですか、あんたの目」
医者はおれの上下のまぶたを裏返してのぞき込む。
「はあ。ま、どっちかっていうと濁ってるほうですが。でも、すこし黄色っぽいかな」
「“すこし”じゃないでしょう。顔の色だってほら、真っ黄色だ」
「黄色人種だからね」
おれは口をきくのもだるかったのだが、癖で軽口を叩いてしまった。
「冗談言ってる場合じゃないよ。黄疸だよ、これは」
年配の看護婦が、さっき取ったばかりのおれの血液検査の結果を持ってきて医師に渡した。医者は鼻眼鏡の奥の、糸のような目で検査用紙を見ている。おれものその紙をのぞこうとしたら、ついっと紙を立てて隠した。
そして、その用紙越しに医者はおれの顔を二、三秒、黙ってながめた。
「あなた。この病院まで独りで来たの?」
「はい」
「よく歩いてこられたね」
「は。じゃっかん、つらかったです。だるくて……」
「生きてるのが不思議なくらいの数字だよ、これは。γGTPが一三〇〇だって……いったいどれくらい飲んだんだ」
「一本くらいですね」
「毎日かね」
「毎日です」
「それを何年くらい」
「一八からですからね。一七年くらいかな」
医者はため息をついて、カルテにその数量を書き込んだ。
「入院してもらいますよ、気の毒ですがね」
少しも気の毒なことなんかあるものか。とにかく、一分でも早くベッドの上に倒れ込みたいのだ。

『今夜、すべてのバーで』(中島らも、講談社文庫、P78から引用)

これは、『今夜、すべてのバーで』の冒頭です。
読んだらわかるように、この文章は最初から主人公の状況をまとめて説明しているわけではありません。主人公である「おれ」の心の内や、病院内の様子、医者や看護師の姿、そして現在の「おれ」の健康状態が、会話のやり取りを交えながら、少しずつ描かれています。

書かれている情報そのものは、さきほどのクリニックの説明と、とても似通っています。しかし、説明と描写では、こんなにも文章の書き方が違うのです。
小説を手に取る人は、医療情報のように、「必要な知識をできるだけ早く知りたい」という目的で読むわけではありません。むしろ、「ワクワクしたい、ドキドキしたい、笑いたい、楽しみたい、物語の世界に没頭したい」といった感覚を求めて、小説を読むのではないでしょうか。

だからこそ、小説では、情報を最短距離で伝える必要はないのです。一冊分の尺を使って、読者が求めているものに、たっぷりと応えていく。そうやって読者の欲求に応えながらも、主人公に共感させ、いつの間にか物語の世界へと惹き込み、巻き込んでいく。
その力を支えているものこそが、描写なのではないでしょうか。

描写は、いわゆる「説明書」とは種類が違います。だから、「情報を、すばやく、わかりやすく開示する」という書き方が、必ずしも必要なわけではありません
むしろ小説は、大切なことをはっきりとは書かずに、物語を通して、「何となく読者に感じ取ってもらい、気づいてもらう」──これこそが小説、そして描写の大きな役割でもあるのだと私は思っています。

アルコール依存症の当事者や、現実にその問題に直面している人であれば、何より求めているのは、クリニックのHPにある「説明書」のような文章かもしれません。命がかかっているわけですから、時間もない。余裕を持って読んでいる場合ではありません。
その一方で、『今夜、すべてのバーで』を手に取る人は、アルコール依存症の方ばかりではないでしょう。「そんな病気とはほぼ縁がなかった」という人も多いはずです。
けれど、そういう方であっても、この冒頭を読むだけで、

「アルコール依存症になると、倦怠感があるんだな」
「黄疸は目に、こんな変化が出るんだ。しかもあまり自覚がないんだな」
「どんな飲酒の仕方をしていると、アルコール依存症になるのかな」

といった知識を、自然に得ることができます。
しかも、それだけではありません。主人公の言葉や仕草、医者とのやり取りなどの描写を読むうちに、主人公がどんな状態にあり、どんな気持ちでいるのかも、少しずつ伝わってくるのです。
これが、「説明」と「描写」の大きな違いなのではないでしょうか。


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