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アートライティングコース

2020年06月12日

【アートライティングコース】「ぼくは白紙に向かい、思考していくだけだ。」(難波田史男「ノート」*)



はじめまして。「アートライティング特講1」を担当している君野隆久と申します。

最近、画家の難波田史男(1941-1974)についての文章を書いて、詩人の河津聖恵さんの主催する「詩と絵の対話」というホームページに載せていただきました。

「魂の変容――難波田史男をめぐる断章」(君野隆久)


詳しくはその文章に書いたのですが、私がいちばん最初に「難波田史男」という名前を聞いたのは、約40年前の学生時代にさかのぼります。私はそのとき大学生で、第二外国語だったフランス語のクラスで教員の余談としてその名前を聞いたのです。

先生は、詩人で仏文学者の窪田般彌先生でした。窪田先生はそのころまだ五〇代でいらしたと思います(ちょうど今の私の年齢くらいです――同じ歳になったのに、こちらはなんと威厳も余裕もないことか!)。洒脱で温顔の先生でした。その窪田先生が、簡単なテキスト講読の時間のあいまに、ふと、むかし教えた「ナンバタくん」という学生の思い出話を始めたのでした。なんでも「ナンバタくん」は型破りな学生で、フランス語の試験に日本語で詩を書いてきて、「これで単位をほしい」と言ったとか……内容はもうあまり覚えていないのですが、エピソードを話す窪田先生の懐かしそうな、そして少し照れたような表情と、「ナンバタくん」という名前だけはしっかりと心に刻まれたのでした。

1999年のある日、たまたまチャンネルを回したテレビで、私は窪田先生に十数年ぶりに再会することになります。NHK教育の「新日曜美術館」(今の「日曜美術館」の前身の番組)に窪田先生が出演し、難波田史男の人と芸術について語っていらっしゃったのです。ブラウン管ごしに拝見する窪田先生の変わらぬ温顔を懐かしいと思うと同時に、番組で紹介された難波田史男の作品に私は惹きつけられました。そうか、これがあの「ナンバタくん」だったのか……私はそれ以来、本物の難波田史男の作品を見てみたい、と願うようになったのでした。

願いが十分にかなったと言えるのは、それからさらに十年以上経った2012年のことでした。この年の一月から三月にかけて、東京オペラシティ・アートギャラリーで「難波田史男の15年」という展覧会が開催され、245点の作品が公開されたのです。私が観に行ったのは1月半ばの平日でしたが、私以外にほとんど人はいませんでした。そのせいもあってか、そのときの印象は強いものとして私のなかに残っています。ひとけのない展示室で、私はふと、「ここにこんなに美しいものがあるのに、なぜ人々は観に来ないのだろう 」という不審の念に駆られたことを覚えています。

それからさらに十年近い歳月が過ぎて、私は難波田史男について文章を書く機会に恵まれたのでした。書いてみて、私はずっと自分のなかでもやもやしていたものが何とか整理できたという気持ちになりました。この二十年ばかり、折にふれて難波田史男の作品を機会があれば観ようとしてきたのですが、そのたびになにか「つかみがたいもの」を感じて、さびしさに似た感情を覚えてきたのです。それが今回、文章を書くことによって、自分なりに難波田史男の作品を見る体験を言葉にすることができたという感触を持つことができました。手前味噌になりますが、私は一種の「アートライティング」を実践したと言ってもよいのでしょう。

と同時に、約40年前に、教室で窪田先生の余談を聞かなかったとしたら――もしその授業をサボったりしていたら――「ナンバタくん」の名前を意識することもなく、何十年も経ってその作品を眺めるということも起きなかったでしょう。ましてや今回のような文章を綴るということも。そう思うとこれも一種の「縁」であり、いわゆる「学恩」のひとつであるということをしみじみと感じるのです。

*タイトルの引用は難波田史男『終着駅は銀河ステーション』(幻戯書房、2008年 378頁より)。

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