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書画コース

2022年12月21日

【書画コース】比田井南谷の魅力に迫る

寒い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
本日のブログでは、先日訪問したアートギャラリー「√K Contemporary」で開催中の
「比田井南谷 生誕110年「HIDAI NANKOKU」」展の様子を紹介するとともに、比田井南谷の書の魅力について探っていきたいと思います。本日の担当は、書画研究室の前川です。 

√K Contemporary ホームページ
https://root-k.jp/exhibitions/hidai-nankoku_2022/ 

比田井南谷とは


まずは、比田井南谷19121999)の来歴について紹介したいと思います。

南谷は、書家・比田井天来と小琴の次男として生を受けました。天来は、「古法(俯仰法)」という用筆を発見し、上田桑鳩や手島右卿、金子鷗亭といった多くの弟子を輩出したことで知られています。また、書の研究所である書学院を設立し、昭和12年(1937)には尾上柴舟とともに書ではじめての帝国芸術院会員に任命されました。書の大家である父と、仮名作家である母のもとに生まれた南谷は、書が身近にある環境で育った一方、幼少期には書に対してほとんど興味を抱いていなかったといいます。

大正13年(1924)に府立第六中学(現:都立新宿高等学校)に入学すると、古典音楽に対して強い関心を抱くようになりました。その一方、天来に書の勉強をするようにと言われ、勝手に法帖を持ち出して臨書するうちに、書に興味を抱くようになったといいます。中学卒業後は天来の勧めもあって、東京高等工芸学校印刷工芸科(現:千葉大学)へと進学し、印刷技術と写真製版を学びました。また、入学と同時にヴァイオリンを本格的に学び始めました。ヴァイオリン奏者を志しますが、天来に反対されたためこれを断念し、卒業後は参謀本部地測量部に就職しました。就職した翌年、天来の後継と目されていた兄が病死したことでその任を南谷が担うこととなり、昭和14年(1939)の天来の歿後は書学院を継承し、数千冊に及ぶ碑法帖の管理を行いました。

このようにして本格的に書の世界に身を置くようになった南谷は、書表現を模索するうちに非文字性による「心線」の表現へと辿り着きます。昭和23年(1945)に制作された「電のヴァリエーション」(千葉市美術館蔵)はその代表的なものです。これは、当時の書壇に大きな衝撃を与え、賛同者を得て前衛書運動へと発展しました。

南谷が想像した新たな概念の「線の芸術」は、日本の書道界や美術界、さらに欧米の芸術界に衝撃を与えました。当時のSan Francisco Sunday Chronicle紙に「New Abstract Style」と評されたその芸術表現は、それまでとは全く異質の新しい表現として非常に高く評価されました。 

「比田井南谷 生誕110年「HIDAI NANKOKU」」展について


ではここで、「比田井南谷 生誕110年「HIDAI NANKOKU」」展の様子を紹介したいと思います。

 この展覧会では、南谷の日本未発表作品や拓本コレクション、資料などを含む約50点の作品が紹介されていました。

12階には南谷の制作した作品が、地下室には南谷の拓本コレクションが展示されていました。大きい作品もあれば小さい作品もあり、また墨を用いた作品もあれば油彩やラッカーを用いた作品もあるなど、実に様々です。



2階では、南谷が海外に渡航した際の活動や制作風景が窺えるような映像も流れており、南谷の書に対する姿勢がよくわかるような内容となっていました。地下室には「 鄭羲下碑」や「始平公造像記」など実に様々な拓本コレクションが展示されており、前衛書家として知られる南谷ではありますが、古典を重んじていた様子が窺えました。 

比田井南谷の書の魅力とは


ここで、南谷の書の魅力について探っていきたいと思います。

まず注目したいのが、様々な用材(マチエール)を用いているという点です。南谷は、昭和30年(1955)頃から紙や墨といった一般的に書を書く際に用いられる用材にとらわれず、キャンパスやファイバーボート、油彩、ラッカーなど様々なマチエールを用いて制作活動を行ったことで知られています。また、時には古い拓本の上に書いたり、筆を用いずに竹片やタイヤの切れ端でひっかいて制作したりもしています。

東京高等工芸学校印刷工芸科で印刷技術や写真製版を学んでいたことも、こうした制作の背景にあったのかもしれません。



昭和29年(1954)に南谷は、「書の芸術的本質は鍛錬された筆線による表現にあるので、用材は単なる媒体にすぎない」と発言しています。こうした思想が根底にあったからこそ、南谷は様々なマチエールを探求し、魅力的な作品を世に輩出することになったのでしょう。 

次に注目したいのが、文字に捉われない制作を行った点です。

「用材」を「単なる媒体にすぎない」と考えていた南谷にとって、「文字」もまた同様でした。昭和31年(1956)に南谷は、「文字に拘ることが初歩的段階で、そうでないものが進んだものであるとか、或は前者が書で、後者は書でないという様なことは、少しも考えて居りません」と発言しています。

それでは、南谷にとっての「書」とは何だったのでしょうか。                                                               南谷は、「文字性から離れても、書の先人達によって、三千年の間に培われ練り上げられた書の心と美から断絶したり、或はこれを捨てゝしまっては無意味だと思います」とも発言しています。ここからは、南谷が「書の心と美」を重視していたことがわかります。

さらに、昭和39年(1964)には、「東洋の書は、美しい筆跡以上のものである。それは文字の意味によってではなく、書かれた線の意味によって評価される」とも述べています。南谷の重視していた「書の心と美」とは、「心線」によって表現されるものだったのです。

線の芸術を探求していた南谷にとって、文字の意味やその内容は、妨げとなる恐れのあるものだったのかもしれません。文字性に捉われずに「心線」によって表現された南谷の作品群は、時を超えて鑑賞者に「比田井南谷」という人に相対させてくれる、そんな魅力があるのです。



 1/28(土)特別講義のお知らせ

本ブログで紹介した比田井南谷のご息女である比田井和子氏を講師に迎え、『生誕110年「HIDAI NANKOKU」』をテーマにした書画コースの特別講義を開催予定です。Zoomウェビナーを使用したオンライン配信で、一般の方も参加自由となっています。参加方法などの詳細については、改めてこちらのブログにてお知らせいたします。
ぜひご予定を空けてご参加いただければと思います。

開催日時:2023年1月28日(土)14:30~(予定)
参加方法:以下ブログをご確認ください。

【書画コース】1/28(土)第4回オンライン特別講義のお知らせ


参考文献
『道風記念館特別展 生誕一一〇年記念 比田井南谷~線の芸術~』(春日井市道風記念館、令和4年)                                                     「比田井南谷オフィシャルサイト」(https://www.shodo.co.jp/nankoku/、令和41214日アクセス)

 

🔗書画コース詳細ページ(大学HP)
カリキュラムや動画教材の一部を公開しております。ぜひご覧ください。

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入学説明会は12月~3月まで毎月開催します。最新情報は上記説明会ページをご確認ください。



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