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和の伝統文化コース

2020年08月10日

【和の伝統文化コース】神や祖先を祀るコミュニティ・黒川能の「王祇祭」



 

立秋とは名ばかりの暑い日が続いておりますが、お変わりありませんか。
和の伝統文化コース教員の雨宮智花です。

現在、この原稿を書きながらも、日々変化する新型コロナウィルスの感染拡大のニュースに驚いています。

私は、今年の二月に初めて山形県鶴岡市黒川地区を訪れ、国重要無形民俗文化財である黒川能の「王祇祭」を見学してきましたのでご報告します。

黒川能に興味を持ったきっかけは、学部生の時に「集団・コミュニティの歴史」を学び、神や祖先を祀るコミュニティとして祭祀集団を知ったことです(註1)。神に奉納する芸能を守る人々を調べていく中で「黒川能」に惹かれました。

黒川能は、山形県鶴岡市黒川地区の春日神社で斎行される「神事能」として、約二四十戸ある氏子たちによって継承されてきました(黒川能保存会)。上座と下座の二つの座に分かれて能座が形成されています。両座には中心となる太夫がいて、能役者は舞方、雌子方、狂言方を含め、現在は約一六〇人という規模です(註2)。両座は、上座には負けられない、下座には負けられないという気持ちで、日々芸能に精進しているそうです。

「王祇祭」は旧正月の二月一日に、上座・下座の最年長の氏子宅に王祇様(春日大神)招き、夜を徹して黒川能が演じられます。この神宿となる家を当家、その家の主人を当家頭人と言います。王祇様が当家での能を楽しみ、神社に戻られると、神事を執り行い、さらに能や尋常でもてなします。当日、私は下座の当家を訪問し、夕方から朝まで能を鑑賞しました。演目は大地踏、式三番、高砂、三本柱、石橋、千鳥、東北、節分、鐘巻、三十日囃子、弓八幡でした。

「石橋」の獅子



途中、少し眠気に襲われましたが、王祇祭は当屋頭人のご長寿を祝う意味でもあるので頑張りました。当屋では、お酒・お菓子・手作りの凍み豆腐が振舞われました。朝を迎えると、すこし仮眠をして、春日神社に戻られた王祇様と一緒に能を楽しみます。夕方18時に全ての斎行が終了しました。こんなに長い時間、能を鑑賞したことは初めてでしたが、目が離せない演目やしきたりが沢山あり圧倒されました。心地よい疲れの中、帰路につきました。

春日神社内



 

そういえば氏子の皆さんが「今年は雪がないのでどうも調子が狂う」と、口々に語っていました。それならば、今度は雪のある王祇祭を訪ねようと考えていると・・・感染症予防対策のため令和三年の王祇祭の見送りを目にしました。見学者を除き、春日神社の氏子の皆さんだけでの斎行の決行かと思いましたが、斎行全ての見送りとあって大変驚きました。

資料を紐解くと、王祇祭の当屋の記録は、元禄三年より残されており、途中不明なものもありますが、安政六年から令和二年にかけては継続されています(註3)。黒川能の研究者である桜井昭男氏が編者をされた「黒川村春日神社文書」(註4)には、当屋の記録が収録されています。

嘉永三年正月 神事当人書上

 

嘉永三戌正月

三日当人

上市野又村 久兵衛 備前

下漆原村 小左衛門 近江

二日当人

上椿出村 文伊衛門

下中村 四郎兵衛

一日当人

上滝野上村 助作

下中村 勘四郎

 

この資料には当屋六名の名前が記されていますが、三日当人が当屋であり、二日と一日は脇当屋となります。必ず上座・下座から一人ずつ選ばれている事が分かります。先程、上座と下座のライバルのような関係に触れましたが、何かのトラブルがあった場合に、助け合いが出来る仕組みでもあるようです。元治元年の十二月の黒川村春日神社文書には、正月神事の三番叟を務める上座の役者の関係者に不幸があり、下座の役者が代役となり、当日は両座の三番叟を舞ったことが記されています(註5)。

黒川地域の風景



 

上座・下座で味が違う凍み豆腐



今回の見送りは、保存会の方々は苦渋の決断だったかと思います。再び王祇祭が開催されたなら、両座どのように協力し、決行を迎えられたのか保存会の方にお話しを伺ってみたいと思います。その時は黒川地区より母狩山や金峰山を眺め、春日神社の背後の月山に守られた「黒川能の時間」を噛みしめることを願い、筆を置きたいと思います。

 

 

【脚註】

(註1)野村朋弘編「人と文化をつなぐものーコミュニティ・旅・学びの歴史」芸術教養シリーズ26伝統を読みなおす5、京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、幻冬舎、2014年

(註2)黒川での能楽の発生は明らかにされていませんが、江戸初期には能太夫がいたことが黒川村春日神社文書に残されており、さらに室町時代に織られた能装束(三領、国重要文化財)が残っていることなどから、おそらく室町後期には定着し、現在まで約500年有余年の間、春日神社を信仰する農民の手によって継承されてきたと考えられています。

(註3)黒川能保存会「王祇祭・黒川能解説」公財黒川能保存会、2020年

(註4)(註5)桜井昭男 編者「黒川村春日神社文書」東北出版企画、1998年、396~426頁

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