PHOTO

PHOTO

文芸コース

2024年03月24日

【文芸コース】読むことと書くこと



皆さん、こんにちは。文芸コース主任の川﨑昌平です。

いきなりですが、画像は3歳6ヶ月の私の息子が、図書館で紙芝居を読んでいる光景を撮影したものです。
読んでいる、と言っても息子はまだ文字が読めません。紙芝居の裏面に記された文章を正しく発語しているわけではないのです。表の絵を見たり、裏の文字を眺めたりを忙しく繰り返しながら、おそらくは彼が保育園で保育士の先生方にやってもらっているように、観客(この場合は私)に紙芝居を読み聞かせることを、自分もやってみようとしているのだと思います。ここ最近は紙芝居だけではなく、絵本なども、私に読み聞かせてくれるようになりました。もちろん、流暢にお話を語ることは息子にはできませんから、だいたい下記のような具合になります。

「たろうは……うみで……かめを、かめと……あいまちた。そして……うみに……いきまちた」

我が子による「読み聞かせごっこ」の観客役になるたびに、間抜けなパパは、かわいいかわいいと目を細めているだけだったのですが……先日、ふと思い至りました。

これは、「読み聞かせ」ではなく、「書き聞かせ」ではないのか、と。

前提条件を確認しましょう。息子は、まだ文字が読めません。紙芝居にせよ絵本にせよ、文字を視覚的に認識して音声に変換しているわけではないのです。我が家にある絵本であれば、一度や二度はパパに読んでもらった経験が彼にはあるわけですから、そのときの記憶を頼りに音声を再現している可能性もあるかもしれませんが、しかし、実際に読み聞かせられる側に立った感触からすると、どうも息子は絵というビジュアルを材料として、その場でストーリーを紡ぎ出しているように聞こえてしまうのです。
根拠は多用される接続詞「そして」の存在と、結果として出てくるストーリーが紙芝居や絵本の実際とはだいぶ異なるというところ。絵をヒントにしながら、多少は自身の記憶を探りつつ、その上でどうにか物語になるように言葉を選び、「そして……」を繰り返しながらキャラクターをちょっとずつ(いびつではあるのですが)動かして、自分でお話をつくっているようなのです。

これ、私もやってみようと試みたのですが、かなり難しい。有名な物語ですとあらすじを知っちゃっていますから、図書館であえて読んだことのない紙芝居を選び、裏の文章を一切読まず、絵だけを見て物語をその場で考えて語ってみる……ことをしてみましたが、なかなかうまくいかない。一枚の絵という記号に対する解釈はどうにかそれっぽくできたとしても、ぺらりとめくって次の絵が出た途端、それが前の絵に対する私の理解との接点を持っていなかったりすると、もう狼狽えてしまって物語が続かない。息子にならって強引に「そして」でつなごうとしても、知識や経験が邪魔をして不格好なつながりを拒もうとするあまり、いよいよ接続が歪められてしまい……恥ずかしい話ですが、数作品試してみたものの、ひとつも私は物語を完結させられませんでした。

情けない。普段、文芸コース主任として「読むことと書くことは表裏一体である。どちらが欠けても表現は結実しない」などと偉そうに講釈を垂れている私が、いざ現実世界では「読むこと(対象の理解)」と「書くこと(対象の言語化)」との相関において、かなりの距離をつくってしまっていた事実が、痛々しいほどに自覚できてしまったわけですから。
無論、両者がぴたり合わさる必要はない……というよりも多くのケースにおいてそれは不可能なことでしょう。文献をよく読み、思考を重ね理解を深め、その上で書くという表現に進むのが普通のワークフローです。そこにおける両者の間には、時間的・身体的な距離があります。それ自体は間違った方法論ではありませんし、誰もがやるごく自然な「読むことと書くこと」の実践でしょう。

が、しかし、その構造を盲信するあまり、私は「読むこと」と「書くこと」の新たな可能性を探求することを放棄してはいなかったか? 息子による読み聞かせを浴びながら、私はそう反省したのです。なぜって、そこには、限りなく「読むこと」と「書くこと」を接近させた行為があったのですから(息子による読み聞かせで結果として生じる物語がいびつと評しましたが、それだって私の狭い了見による判断に過ぎず、ひょっとしたら息子は紙芝居に記された物語に飽き足らず、自分でよりよい物語を構築しようと試みていたのかもしれません)。

まあ、それはさておくとしても、何にせよ「読むこと」と「書くこと」を接近させる試みは、文芸の学びとして、ひとつのよい練習になるような気がしました。
みなさんもぜひやってみてください。自身の中にある物語の構造を根底から鍛え直すトレーニングになるかもしれません。具体的な実践方法としては、ストーリーを知らない、あるいは理解できないビジュアルたち(例えば全然読めない多言語で書かれた絵本やビジュアルブックなど)を用意し、それらを見ながら(読みながら)、物語を言葉にして(書いて)発音してみましょう。ゆっくりやっちゃ、ダメです。眼の前に、紙芝居を楽しみにする幼児のような、物語に飢えた読者がいるのだと想定して、彼らを飽きさせないスピードで、物語を紡ぎ出しましょう……と思い立って、結構やってみているんですが、なかなかおもしろいものができない、というよりは整然とした流れを持つストーリーをつくることすら困難です。
でも、諦めずにもう少し私は練習してみたいと思います。ドストエフスキーの『賭博者』が口述筆記によるものというのは有名な話ですが、私のような凡人には無縁の方法論と考えていたものの、この「ビジュアルを見(読み)ながら、その場で物語を語る(書く)」というトレーニングを重ねれば、観察(インプット)と表現(アウトプット)の時間的距離が減少し、きっといつの日か、私も口述筆記ができるようになるかもしれませんからね。

文芸コース主任 川﨑昌平

 

文芸コース| 学科・コース紹介

この記事をシェアする