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芸術学コース

2020年01月11日

【芸術学コース】研究便り:ローマの思い出

気づけば、はや2020年です。みなさん、本年もどうかよろしくお願いいたします。寒い日が続いておりますがお変わりありませんか。

今回のブログ記事は、芸術学コースの池野が担当いたします。さて、何を書いたものやらと思いましたが、年も変わったところですし、このブログでは昨年までの自分の研究活動を振り返りつつ、芸術学の学びの一端をお伝えできればと思います。

このブログではじめましての方もいらっしゃるでしょうから、少しだけ自己紹介しますと、私は芸術学コースで主に西洋美術を教えています。専門は美術史、つまり芸術の歴史研究で、なかでもイタリアの近現代美術を中心に研究しています。フィールドがイタリアなので、当然、研究のために現地へ行かないといけません。本当は長期間調査にあてられると良いのですが、通信教育部は社会人のみなさんが学びやすいよう夏休みにも授業があり、まとまった時間がとれないのが悩みどころ。このため、近頃は年に12度のペースで短期間集中的にイタリアを訪れるようにしています。
現地調査では、作品を見たり、資料を集めたり、専門家の話を聞きに行ったりするのが大切な仕事です。場合によっては滞在中ずっと図書館やアーカイヴに籠もりきり、ということもあります。ですが、それだけではなく、街をぶらついたり、研究対象とは違う時代の美術を見たりするのも大事なことだと私は思っています。アーカイヴ調査については以前ブログに書いたので、今回は「街歩き」について、ローマをテーマに書くことにしましょう。

街歩き、などと言うとただ観光しているだけじゃないかと怒られそうですが、街中で思いがけないものに出会ったりすることもありますし、ある対象を深く知るためには、それが生まれてきた環境を肌で知るのも大事なことです。そういうわけで、両大戦間のイタリア美術についてアーカイヴ調査をしていたとき、気分転換に、古代ローマの遺跡を見に行きました。マルケルス劇場とオッターヴィアのポルティコという遺跡です。マルケルス劇場はローマ中心部の、テヴェレ川にほど近い場所にある遺跡です。巨大なアーチが積み重なったような構造をしていて、観光名所として知られていますから、テレビ番組などで見たことのある方もいらっしゃるかもしれませんね。

下から見上げると、大きさに圧倒されます。ちなみに、建造物の一番上の部分は今でもアパートとして利用されており、お住まいの方がいらっしゃいます。なんでも、大変良いお値段なのだとか…。

一方、オッターヴィアのポルティコはマルケルス劇場のすぐ北西に位置する、初代ローマ皇帝のアウグストゥスが建てた建造物の遺物です。かつてはこの内部に神殿がありましたが、今では列柱のみが残っています。ところで、写真を見ると、列柱の奥に建物があるのがおわかりでしょうか。これはサンタンジェロ・イン・ペスケリア聖堂といって、8世紀に建てられたカトリックの教会です。要するに、異教の神殿の跡地にキリスト教の教会が建っているわけです。

この教会の名前にある「ペスケリア」というのは、イタリア語で魚屋のことなのですが、実はこのオッターヴィアのポルティコは、中世から長らく魚市場として機能していたのだそうです。神殿になったり魚市場になったり、なんだか面白いですね。

さて、もう一つこの地区に関して重要なのは、ここが16世紀以来ユダヤ人居住区、ゲットーであったということです。いまでもこの地区には、シナゴーグやユダヤ料理を提供するレストランが見つかります。

ここで、少しばかり場所を移動することにしましょう。いま見たマルケルス劇場やオッターヴィアのポルティコを背にして、テヴェレ川を渡り中州のティベリーナ島を越え、さらに反対側のトラステヴェレ地区まで行ってみます。すると、橋を渡ってまもなく、細い路地に古めかしい建物が見つかります。上にある写真の建物の、円柱の下部に注目してください。うっすらとヘブライ文字が見えますね。実は、この建物は中世のシナゴーグであったと考えられています。

どうしてここにシナゴーグがあったのかというと、テヴェレ川の向こうのトラステヴェレ地区は、中世まではユダヤ人たちが多く住む場所だったのです。しかし、16世紀にときの教皇パウルス4世が、ユダヤ人の力を恐れ先ほどのオッターヴィアのポルティコ付近にゲットーをつくりました。以来、ユダヤ人たちはそこにまとめて居住するよう強いられ、隔離されました。このローマのゲットーは、紆余曲折がありつつも、19世紀まで存続することになります。

古代遺跡から始まった街歩きが、気がついたら、ユダヤ人たちの足跡をたどる小旅行になってしまいました。こういうのが街歩きの楽しいところです。さて、ふたたび川を渡って通った道を戻りゲットーの跡地をうろうろしていると、あることに気づきました。写真の左手にある立派な建物が現在のシナゴーグで、奥にオッターヴィアのポルティコがあるのが見えますね。その右手に、赤茶色の建物が二軒あるのがわかるでしょうか。ちょっと小さいのですが、このうち奥の方の建物の壁に、見落としてしまいそうなほど小さなプレートが掲げられているのです。そこには「19431016日」という日付が刻まれています。

イタリア語が読めなくても、この場所がユダヤ人のゲットーであったことを思い起こすなら、プレートが何を意味するのかピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんね。これは、第二次世界大戦中にローマに住むユダヤ人たちが強制収容所に送られた日を記念するものです。1943年、ムッソリーニが失脚すると、ローマはドイツ軍によって占拠されました。このとき、ローマに住むユダヤ人たちがナチスの親衛隊によってかつてのゲットーであるこの地に集められ、19431016日、ここから、ドイツの強制収容所に送られていったのです。1000人以上のユダヤ人が移送され、そのほとんどがホロコーストの犠牲になりました。

古代遺跡から出発して、ぐるっと巡り歩いたところで、20世紀へと時間が戻ってきました。このプレートは目立たない場所にあるので、ほとんど足を止める人もいませんでしたが、この地区に刻まれた重い歴史的事実を伝えています。

このようにローマは、歴史の上に歴史が積み重なった不思議な街なので、歩いていてまったく飽きません。過去のある出来事を調べていると、まったく関係ないよう思えていた別の事実がわかってきたりするのに似ています。次の旅先の街角で、今度は何に出会えるのか。楽しみです。

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