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2022年06月27日
【文芸コース】「一人称」と「三人称」ってどう違うの!
皆さん、こんにちは。文芸コースの川﨑昌平です。
さて、文芸コースに在籍する方、あるいは文芸コースに興味があってこのブログを呼んでくださっている方……どうです? そろそろ小説を書いてみたくなりましたか? 第1回で「タイトル」の話をして、第2回で「キャラクターの名前」について語りました。となれば、いよいよ文章を書いていくためのお話をしたいと思うわけですが……ここでは、しばしば私が質問を受ける「人称」をテーマにしてみましょう。
🔗文芸コース| 学科・コース紹介

小説を書く上で、どこかの段階でどうしても「人称」を決定する必要があります。例えば次のような一文があったとしましょう。
この文章だけでは、「一人称」なのか「三人称」なのか、ちょっとわかりません。
上記の場合、甲は「一人称」の文章であり、乙は「三人称」の文章となります。文章自体を比べると、「私」が「男」になっただけ、1文字分しか違わないように読めますが……注目してもらいたいのは、1行目の意味性の差異にあります。
甲の場合、1行目の「風が吹いた。」という事象を観測しているのは、「私」です。したがって、これは主観的な判断であると言えます。本当はちっとも風なんか吹いていないのかもしれません。あるいは2行目の「期待に胸を膨らませた。」という表現から、1行目の「風が吹いた。」は自然現象としての風のことではなく、運が向いてきた、といったニュアンスを示す比喩的な表現なのかもしれません。
一方、乙の場合、1行目の「風が吹いた。」は純然たる客観的事実です(まあ、「男」の心理描写であって「男」の独白である、という読み方もできなくはないですし、そうした書き方は全然問題ないのですが)。作中において、「男」は実際に風を感じ、どこかの高台から町並みを眺めているわけです。
もちろん「一人称」なら主観的な記述がやりやすく、「三人称」だと客観的な描写に適している……と言いたいわけではありません。「一人称」の小説であっても客観的な構成は大切ですし、「三人称」の小説であっても登場人物たちの主観(にもとづく言動など)は重要です。
大事なことは「一人称」や「三人称」をどのように小説中で使うか、ということなのですが……情けないことに私では秀逸な作例が用意できないので、ここはひとつ、いつものように大文豪のお力に縋ることとしましょう。
どうです、なかなか不思議でしょう? 訳文の美麗さも手伝って、客観と主観とが巧緻に混ざり合い、独特の読み応えが香り立ちます。引用箇所は『老人と海』の終盤であり、まだ主人公の「老人」は海の上。つまりひとりぼっちなのですが、この「老人」、実によくしゃべるんです。そして思考は地の文で、すなわち「三人称」で書かれているのですが、ひとりごとは「 」内で、要するに「一人称」的に描出されています。おもしろいのは、そうやって「三人称」の記述と「一人称」的なものを織り交ぜることで、あたかも対話が生まれているように読めるところなのです。だからか、「老人」からちっとも孤独の色が見えない。葛藤や煩悶、自己肯定と自己否定、教え教わり……「老人」には静かに寂しさを味わうヒマなんてなく、大自然と闘争しているわけです。
ここで乱暴に文学観を語るのは自重したいところですが(紙面が少ないですし……本格的に学びたい方は、文芸コースが開講している講義にご参加ください!)、あえて言うならば、ヘミングウェイの文学は、闘争の文学だと私は思います。『日はまた昇る』は、『老人と海』とは異なり、一人称で書かれた小説ですが、やっぱり闘っています。相手は時代か、社会か、身体性か、若者の特権である閉塞感か……『老人と海』と対照的なのは、主人公の「ぼく」(ジェイク)の視点ですべてが語られるがゆえの、(たくさんの魅力的な脇役たちの存在がかえって拍車をかける)孤独感のソリッド具合でしょうか。まあ、紙面が尽きそうなので、ヘミングウェイ論は脇に置くとして……皆さんは、ぜひともいろいろな小説を読んで、いろいろな「一人称」や「三人称」に触れてみてください。きっとそれぞれの持つ魅力や特徴を発見できると思います。
最後に、クイズを。(アーサー・C・クラークによれば)ヘミングウェイが作者であるという「世界で最も短い小説」があります。下記がそれですが(訳は私です、すみません)……この小説は、「一人称」で書かれているものでしょうか、それとも「三人称」で書かれているものでしょうか? 正解者の中から抽選で1名様に……特に何もありませんので、皆さん、時間があるときに、ちょっと考えてみてください。
文芸コース主任 川﨑昌平
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さて、文芸コースに在籍する方、あるいは文芸コースに興味があってこのブログを呼んでくださっている方……どうです? そろそろ小説を書いてみたくなりましたか? 第1回で「タイトル」の話をして、第2回で「キャラクターの名前」について語りました。となれば、いよいよ文章を書いていくためのお話をしたいと思うわけですが……ここでは、しばしば私が質問を受ける「人称」をテーマにしてみましょう。
