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歴史遺産コース

2021年07月21日

【歴史遺産コース】研究テーマを見つけるきっかけとは何か?―自己紹介をかねて―

  こんにちは。歴史遺産コース、業務担当非常勤講師の上村正裕です。
すでに在学生の方にはweb雲母やメルマガでもご挨拶させていただいていますが、今回は改めての自己紹介にからめて、入学後に歴史遺産コース属する「芸術学科」の学生の皆様が取り組む、「卒業研究」のテーマ設定に役立ちそうなエピソードをお話ししたいと思います。

  「カリキュラムやスクーリングには興味があるけれど、
論文となると、何を書いていいのかわからない…」という方は、ぜひご覧いただき
少しでも参考にしていただければと思います。

令和の即位にあたって使用された高御座(東京国立博物館特別公開「高御座と御帳台」、2019年12月22日~2020年1月19日。2020年1月10日撮影)



  私の専門は日本古代史で、特に奈良時代から平安時代前期(8世紀から10世紀初頭)の天皇や太上天皇、皇后・皇太后などを研究しています。
現在の皇室は古代からの紆余曲折を経て続いているわけですが、
平成から令和の代替わりにあたって、退位した天皇陛下の称号をどうするか、ということが議論になったことを覚えている方もおられるのではないでしょうか。

  平安時代初頭の弘仁元年(810)における平城太上天皇の変(薬子の変)により、平城太上天皇と嵯峨天皇の間で軍事衝突が発生しそうになりました。いわば国家権力の分裂です。
結局、今日において退位した天皇陛下は「太上天皇」ではなく、「上皇」と呼ばれることになったのですが、二重権力を忌避するためにこのような結論に落ち着いたとされています。

平城天皇楊梅陵(2016年3月6日撮影)。平城宮跡のすぐ北にあります。



  奈良時代の太上天皇は天皇を支える存在として位置づけられていましたが、皇后はどうだったのでしょうか。
2021年78日付の時事通信の記事には、「皇后さまは8日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕納の儀」に臨み、今年の養蚕作業を終えられた。皇居内の養蚕は明治以降の歴代皇后が継承しており・・・」とありますが、実はこのような事例は中国漢代の皇后から見いだすことができます。

参考:時事通信オンライン記事


  これは皇帝は農耕、皇后は養蚕を統括するという男女分業の観念が反映されているものですが、日本では根付くことはありませんでした(義江明子「古代の女性労働」総合女性史学会編『女性労働の日本史』勉誠出版、2019年)。むしろ、皇后が農耕の様子を見物しているという史料もあり、男女分業のあり方は当時の日本の社会にはそぐわなかったのです。

  実は明治時代の皇后美子(昭憲皇太后)も赤坂御用地の水田での田植えを見物していて(真辺美佐「近代化のなかでの皇后」森暢平・河西秀哉編『皇后四代の歴史』吉川弘文館、2018年)、その時の絵である「皇后宮田植御覧」が明治神宮外苑・聖徳記念絵画館に残されています。

参考:明治神宮崇敬会ホームページ



  私も元々古代における皇后・皇太后の権力といった点に関心を持っていましたが、
中国との比較を考えるうちに、養蚕というところに行き着きました。
毎年ニュースで報じられる皇后の養蚕というのがいったいどういった歴史的起源を持つのだろうと気になっていましたが、関心が研究の第一歩になることを改めて実感しました。

  皆さんも「卒業研究」に向けてどのようなテーマを選べばよいか、気になさっていると思いますが、
日々のニュースや出来事にそのヒントが隠されているかもしれません。

平城宮跡大極殿(復元。2016年3月6日撮影)。平城太上天皇は譲位の後、平安宮から平城宮に移って生活しています。



  今は座学や調べもので知識を習得するほかありませんが、コロナ禍が収束したらご自身の興味関心に即して史跡などを見学し、歴史遺産の見聞を広めるのも一計ではないでしょうか。
本学で開講されているフィールドワークも興味関心を拡げるという点で、大きな強みです。
そうした皆さんの学びをサポートしていければと思っています。

  

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