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芸術学コース

2019年09月21日

【芸術学コース】悦ばしき研究

徐々に残暑も和らぎ、そろそろ金木犀の芳香が漂ってくる季節となりました。

皆様こんにちは。芸術学コース教員の佐藤真理恵です。

このサイトでは、授業の紹介やイベントの報告などが主ではありますが、芸術学コースが運営するサイト「Lo Gai Saber~愉快な知識への誘い~」では本学の教員達の日々の研究についてご紹介しています。今回はそこから飛び出し、こちらのサイトでも教員の研究について少しお話します。
※「Lo Gai Saber~愉快な知識への誘い~」も興味深い記事がたくさん載っているので是非チェックしてみてください。http://salsa.sakura.ne.jp/lo_gai_saber/

 

私はじつは芸術学を専門としているわけではなく、とある古典ギリシア語の概念について研究しています。そのため、ふだんは主に古典文献と向き合う作業が中心となります。

しかし今回は、上述のメインの研究ではなく、それと並行して細々と行っているサブ研究のほうをご紹介したいと思います。

 

このサブ研究は、近世のクレタ島で生まれた『エロトクリトス』という叙事詩をめぐるものです。

先述のとおり、私の専門は古代ギリシアですが、さまざまな偶然が重なり、時代も分野も専門外であるこの作品に取り組むことになりました。そもそもは、古典文献学研究のために留学していたクレタで、友人たちからこの作品の原典を贈られたのが始まりでした。正直なところ当初はさして関心がなかったものの、調べていくうちに、この作品が意外にも興味深い研究対象であることが分かってきました。

なにはともあれ、まずは『エトロクリトス』について、ざっとお話ししましょう。

この作品は、17世紀初頭頃のクレタで、ヴィツェンツォス・コルナロスによってものされた長大な叙事詩です。この著者、なんだか奇妙な名前だと思いませんか。それもそのはず、ギリシア南端の島クレタは、当時ヴェネツィア共和国の統治下にありました。著者コルナロスも、その名から推測できるように、クレタに居留するヴェネツィア人子息なのです。

上に載せた写真の一枚目は、1651年に作成されたイタリア語のクレタ地図です。また、二枚目は『エトロクリトス』初版の表紙ですが、そこに記されているとおり、初版は著者の死後1713年にやはりヴェネツィアで刷られています。

 ちなみに、クレタ島は、ゼウス生誕神話やクノッソス遺跡で有名なことからも、古代ギリシア神話ゆかりの地という印象が強いかもしれませんが、オスマントルコに並びヴェネツィアの文化の影響を強く受けた土地でもあります。たとえば、下の写真は島のなかでもヴェネツィア統治時代の面影を残す街、ハニアとレティムノの風景です。

『エロトクリトス』の詳細な内容は割愛しますが、ひとことで言うと、王女アレトゥーサと家臣の息子エトロクリトスの恋愛を軸とした騎士道物語の一種です。何故か、クレタ版ロミオとジュリエットと称されることもあります(実際の内容はかなり異なります)。

じつのところ、この物語は、著者コルナロスによる独創ではありません。その原型はプロヴァンスやカタルーニャの民話に遡るとされ、それらを元にした恋愛小説が15世紀フランスで書かれました。さらにこの恋愛小説のイタリア語版に範を取りつつも、クレタの伝承などを織り交ぜて綴られたものが、くだんの『エロトクリトス』です。つまり、この作品は、地中海圏域における活発な文化交流の賜でもあるのです。

このように、この作品はなかなか複雑な成立背景をもっていますが、文体もまた多様な言語の混交体をとっています。主たる言語はイタリア語の影響を受けたクレタ方言ですが、そこに中世ギリシア語や古典ギリシア語の要素も混じっており、いささか厄介です。言語オタクさんには垂涎ものでしょう。

また、上述の先行する物語は散文でしたが、『エロトクリトス』は韻文で書かれており、それもクレタ独特の15節韻律が用いられています。下の写真は、この作品の冒頭部分です。

こんなふうにさまざまな要素てんこ盛りの『エロトクリトス』の原典を読解するのは、現代ギリシア人にとっても難儀と聞きますが、それだけに外国語訳などほとんど無く、また本国ですらこの作品の研究は歴史が浅いようです。

