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アートライティングコース

2019年12月11日

【アートライティングコース】「描写」とはものを描くことではなく、「もの」そのものの出現にある(江藤淳)

 こんにちは。アートライティングコース 教員の大辻都です。
 今の時期、各コースでは来年度入学希望者に向けた説明会やレクチャーを頻繁に開催しています。先日の体験入学では、参加者がじっさいに文章を書いてみるワークショップに先立ち、ライティングの基本となる「ディスクリプション」についてミニ講義を行いました。
 ディスクリプションは描写や記述などと訳され、描く対象をなるべく正確に言葉に置き換えていくことです。ですが、あらためて考えてみるまでもなく現実の事物と言葉は別物ですから、いくら正確を期して言い表そうとしても両者は同じにはなりません。それでも優れたディスクリプションは、それを読む人にあたかもその対象が目の前にあるように想像させ、それと同時にある心地よさを感じさせることがあります。


 では書く側の立場でディスクリプションしようとするとき、心を砕くべきことは何でしょうか。正確な記述というと、ウィキペディアのようにデータを並べて説明することだと考える人がいるようですが、ディスクリプションにおいて何より必要なのは、その対象を書き手が注意深く観察することでしょう。そして視覚はもちろん、五感をフル稼働して対象の特徴を捉え、言葉に置き換えることだと思います。
 体験入学では、さまざまな書き手によるアート作品のディスクリプションの例をいくつか取り上げましたが、ここではそのひとつ、淀川長治によるアンナ・パヴロワの舞踊の描写を紹介します。伝説的なロシアのバレリーナ、パヴロワは大正111922)年に来日し、日本の観客を熱狂させました。当時13歳だった淀川は神戸の聚楽館で行われた公演に観客として立ち会っています。そのときプログラムにあった「とんぼ」という演目を踊るパヴロワを描いたのが次の文章です。
『とんぼ』はクライスラーの作曲でパブロワは背にとんぼの細長い四枚の羽根をつけ、うすいオリーブ色の、からだに、やわらかく、まといついたごときヴェールの衣裳で、突如と舞台にサッと飛びだし、アッと見るまに自由ほんぽうに舞台をとびまわり、その同じオリーブ色の絹のトウ・シューズが舞台ですべりころびはせぬかと心配もしたが、その飛びはねる美しさには見とれきった。ところが一瞬、このとんぼは舞台のしもてで片ひざを落し両手で背なかの四枚の羽根をやわらかく押えたそのポーズのまま一分間であろうか十秒間であろうか音楽が止まったのであった。いま思えばおそらく五秒も音楽は止まってはいなかったにちがいないが私はそのとき、その静けさの一瞬に、セミの声を聞き、細長いアシの葉のてっぺんに一匹のとんぼがじーっととまっていて、空は青く、夏雲は白く、そして青い湖水が、風もない静けさのなかで、鏡のように光っている……というそのような風景をこの一瞬に思ってしまい、私は今もこのフォーキンの振付をくまなく惚れ惚れと愛して、おぼえている。


 1996年に出版されたエッセイ集『私の舞踊家手帖』からの引用です。映画評論家として知られた淀川はバレエも好きで、舞台も数多く観ていました。この文章を書いたとき、すでに80代半ばを超えていましたが、70年も前に観た踊りを驚くほど克明に再現しています。
 何を隠そう、著者にこの原稿を頼み、最初に受け取ったのは当時編集の仕事をしていた私です。映画宣伝会社の名前が印字された200字詰めの原稿用紙に青鉛筆で書かれ、ひらがな遣いが独特の味わいとなっている原稿は今も忘れられません。さらには原稿を受け取るとほぼ同時に著者本人から電話があり、パヴロワの踊りがどんなだったか、感動のあまり姉たちの前で自分自身が(白い股引姿で)どんな風に踊って見せたかなど、40分にもわたり滔々と語ってくれたことは強い印象に残っています。さすが膨大な数の映画を語れる稀代の評論家だけあり、詳細に渡るその記憶力は凄まじいものでした。
 上の引用からも、パヴロワの身体に纏いつく衣装の透け感と柔らかさ、身ごなしの軽やかさ、そして音楽に伴った跳躍と静止の対比がありありと伝わってはこないでしょうか。私には、文章の力により、70年の時間を超えてパヴロワが目の前に現れたかのような気がします。
 ディスクリプションという手法は、主に建築や彫刻など造形作品を言葉で言い表すものとして、西洋では古くから存在していました。古代ギリシアで使われていたもとの語であるエクフラーシス(ekphrasis描写・記述)は、まさに「主題を生き生きと目の当たりにさせる語り」との意味を持っています。日本においても、たとえば江藤淳は、明治期に流行した写生文の特徴である描写について「『描写』とはものを描くことではなく、『もの』そのものの出現にあること」と述べています。
 言葉による対象そのものの出現。そう捉えると、ディスクリプションが正確さを追求しつつもクリエイティヴな作業だと感じられ、書き手の言葉選びの正確さに対する読み手の共感がときに感動にさえ繋がることにも納得できるのです。


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