PHOTO

PHOTO

アートライティングコース

2023年10月18日

【アートライティングコース】「これはそれを殺すだろう」 ヴィクトル・ユーゴー『パリのノートル=ダム大聖堂』第8版、1832年

Luc-Olivier Merson, Illustration pour La Notre-Dame de Paris, c. 1888-1889.
Maison de Victor Hugo – Hauteville House
CC0 Paris Musées / Maisons de Victor Hugo Paris-Guernesey



みなさま、急速に秋らしくなってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。アートライティングコースの教員、上村です。
「殺す」という言葉は、見た瞬間に目に強く飛び込んできます。「消す」とか「失わせる」という語に比べても、「殺す」という動詞は尋常ではない雰囲気を持っています。こんなに世の中に戦争や災害が頻発し、毎日のように何人が死んだという悲惨なニュースが流されていても、それらは却って死に対する鈍感さを増すだけです。ドラマやゲームのなかで繰り返される生死も鈍感さに一役買っているかもしれません。

しかし、もし自分の身近で人が殺されたなら、TVやネットで流される死亡者情報とは比べ物にならないほど不安な気持ちを掻き立てられることでしょう。「殺す」というのは、単に何らかの存在を抹消するということだけでなく、殺すという行為をはたらく明確な意志をもった存在を指し示します。誰かの生命が失われることだけでなく、その生命を奪う何者かの振る舞いや行動、さらには殺戮者の感情や表情すらも想像させる、恐ろしい言葉です。

この文章の最初に掲げましたのは、19世紀フランスの小説家、詩人、政治家のヴィクトル・ユーゴーがパリのノートル=ダム大聖堂を舞台にした小説のなかで使った言葉です。「これはそれを殺すだろう」という言葉が冒頭で引かれた第5書第2章では、パリの大聖堂をはじめ、世界中で古くから建築が担ってきた役割が語られています。

ユーゴーに言わせると、建築は人類の記憶を留める書物であって、各地域、各時代にそれぞれのしかたでこの石の書物に人間の思想が刻み込まれています。建築物の姿は物言わぬ精神の歴史です。ところが、15世紀になって活版印刷がはじまると、人々の精神的な活動は石材ではなく印刷された書物に記されるようになります。書物は簡便に作り、運ぶことができるだけではありません。破壊にも強いのです。もちろん、1冊ずつ手で記された写本は薄く、弱く、堅牢な石の建築のほうが圧倒的に記憶の保持者として有利でしょう。

しかし印刷本は複数あります。たとえそのなかの1冊が焼失したとしても、他に何十、何百、さらには何千部もの同等の書物が存在し、しかも繰り返し印刷されることでその数はいくらでも増えてゆきます。建築物は、いかに鞏固な構造を持っていようと、破壊はまぬがれません。実際、数年前にパリのノートル=ダム大聖堂が炎に包まれる映像をご覧になったかたも多いと思います。印刷された書物が記憶の拠り所としての建築物の役割を奪ったとしても、それには必然的なものがあります。そしてこの変化を言い表した言葉として「これはそれを殺すだろう」という文句が使われているわけです。

ここで「殺す」という強い語が使われているのは、それだけユーゴーが古くから伝えられてきた建築物を愛惜し、他方でそれを破壊する行為に憤りを感じているからだと思われます。ユーゴーにとっては建築が失われていくのは他人事ではない感情があったのでしょう。実際、ユーゴーはギゾー内閣のもとで設けられた歴史記念物委員会の仕事にも携わり、産業革命の進行や歴史への無関心から急速に損なわれてゆく建築物や景観を守ろうとしました。

ローマにサン・ピエトロ大聖堂があるように、それぞれの国にそれぞれのサン・ピエトロがある、というユーゴーは、印刷術が普及した社会の中にあって(そしてまた彼自身、印刷術のおかげで名声を得ていたのですが)、記念物に囲まれた生活、歴史的な建築とともにある生活は、近代になっても失ってはならないかけがえのないものでした。『パリのノートル=ダム』の第三書の「パリ鳥瞰」と題された章を読んでみてください。

いにしえのパリの景観を卓抜な想像力によって、ありありと描き出している章ですが、その最後のほうで近代のパリの都市空間を視覚や聴覚を総動員して感じ取ることを読者に強く促しています。建築は印刷によって殺された、というより、なおも生きるべきだという主張にも見えます。

ところで、ユーゴーの長大な小説はしばしば本筋から大きく脱線して、1章まるまる挿話的な記述であふれることも珍しくありません。上に挙げた「これはそれを殺すだろう」や「パリ鳥瞰」も、ストーリーを物語るというより、独立した建築に関するエッセイのようなもので、もし縮約版を作るなら、おそらくあっさりカットされてしまうことでしょう。しかしそうした脱線も含めて、否、実はそうした脱線こそが、ユーゴーの小説の肝心要なところであるように思われます。

『パリのノートル=ダム』というタイトルが示す通り、主人公はカジモドでもなくロマの娘でもなく、大聖堂という建築です。物語の筋書きのほうが、添え物かもしれません。忙しい現代、ただでさえ長い小説はなかなか読み進められない上に、こうしたストーリーの進行にあまり貢献しない章などは「タイパ」(時間的効率性)が悪い、ということになってしまいます。

AIのような便利な道具が普及すると、今度はこれが小説を殺してしまう、ということさえ言えるでしょう。しかし、ユーゴーにとっての建築と同じように、一見無駄な脱線、ウンチク、饒舌さが作る世界は、それはそれで私たちにとって読書生活の重要な部分を占める空間です。大事な無駄です。これからも守りつつ脱線し、かつ心ゆくまで味わいましょう。

上村博

アートライティングコース|学科・コース紹介

▼オンラインで参加できる11月体験入学でコースの学びを1日体験してみませんか?

「アートライティング」っていったい何? ひとことで言えば、アートについて書く行為、そして書かれた文章(作品)を指す言葉です。とはいえ、アートについてのイメージや意味の理解は人それぞれ。この体験授業では、アートとは何か、アートライティングとは何か、ていねいに説明していきます。同時にミニ講義として、「京都発」のアートライティングをご紹介。大学がある京都は芸術や文化の宝庫です。さまざまな視点や題材によるアートライティングの事例を見ていきましょう。

この記事をシェアする