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和の伝統文化コース

2023年10月28日

【和の伝統文化コース】東京・青山「地域の経緯と祭り」

 



皆さん、こんにちは。和の伝統文化コースの雨宮智花です。
秋も深まり朝夕はめっきり冷え込む様になりました。お変わりありませんか。

さて、本校の通信教育部には、対面講義・オンライン講義・オンデマンド型講義など、様々な学びのカリキュラムがあります。通信教育部に入学された際に、受講の為に登校する主な校舎は、京都・瓜生山キャンパス 、東京・外苑キャンパス、大阪・サテライトキャンパスになります。その中で外苑キャンパスは、2010(平成22)年より京都芸術大学と姉妹校の東北芸術工科大学の東京の拠点として開設されました。本コースも同年に新設され、現在12年を迎えています(註1)。今回は、本キャンパスが位置する「北青山1丁目周辺」に注目し、この町の歴史や復活した行事を含めてお伝えしたいと思います(註2)。

外苑キャンパス(2023年10月筆者撮影)



それでは、「北青山1丁目」の経緯を一緒にみていきましょう。

かつて、北青山一丁目から五丁目にかけては原宿村、六丁目辺りは上渋谷村と呼ばれていました。青山という地名の由来は様々ありますが、徳川家康の重臣・青山忠成に由来していることが有力とされています(註3)。青山家は、三河国の国人で、忠成の父の代から徳川家(当時は松平家)に仕えてきた一族です。1590(天正18)年に、家康が関東に入国し、関東の太守となると、青山忠成は関東総奉行に任命されました。江戸城近くに土地を与えられ、拝領した屋敷は広大なものとなりました。これに因んで与えられた土地が、そのまま青山と名付けられたと伝わっています。幕臣の屋敷地、善光寺や海蔵寺、高徳寺等の寺社が立ち並びました。明治期に入り、1878(明治11)年から1947(昭和22)年までは、現在の北青山一丁目地域は「青山六軒町」として、東京府赤坂区(旧字体:赤坂區)に属していました(註4)。

赤坂区時代の地図を調べてみると「青山六軒町」と書かれています。東側は青山権田原町、西側は明治神宮外苑、南側は三筋町が記されています。1886(明治19)年、北青山一丁目から三丁目の裏手一帯が陸軍青山練兵場となります。その後、この敷地は明治天皇と昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるため、明治神宮外苑に選ばれました。1947(昭和23)年に赤坂区は東京都港区に所属となります。戦後の青山は青山通り(国道246号)を中心にビルが並び、発展を遂げています。

続いて、
「青山星灯篭」という祭りについてお伝えします。現在、青山はファッションや流行の発信地のイメージがありますが、かつてここにあった暮らしを再発見したいと考え、地元の有志が150年ぶりに復活させた祭りが「青山星灯篭」です。現在の青山善光寺辺りに、青山百人町がありました。かつて青山忠成がこの一帯に鉄砲百人組の与力・同心を住まわせたことに由来します。青山星灯篭は二代将軍徳川秀忠の御霊を祀ったことから始まりました。江戸期から明治初期まで、青山百人町周辺にて、旧暦7月に一ヶ月間行われていました。竹竿の先に提灯をつけて高く掲げるお盆の行事です。七代将軍徳川家継がこの灯篭を目にし、二代将軍秀忠の菩提を弔っていることを知り報奨金を賜ったことから、年中行事となり、青山百人町は江戸の名所となりました。高く掲げられた幾つもの提灯は星のように見えたことでしょう。

歌川広重の諸国名所百景「東都青山百人町星燈籠」総合資料学情報基盤システムkhirinより引用



二代歌川広重は諸国名所百景の中で「東都 青山 百人町 星燈籠」として星燈籠を描いています。2017(平成29)年、青山星灯篭実行委員会が結成されました。七基の灯篭から始まった星灯篭は年々数を増やして、今年は約三十基の星灯篭が、青山の街を彩りました。

最後になりますが、
現在、外苑キャンパスの周囲やメディアなどで、神宮外苑の再開発の事業について話題になることが多くなりました。青山通りから聖徳記念絵画館に真っすぐに伸びる車道にあるイチョウ並木の移動についてです。変わり行く時代を吸収し、創造を繰り返してきた青山地域です。美しい姿で未来に届くことを願ってやみません。外苑キャンパスの周囲には、美術や歴史など様々な分野の博物館や美術館があります。是非、教養や文化に触れる機会を増やして頂けたらと思います。
また深く専門性を高めたいとお考えでしたら、通信教育部の説明会に、是非ご参加ください。お待ちしております。

≪註釈≫
(註1)京都芸術大学外苑キャンパス、東京都港区北青山1-5-15
(註2)青山は、東京都港区西北部に位置する北青山および南青山の総称とされています。
(註3)かつて武蔵野の原で、赤土が露出していた地域を赤坂と呼び、青々と雑草に覆われていた地域を青山と称したという説も伝わっています。
(註4)青山通りの南にあった同名の「青山六軒町」は1683年の起立で別物になります。

≪引用資料≫
「東都青山繪圖 嘉永6年・付録地図」東京市赤坂區役所『赤坂區史』1941年、東京市赤坂區役所より引用。
「歌川広重の諸国名所百景 東都青山百人町星燈籠」khirinより引用。
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_nishikie/H-22-2-11

≪参考文献≫
港区立湊郷土資料館『増補港区近代沿革図集 赤坂・青山』株式会社人文社、2006年
東京市赤坂區役所『赤坂區史』1941年、東京市赤坂區役所
東京都港区教育委員会・東京都港文化財調査委員会『港区の文化財第5集 赤坂・青山 その2』東京都港区教育委員会、
1969年
下中直人『日本歴史地名大系第13巻東京都の地名』株式会社平凡社、2002年

≪参考ホームページ≫
青山星灯篭甦生プログラム https://aoyamalanterns.com/

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伝統文化には様々なものがありますが、それらに大きな影響を及ぼしているものが四季といった季節です。昔の人々がどのように四季を認識していたのか。代表的なものに、年中行事があります。季節ごとの歳事や行事には本来、機能や役割があり、大切にされてきました。いまに受け継がれているものも多くあります。今回は現代でも行なわれている節供を中心に見ていきながら、年中行事が日本の伝統文化に与えた影響を改めて考えてみたいと思います。

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