私も目下、苦戦しながら邦訳を作成中です。近年出版予定(希望的観測)ですのでお楽しみに。

なお、私はこの作品の研究のなかで、内容の分析に加え、作品受容の調査に重きを置いています。というのも、『エロトクリトス』は、テクストとして読まれる以上に、むしろ口承によって今日まで語り継がれてきたという特色があるからです。

すなわち、『エロトクリトス』は、詩として伝承され、あるいは歌のかたちで親しまれてきたのです。

たとえばこの楽譜は、わりと最近のものですが、1950年にイラクリオンで演奏された『エロトクリトス』の冒頭部分(現代ギリシア語)です。この旋律は、今日でも演奏される最もポピュラーなものです。哀愁を帯びた曲調は、物語の内容と相まって、耳に残ります。

さきに『エロトクリトス』原典の難解さについて述べましたが、読むことは難しくとも、老若男女問わずギリシア人ならば誰でもこの歌い出しを口ずさめるとのこと。われわれ日本人に置き換えてみると、全文を暗誦できぬまでも、『平家物語』などの冒頭だけなら諳んじられるといった感じに近いかもしれません。

また、通常『エロトクリトス』の朗唱には楽器の伴奏が付きます。用いられる楽器は、一般的にラウートかクレタリラです。いずれも伝統的な弦楽器で、ラウートは形態も演奏法もリュートに似ており、一方ヴァイオリンを小さくしたような形のクレタリラは膝の上で演奏します。

上の写真はレティムノの酒場で写したものですが、左から二人目の男性が弾いているのがクレタリラ、他の三人が演奏しているのがラウートです。ちなみに、全員シャツとニッカボッカ風のズボン、黒いブーツを着用していますが、これはクレタ男の伝統的な服装であり、シャツを黒色に変えたうえ黒い網状のものを頭に巻くと、より「正装」に近づきます。

このように、『エトロクリトス』は、クレタ土着の文化と深く結び付きながらも、近年では経済再生プロジェクトに際し、ギリシア全土の著名な音楽家や画家ら77名のコラボレーションで『エトロクリトス』のMVが制作されるなど、ギリシアを代表する叙事詩のひとつとして広く認知されています。あるいは、演劇として上演するなど、新たな試みも行われているようです。

そのいっぽうで、作品全文を暗誦できる人々は激減し、また伝統的な演奏に用いる特殊技法を継承する器楽奏者もわずかなため、本格的な『エロトクリトス』の暗誦・朗唱に接するのはたいへん難しくなっています。現地調査で、ある老人から「時期を逸した。あと数年早ければ…」と漏らされたこともありました。再現芸術の定めとはいえ、口承や演奏形態を調査することの難しさを痛感した次第です。

このように、現地調査は時間的制約との闘いでもあります。しかし幸いにも、友人の奔走により、2013年の時点で『エロトクリトス』を伝統的な様式で朗唱・伴奏できる三名を捜し当て、演奏の録音と撮影を行う好機に恵まれました。上の写真は、演奏してくれた皆さんです。アギアナ村の小さなレストランで行われたこの演奏会には、郷土史家をはじめ多くの島民が集いました。本格的な生演奏に接し、テクストを読んでいるだけでは気付かなかった新たな発見も多々ありました。演奏会の最後は、お約束、伝統音楽にのせて観客たちが輪になって踊り、楽しい宵でした。

作品との出逢いにせよ、この演奏会の実現にせよ、私の『エロトクリトス』研究は、クレタの人々との繋がりを抜きにして語ることはできません。現地の人々は、この作品を誇りにしており、異邦人の私が行う調査にも惜しみなく協力してくれるのです。クレタ大学図書館で資料を調べていると、エロトクリトスという文字を目にした司書さんや学生達が、上の写真のように関連書籍を私の机にどんどん置いてくれることもありました。

 

こんなわけで、このサブ研究のおかげで、自発的にテーマを選択し独り黙々と行うものばかりが研究ではないのだと思うようになりました。このような研究テーマとの巡り合いは、まさに僥倖といえますね。

友人たちから「日本に紹介してほしい」と託されて始めた研究ですが、この作品の重要性を知った今では、これが自分の使命であるようにも感じます。研究を前に進めるには、このような勝手な思い込みも多少は必要なのかもしれません。

現地調査を口実に、次回クレタを訪れるのが楽しみです。

 

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