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文芸コース

2022年08月29日

【文芸コース】作家になるために まずは「恥」を書こう

皆さん、こんにちは。文芸コース主任の川﨑昌平です。早いもので私が着任してから4ヶ月が経過しました。まだまだ不慣れなところのある私ですが、この4ヶ月でひとつだけ自信を持って理解できたことがあります。それは……学生の皆さんが本気で「よい文章を書きたいと思っている」という事実です。レポートを採点してもスクーリングで教壇に立っても、いつも学生の方々の熱意に驚かされます。同時に、真剣にその熱意に応えたいと想う私の気持ちも日々ヒートアップしています。人生も、仕事も、創作も、本気でやらないと、楽しくありませんからね……と思っていた矢先、次のような質問を学生から頂きました。

どうしても作家になりたいのですが、何からはじめればよいでしょうか?

非常によい質問だと私は思いました。何がよいって、「わからない自分」を一切隠そうとしないスタンスがすばらしい。謙虚に「わからない自分」と向き合ったがゆえのテキストに違いありません。熱意溢れる私は、すぐに質問をくれた熱意漲る学生に対して、「文章技法の基礎」や「物語構成の基本」などを伝え、またそれらを理解しやすくするための書籍などを紹介し、他には「メモのとり方」や「アイデアノートの重要性」などを事細かに解説しました。

ですが、うっかりしていて、最も大切かつ最初に実践すべき方法論を伝え忘れていました。なので、この場を借りて、お伝えしたいと思います。

作家になるためには……まず、恥をかきなさい。

別の言い方があるとすれば「作家になりたければ……失敗をたくさんしなさい」となるかもしれません。「恥」も「失敗」も、この文脈では同じ意図で私は使っています。要するに自分の意図した成果とは異なる顛末となるような結果を、理論上ではなく現実のものとして体得しなさい、というアドバイスです。

より具体的に説明すると、「これはおもしろくないかも……」とか「つまらないと言われそう……」とか、そんなふうに自分で思えてしまうような表現を、あえて堂々と他者に見せるようにしてみなさい、という助言になるでしょうか。

恥を〈書く〉ことでしかできない発見がある。



失敗や恥ずかしい思いはしたくないなあ……という意見もよくわかります。なまじ、現代は数多くの情報に触れられる時代ですから、情報を丁寧に取捨選択することで「正解」に至りやすくなっているという側面も確かにあります。ですが「作家になる」という道筋にまで、「正解」を求めてしまうのは危険……というよりも、私に言わせれば遠回りです。失敗や恥をおそれて常に最適解を求めてしまう人間のする表現は、厳しい言い方をすれば、底が見えているシロモノです。「ああ、この人は正解を求めて表現をしているんだなあ」とすぐにわかってしまうために、その表現に触れた際に驚きや感動を得る可能性が減ってしまうのです。「こう書くのが正解なんだろう?」とか「こうすれば読者が喜ぶんだろう?」とか、そんな態度で書いた文章は、読まずとも先の展開が読めてしまいます。ページを繰る前に何が書かれているか想像できてしまう作品なんて、おもしろいわけがない。「文章は上手だし、構成も破綻がないけど……つまらないなあ」と感じてしまう作品の多くは、正解を求めすぎた臆病な筆致が原因である……と、私は大学教員として、かつ編集者として、強く感じています。

むしろ、失敗したり恥をかいたりすることをおそれない表現のほうが、成長を予感させるという点において私は評価します。つまらなかったり、雑なところが目についたり、荒削りに過ぎたりと、いろいろと瑕疵が目立つものでも、いいんです。そうした表現を他者に見てもらうと、確かに手厳しい批判を受けたり、鼻で笑われたり、ネット上で酷評されたり、いろいろとつらい経験をするかもしれません。

ですが、その経験を経ないと、「自分なりのおもしろい表現」の可能性に気づけないままで終わってしまうんです。何が欠点であるかを理解しないと、欠点をどう克服すべきかはいつまでもわかりません。あるいは欠点が見えることで忘れていた伸ばすべき長所を発見できるかもしれません。いずれにせよ失敗を経なければ至れない境地です。そこを経ずに、既存の情報から「正解」を模索するだけでは……平均点前後の能力しか身につかない、私はそう思います。そして……これが一番大事なことですが、平均的な表現なんてものは作家になるためにはちっとも役にも立たない能力です。あなただけの武器、あなたにしかない魅力を、ユーザーはあなたに求めています。そして、それを自覚するための最も簡単なプロセスが失敗であり、恥なのです。

いきなり成功する人なんて、そうはいません。最初はみんな失敗するし、赤っ恥もたくさんかきます。そうした経験から、自分なりのスタイルや方法論を構築していくわけです。かくいう私も、今でも失敗を重ね、恥をかき続けています。ボツはしょっちゅうもらうし、嘲笑されたり侮蔑されたりといった恥辱も表現を世に発表するたびに受けています。ですが、そのおかげでいつも「新しい自分」と出会い、別の表現を思考する機会を得ています(だからこそ作家を続けられているのでしょう。世間体や社会的地位などを気にして、恥をかくのを私が恐れるようになったら……早晩、作家としての私は終わる気がします)。なので、作家になりたい人は、ぜひとも私のように、堂々と恥をかくことをするように意識してみてください。きっと、発見があるはずです。そしてその発見は、必ずやあなたの表現を成長させてくれるでしょう。(文芸コース主任 川﨑昌平)

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