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書画コース

2026年09月28日

【書画コース】書齋

皆さん、こんにちは。書畫研究室の渡邊浩樹です。今回は、手記みたやうな内容で、記事を書かうと思ひます。何でも、實際に卽して書いたものは、天然の良さを持つてゐると考へるからです。

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先ごろ、譯あつて、川端不條先生ご夫妻と僕とで、五郎川健先生の爲に宴席を設けた。
それが濟んでから、五郎川先生は僕等を御宅へ上げて下さつた。
机の下を示して「僕の場所だ」と言ふから、其處を見てみると、書や篆刻などの本だけでなく、夏目漱石の本なども澤山に並んでゐた。
特に『思ひ出す事など』が、僕は目にとまつた。以前から好きで繰り返し讀んでゐるが、つひ一箇月ほど前にも、病臥した際に讀んだのである。
書畫篆刻の作品をお見せ頂き、極めて嬉しいことに、私は王羲之の「蘭亭序」と、趙之謙の題字の、臨書作品を頂戴した。「蘭亭序」の方は、五郎川先生が夏期の「行書法・草書法」の授業で、歷代名家の作品を紹介した最後に、投影して映してゐた作品であつた。

1 五郎川健先生 臨 王羲之「蘭亭序」



2 五郎川健先生 臨 趙之謙題字



趙之謙は「碑學」、王羲之は「帖學」で、風格は正反對ですが、いづれをもこれほどまでに臨書せられる學書姿勢は、「碑帖兼習」と言ふべきでせう。
奥さんが留守にしてゐる閒だからといふことで宅へ上げて頂いてゐたのであるが、「じきに歸つて來るだらう」とのことだから辭去しつゝある時、とあることに思ひ至つた。
今回の旅には、漱石の『それから』を攜へて來てゐた。それは鞄に入つてゐたので、玄關の手前で、川端先生が靴を履き終はるのを待つ閒、「實は僕も漱石が好きで、この通り今、『それから』を持つてゐるのですよ」と申し、本を出して見せた。
さうしたら、五郎川先生は喜んだ樣子で、「あの、陶淵明の詩が引いてあるやつなども好きです」と言ひながら、僕らと共に玄關を出られた。
陶淵明の詩が引いてあるといふのは『草枕』で、これは僕も好きだから今年に入つてからも二度ばかり讀んだ。また、一箇月ほど前に病臥したと述べたが、その最も體調を崩す直前に、『草枕』に引かれてゐる陶淵明の「飲酒」詩の其五を、行草書で書いてゐたのであつた。
その日は、僕の六代前の先祖の命日で、彼は通諱に「五」といふ字があり、隱居名に「柳」といふ字があつて、本來の名は記錄が殘らない人である。このことが、「五柳先生」の號で知らるゝ陶淵明と重なつたから、彼の戒名や命日等を過去帳に記した餘りの墨で、平生愛誦してゐる「飲酒」其五を書いた。
漱石は高名な文人だが、僕の周圍ではその作品を愛讀する人はゐないから、五郎川先生が漱石を好きだと聞いて、隨分嬉しがつた。
そんな滿ち足りた心持ちで外へ行かうとしたら、先生の奥様が歸つてゐらした。氣の弱い僕は、留守中を良いことに宅へ上がつてゐたことを謝する爲に平身低頭し、一言も喋らずに表へ撤退した。五郎川先生は奥さんに「いま、上、散らかつてゐます」と言つて、僕らを送つて呉れる爲に、一緒に表へ出ていらしつた。
その時、奥さんはどういふ譯か、滿面の笑顔であつた。
翌日、私は二泊させて頂いた川端先生宅を辭し、一人で保津峽へ行つて景色を眺めた。夕方、五郎川先生と京都驛で合流して魚を食べ、酒を飲んだ。川端先生夫妻は都合が合はず、この夕飯には來られなかつた。
その時、僕は「昨日は僕らを宅へ上げたことが露見しましたが、大丈夫でしたか」と尋ねてみた。
五郎川先生の返答は、こゝには書かない。

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さて如何でしたでせうか。こんな記事を最後まで讀んで呉れる人があるか分かりませんし、よし最後まで讀んでもらへたとして、「こんなものを天下に發表して何になる」「全く人を莫迦にしてゐる」等と諸君は思ふでせう。私だつてさう思ひます。
しかしこの記事には、讀書の樂しみが述べられてゐます。かういふ事柄は、言葉を素材とする書の表現には、必要であります。また、畫にもさういつた「書卷の氣」とでもいふ氣風が備はると、品が高まります。

ところで、讀書することを義務的に押し付けるやうなものより、自身が經驗した讀書にまつはる出來事を述べた方が、冒頭でも申しましたが天然の良さがあつて好ましいものになると思ふのです。それに、まづ單なる書生の私は、何かを義務的に履行すべしと人様へ申せるやうな人品學問を未だ有してゐません。
從つて、最近あつたことを、たゞ書き連ねてみたのです。
なほ、この妙てけれんな記事を公表するに當たつて、五郎川先生に一度見てもらひ、許可を頂いたのですが、その聯絡をした丁度その時、先生は上記の會話から思ひ出して本棚から引つ張り出した『草枕』
を讀み直してゐらしたのでした。

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每度、私の書く記事は拙詠の詩を載せて結びに代へてゐます。
これは四年前、川端先生が先述の保津峽へ寫生に行つて、その畫や保津峽の寫眞を送つて見せて呉れ、敢へて崖を上るのではなく下りて、好きな景色を探つたのだといふ話しを聞かせて呉れた際に、詠み、川端先生に贈つた詩です。
およそその頃に、川端先生夫妻のご紹介で、五郎川先生とも知り合ひました。

壬寅冬月朔不條先生寫嵐山保津峽

眼前折帶皴 眼前 折帶皴、
眞幅無疑志 眞幅たること疑志無し。
敢下一層崖 敢へて下る 一層の崖、
欲窮攸適意 窮めんと欲す 意に適ふ攸。

實は今回の記事は、次回記事の前座です。次回の記事を御樂しみに。

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