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「一人称」か「三人称」か。それが問題だ。
小説を書く上で、どこかの段階でどうしても「人称」を決定する必要があります。例えば次のような一文があったとしましょう。
風が吹いた。
この文章だけでは、「一人称」なのか「三人称」なのか、ちょっとわかりません。
甲:風が吹いた。
私は眼下に広がる町並みを眺め、期待に胸を膨らませた。
乙:風が吹いた。
男は眼下に広がる町並みを眺め、期待に胸を膨らませた。
上記の場合、甲は「一人称」の文章であり、乙は「三人称」の文章となります。文章自体を比べると、「私」が「男」になっただけ、1文字分しか違わないように読めますが……注目してもらいたいのは、1行目の意味性の差異にあります。
甲の場合、1行目の「風が吹いた。」という事象を観測しているのは、「私」です。したがって、これは主観的な判断であると言えます。本当はちっとも風なんか吹いていないのかもしれません。あるいは2行目の「期待に胸を膨らませた。」という表現から、1行目の「風が吹いた。」は自然現象としての風のことではなく、運が向いてきた、といったニュアンスを示す比喩的な表現なのかもしれません。
一方、乙の場合、1行目の「風が吹いた。」は純然たる客観的事実です(まあ、「男」の心理描写であって「男」の独白である、という読み方もできなくはないですし、そうした書き方は全然問題ないのですが)。作中において、「男」は実際に風を感じ、どこかの高台から町並みを眺めているわけです。
もちろん「一人称」なら主観的な記述がやりやすく、「三人称」だと客観的な描写に適している……と言いたいわけではありません。「一人称」の小説であっても客観的な構成は大切ですし、「三人称」の小説であっても登場人物たちの主観(にもとづく言動など)は重要です。
大事なことは「一人称」や「三人称」をどのように小説中で使うか、ということなのですが……情けないことに私では秀逸な作例が用意できないので、ここはひとつ、いつものように大文豪のお力に縋ることとしましょう。
彼は船尾に寝そべり、舵をとりながら、陸の上空に街の灯が映えて見えないかと思っていた。まだ魚は半分ある。頭からの半分は持って帰れる。それくらいの運はあるだろう。いや、と彼は言った。あんまり沖へ出すぎて運をぶち壊したんじゃないのか。
「ばか言え」と口に出た。「いいから眠らずに舵をとってろ。まだまだ捨てたもんじゃねえ」
「どっかで売ってるもんなら、いくらか運を買いたいね」
どういう勘定で買えるのか、と彼は一人で考えた。銛をなくして、ナイフを折られて、両手とも痛くなった。それだけの代価なら買えたりしないだろうか。
(ヘミングウェイ『老人と海』、小川高義訳、光文社、2014年、117〜118頁より引用)
どうです、なかなか不思議でしょう? 訳文の美麗さも手伝って、客観と主観とが巧緻に混ざり合い、独特の読み応えが香り立ちます。引用箇所は『老人と海』の終盤であり、まだ主人公の「老人」は海の上。つまりひとりぼっちなのですが、この「老人」、実によくしゃべるんです。そして思考は地の文で、すなわち「三人称」で書かれているのですが、ひとりごとは「 」内で、要するに「一人称」的に描出されています。おもしろいのは、そうやって「三人称」の記述と「一人称」的なものを織り交ぜることで、あたかも対話が生まれているように読めるところなのです。だからか、「老人」からちっとも孤独の色が見えない。葛藤や煩悶、自己肯定と自己否定、教え教わり……「老人」には静かに寂しさを味わうヒマなんてなく、大自然と闘争しているわけです。
ここで乱暴に文学観を語るのは自重したいところですが(紙面が少ないですし……本格的に学びたい方は、文芸コースが開講している講義にご参加ください!)、あえて言うならば、ヘミングウェイの文学は、闘争の文学だと私は思います。『日はまた昇る』は、『老人と海』とは異なり、一人称で書かれた小説ですが、やっぱり闘っています。相手は時代か、社会か、身体性か、若者の特権である閉塞感か……『老人と海』と対照的なのは、主人公の「ぼく」(ジェイク)の視点ですべてが語られるがゆえの、(たくさんの魅力的な脇役たちの存在がかえって拍車をかける)孤独感のソリッド具合でしょうか。まあ、紙面が尽きそうなので、ヘミングウェイ論は脇に置くとして……皆さんは、ぜひともいろいろな小説を読んで、いろいろな「一人称」や「三人称」に触れてみてください。きっとそれぞれの持つ魅力や特徴を発見できると思います。
最後に、クイズを。(アーサー・C・クラークによれば)ヘミングウェイが作者であるという「世界で最も短い小説」があります。下記がそれですが(訳は私です、すみません)……この小説は、「一人称」で書かれているものでしょうか、それとも「三人称」で書かれているものでしょうか? 正解者の中から抽選で1名様に……特に何もありませんので、皆さん、時間があるときに、ちょっと考えてみてください。
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文芸コース主任 川﨑昌平
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