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歴史遺産コース

2020年01月18日

【歴史遺産コース】オリンピック・パラリンピック関連整備事業と消されゆく近代化の歴史

年があらたまり、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技会(以下、2020東京五輪)開催が間近に迫ってきた。
東京外苑キャンパス周辺でも、新国立競技場が昨秋に竣工し、12月にオープニングイベント、つい先頃正月元日には天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が開催された。「いよいよ」という観である。
ただ、一点、まことに小さな恨み言をいえば、新国立競技場が出来る前は、東京外苑キャンパスとJR信濃町駅とを行き来する道すがら、にこにこパーク前から富士山を遠望することができた。けれども、工事の進展にともなって徐々にその雄大な姿は隠されていき、いまやまったく見えなくなってしまったことは、残念である。
一方で開催国として、競技会場および周辺地区のとくにインフラ整備に力が注がれることは、一定程度当然のことであり、それは仕方ないことだろう。いや、人間社会の発展は、多くの場合において歴史的成果のさまざまな克服によって達成されてきた。
古いところでは、平安時代 ― 現代よりももっと神や仏といった目に見えない存在や信仰が身近にあった時代 ― 巨樹や古木・大木などの神木とされる木々を伐る話が、仏教説話(神話、伝説、昔話などの総称)集である『今昔物語集』に枚挙にいとまない。伐る理由はさまざまであるが、その一つの理由が「田や畠の日影になって邪魔だから」というものだった。地域伝承レベルでも、高知県では、飢饉が続き五穀が実らず、食うものもない、これは田んぼのなかの大クスの仕業に違いない、伐ってしまえ、といったような話もある。
民話や伝説のなかだけでなく、実際の社会においてもこうした理由で多くの大木が伐られるなどし、人間の自然に対する自儘な開発 ― 侵食・破壊 ― はおこなわれた。明治元年(1868)、明治新政府は「耕地を翳陰(えいいん)するかの如き有害無益の塚丘は総(すべ)て廃毀(はいき)し」、伐った木は「人民」に入札で払い下げることを通達している。
近代国家のスタートにあたり、影をなす大木・塚丘を伐り拓き、耕地を確保しようとする開発優先の姿勢を示したものといえる。

ちなみに2020東京五輪関連の整備事業のなかで、まさしくこの近代国家のスタートにともなって開発・整備された足跡が、われらが外苑キャンパスの周辺でも消えようとしている(2019年12月時点すでに「消えた」)。
明治聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后の聖徳を永く後世に伝えることを目的として、大正8年(1919)に着工、同15年に竣工した。館内には、明治天皇・昭憲皇太后在世中の事蹟を伝える壁画が、画題の年代順に展示されており、当時の出来事を時代を追って見ることができる。
この明治聖徳記念絵画館の施設前はアスファルト舗装が施されていたのだが、それはひび割れが目立つ、お世辞にも綺麗とはいい難いものだったことに気が付いた人はいたであろうか。




実は、このアスファルト舗装は日本国内で産出されたものを使用した、現存するうちでは最古のアスファルト舗装である。産出地は、秋田県潟上市昭和豊川の一帯、当時豊川油田と呼ばれた油田群があった場所である。明治期の半ばころから石油開発の調査が進められ、大正初年にやっと出油に成功した。平成12年(2000)に閉山したが、現在でもわずかながら稼働しているという。
明治聖徳記念絵画館前の道路舗装は、この豊川油田からえられた天然アスファルト(土瀝青)を用いて整備された、近代化遺産ともいうべきものであった。しかしながら、今回、2020東京五輪関連の整備事業にともなって石が敷き固められて、覆われてしまった。

最近、あらためて確認しにいった際、すでに大半の工事が進みつつあった。石敷きは、聖徳記念絵画館の西方より、つまり新国立競技場方面から東ヘと葺かれつつあり、あたかも2020東京五輪という新時代が、わが国の近代化の道程(まぁそもそもこれ自体が「影をなす大木・塚丘を伐り拓」いた結果なのだが…)の証を覆い隠し、忘却のかなたへとやる、そのことを象徴するかのような状況であった。


比企貴之


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