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ランドスケープデザインコース

2021年03月27日

【ランドスケープデザインコース】特別学習支援講義(髙梨武彦教授最終講義 2021.03.21)

京都宝ヶ池周辺に咲くコバノミツバツツジ(撮影:髙梨先生)



こんにちは、ランドスケープデザインコースの津田です。

2020年度も終了しようとしています。今年度は新型コロナウィルスの感染拡大による緊急事態宣言下でスタートした、波乱の年度となりました。

通信教育課程は取得単位の半数以上が自宅学習ですので、この緊急事態でも通学課程よりは対応しやすいと考えられますが、本コースは図面の描き方やデザインの手法、実際の庭園での手入れの実学など、対面の週末スクーリングならではの充実した内容が特徴ですので、それをオンラインで開講するためにビデオ撮影するなど様々な工夫をしました。今回はそんな授業の1つである樹木実習について、「特別学習支援」として行った講義の様子をお伝えします。

当初、京都は吉田山、東京では明治神宮の森を散策しながらの講義を予定していましたが、東京の緊急事態宣言が「特別学習支援」の予定日まで延長されたこともあり、京都・東京合同でのオンライン開催となりました。

また、今回講師をされた髙梨武彦教授は今年度末で定年退職されるため、最終講義のような位置づけにもなりました。オンライン開催になったこともあり、在学生のみならず、卒業生にも広く聴講できるように広報したこともあり、当日は100名近い聴講者になりました。



はじめに「京都・吉田山を含む周辺の山林」と「東京・明治神宮の森」の解説からスタートです。



髙梨先生は、2008年に吉田山の植生調査を行われており、当時はコナラ林が優勢の植生であったようです。

京都周辺の山林は1935年の室戸台風の被害によって大きく変化しました。それまではほとんどがアカマツの林であったのですが、被害にあった山林では、観光都市・京都の風致を早急に改善するため、翌年から復旧造林が進められヒノキ、スギ、シイなどが植林されたそうです。

銀閣寺の背景のアカマツ(撮影:髙梨先生)



ただし、京都では他の地域ほど人工林化はそれほど進まなかったようです。全国的には60~70%程度に対して、京都東山は30%以下にとどまっているそうで、これは風景としての森林としてアカマツ林が京都の文化を育んできた歴史があるからだと考えられるのです。



京都の庶民にとってアカマツ林はレクリエーションの場でもあったのですね。吉田山では、茶屋があったり、別荘地として開発されたようです。現在でも人気のカフェがあり、散策される方も多く、身近な山として愛されています。

1980年代になるとマツ枯れ被害が拡大したことで、アカマツ林が後退し、コジイを中心とした常緑広葉樹林化が進みました。また、近年それに追い打ちをかけているのがナラ枯れです。



瓜生山キャンパスから大文字山を見た写真ですが、茶色になっているところがすべてナラ枯れだと言うことですので、その被害の深刻さが良くわかります。ナラ枯れは、カシノナガキクイムシという甲虫がナラ菌を運ぶことで被害が広がるのですが、直径φ30cm以上のコナラ、アラカシ、シイなどに被害が多いそうです。これにより、明るい林床の落葉広葉樹林から常緑広葉樹林へと急速に遷移が進みました。

髙梨先生が京都に来られたころの東山にはアカマツが多く見られましたが、30年ほどでコジイなどの常緑広葉樹優勢の樹林へと一気に変化したことになります。先日、事前確認のため先生と吉田山を登ってきましたが、常緑広葉樹林の林床には光が届かず薄暗くなりつつありました。

現在の瓜生山キャンパスの夕日に映えるアカマツ林(撮影:髙梨先生)



続いて、東京の外苑キャンパス近くの明治神宮の森についてのお話です。

明治神宮は、1912年明治天皇が崩御した際にその記念的な位置づけで設けられましたが、当時社地のほとんどが荒野であったので、そこに人工的に社寺林を造営することとなったのです。その設計の技術者として本多静六先生をはじめとする当時の一流の研究者と造園技術者が集められたそうです。

当初は、神社にふさわしい神聖な森としてスギ、ヒノキなどの針葉樹林を創る計画でしたが、気候風土に適し、鉄道沿いの大気汚染に弱い針葉樹林から計画的に植生遷移を進め、最終的にはカシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹林を目指す計画へと変化したとのことです。

その森には人の手を入れず、自然の遷移に任せることとして、現在も外来種がほとんどない状態を保っているそうです。これらの思想的な根拠は、ドイツを通過してきた「森林生態学」および「森林美学」的な発想があったと解説されました。そして、髙梨先生の研究テーマも「森林美学」です。

本多先生らは、林層遷移の予想図として、植栽直後、50年後、100年後、150年後を提示されています。造営から100年経過した現在、計画よりも遷移が進んでいるようでその原因となったのもマツ枯れによると考えられ、また、ナラ枯れも関東に迫っており、その影響も心配されるとのことです。

阪神淡路大震災は、日本のボランティア元年と言われますが、100年前全国から寄進された約10万本もの献木を延べ11万人の奉仕(ボランティア)が植樹したということですので、少し位置づけは違いますが、こちらもボランティアの力が発揮された森とも考えられます。



現在、「はきやさん」と呼ばれる森の管理や清掃を行う人たちによって落ち葉を集めたり、枯れ枝を落したりされていますが、集めた枝葉も一切外には持ち出さないで、林床へ敷きならしているとのことでした。物質の内部循環、今風に言えばサスティナブルな思想を徹底していると感心します。



これまで2回毎木調査が行われていて、昭和45~47年の調査時には、16.7万本あった樹木の本数が、平成23~24年の調査では3.6万本まで減少したとのことです。これは、それだけ樹木が成長したと言うことになります。

これだけ生態的に安定した森は貴重な生態的環境でもあるので、今後も大切に守っていくべきで、人々が憩う森は隣接する代々木公園がその機能を果たしていることに留意すべきとのお話でした。



このあと、先生がこれまで見てこられた様々な森についてのお話を頂きました。

そもそも森林とは?定義のお話しや、屋久島のヤクスギ、京都清水山国有林のヒノキ天然生林、奈良春日山原生林、千葉県浜金谷海岸林の照葉樹林、長野県八ヶ岳の縞枯れ現象についてなど、など、森に対しての興味深いお話が続きました。



最後の質疑応答時間では、手入れが行き届かない森林について、どのようにしていくべきか?など、本質的な質問が出たりしましたが、少しずつ人々の意識を変えていくことや木材利用の循環を進めるための工夫のお話など、最後に先生のお考えを聞ける良い時間となりました。

学生の皆さん、卒業生の皆さん、髙梨先生との時間を惜しむようにお話が途切れず続きましたが、予定の時間を1時間半ほど過ぎてお開きとなりました。髙梨先生、永年にわたり熱意溢れるご指導、本当にありがとうございました。

最後に先生が言われていたのですが、ランドスケープデザインは間口が広い分野であるが、また、そこが魅力でもあると言うことです。

明治神宮のように広大な森を100年かけて造るデザインもあれば、その森を見るための快適な公園のベンチをミリ単位でこだわってデザインするのもランドスケープデザインです。

私もランドスケープデザインを仕事としていますが、その興味は尽きることが無く、他の芸術や科学の分野とも関連するとても楽しい仕事です。

仕事でなくてもライフワークとして学ぶにもとても面白い分野だと思います。

少しでも興味がありましたら、ぜひランドスケープデザインの世界をのぞいてみてください。

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