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芸術学コース

2025年12月17日

【芸術学コース】200年前のクリスマスとベルリンの街を想像する

こんにちは、芸術学コース教員の三井麻央です。近年では11月になると紅葉よりも先にイルミネーションが街を彩りはじめますね。年末商戦に励む百貨店のショーウィンドウ、スーパーマーケットのケーキ予約ポスターや長靴に入ったお菓子も、クリスマス当日が近づく頃にはすっかり目になじむ、おなじみの光景です。
ところで西洋美術とクリスマスといえば、温かみのあるキリストの降誕図などが思い出されますが、「街の恒例イヴェント」としての側面もありました。今回の記事では、そんな19世紀ドイツ美術の一側面と、ある建築家のつながりについてご紹介してみます。

クリスマスの一大イヴェント


厳密には220年ほど前のこと。1800年ごろのベルリンの街でも、クリスマスになるとカフェや書店のショーウィンドウに華やかな飾りが施されていたそうです。そして、クリスマスの催しとしてたいへん人気を集めたのが、毎年のように開催されていた「透かし絵」という絵画の展覧会だったのだとか。
展覧会といっても、一般に想像される美術館での展覧会とは少し異なります。ここでの「透かし絵(Transparentsbilder)」(あるいは「透視図絵(Perspektivisch-optische Schaubilder)」)とは、のちに「ディオラマ」とよばれる装置の前身で、半透明の絵画の画面の向こう側から光を照射したり、伴奏をつけるなど独特の見せ方で臨場感ある様子を伝えた、大衆的な見世物だったといいます。画面に描かれていたのは、その年に近隣諸国で起こった事件や出来事の情景、異国の風景などが定番でした。現代でも年末になると「2025年の一大ニュース」などといった特集をテレビやウェブメディアで必ず目にしますが、200年前にも同じようなイヴェントで人々が盛り上がっていたとは驚きです。

そのような絵画の制作に、ドイツで最もよく知られる建築家のひとり、カール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)が携わっていたことが知られています。シンケルの描いた透かし絵そのものは残念ながら現存しませんが、エジプトやエルサレム、イタリアといった異国の風景や「モスクワの大火」など、いかにも年末特集にふさわしいテーマをシンケルも手がけていたという記録が、少しの素描とともに残されています。
──しかしなぜ、ドイツ随一の「建築家」がこのような大衆的な絵画の仕事をしていたのでしょうか?それには理由があります。ベルリンを首都とするプロイセン王国は当時ナポレオン1世率いるフランスの支配下にあり、公共建築に関する仕事は激減していました。そのため、当時30代であったシンケルも解放戦争のころまでは主に絵画で生計を立てていたそうです。先述の「モスクワの大火」も1812年のナポレオンによるロシア侵攻時の出来事であり、その他にも「ライプツィヒの戦い」や「セントヘレナ島」など、戦争に関連した出来事はしばしば透かし絵の主題に選ばれました。

建築家シンケルの絵画制作


そのような状況下でシンケルは、「透かし絵」や「パノラマ(円筒状の大画面を見渡す装置)」のような新興メディアのための絵画だけでなく、オペラのための舞台背景画、そして特定の目的を持たない風景画など、多数の絵画を手がけます。

[図1]カール・フリードリヒ・シンケル《魔笛(舞台背景画のための素描)》
1815年頃、グワッシュ・紙、46.4×61.5cm、版画素描館、ベルリン
https://id.smb.museum/object/1504348/die-zauberfl%C3%B6te–oper-von-wolfgang-amadeus-mozart–entwurf-zur-dekoration–die-sternenhalle-der-k%C3%B6nigin-der-nacht



舞台背景画の構想図として最もよく知られるのが、オペラ「魔笛」のためのこちらの素描です[図1]。ドーム型に規則的に配された星空の下部には、ほっそりとした月の上に立つ夜の女王の姿が小さく見えます。やはり背景画そのものは現存しないものの、あの有名なアリアが今にも聞こえてきそうなインパクトから、今でもたいへん人気の高い作品です。

シンケルが特徴的な絵画を多く残すことになった契機のひとつとして、1810年にドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)の展覧会を訪れ、驚愕したという体験があげられます。フリードリヒといえば《海辺の修道士》や《氷海》など、圧倒的な自然の景観の中に宗教的感情を加えた風景画で知られます。昨年は生誕250周年を迎え、ベルリンだけでなくハンブルク、ドレスデン、そしてニューヨークで回顧展が開催されるなど、現代でもその人気と影響力は健在です。
この出会いを経てシンケルも、例えばゴシック教会を強い光のコントラストのもとに照らすダイナミックな絵画[図2]など、数多くの風景画を描くようになったのでした。

[図2]カール・フリードリヒ・シンケル《水辺のゴシック聖堂》
1813年、油彩・カンヴァス、80×106.5cm、旧ナショナルギャラリー、ベルリン(2019年筆者撮影)



そして解放戦争後の1810年代後半からようやく、シンケルは旧博物館[図3]をはじめ、その周辺の劇場や教会などといった、現在のベルリン中心部の街並みを象徴するさまざまな建築の設計を担うようになります。

[図3]カール・フリードリヒ・シンケル《旧博物館》1830年開館(2022年筆者撮影)


200年後のベルリンでは


それからおよそ200年後、2022年のこと。コロナ禍を経て筆者が久々にベルリンの街を訪れた際、「博物館島駅」という新しい地下鉄駅ができていることに気づきました[図4]。博物館島とは、街の中心部を流れる川の中洲にある、博物館の集合地帯です。シンケルの設計した旧博物館ほか、多数の博物館・美術館が属しており、1999年にはユネスコ世界遺産に登録されました。

[図4]「博物館島(Museumsinsel)」駅、ベルリン(2022年筆者撮影)



この地帯の最寄り駅として作られた博物館島駅では、構内の天井が湾曲しており、細やかな白い点々のついた群青色が電車の黄色を引き立てます。お気づきの通り、このデザインの「元ネタ」となったのは、他ならぬシンケルの「魔笛」背景画にちがいありません。
現在のベルリンの街を彩るのは「建築家」シンケルによる街並みであるものの、近年では絵画制作と空間構成に関する研究もさかんに進められています。シンケルにとっては意図せざる仕事であったかもしれない画家時代の仕事までもが意匠として街の景観に加えられたことは、シンケルの絵画制作と建築の仕事が空間的につながるようにもみえ、少し興味深く感じられた出来事でした。
このように、画家の生涯や作品の内容にとどまらず、都市や国の歴史までもが立体的に見えてくる点も、美術史を学ぶ楽しみのひとつではないでしょうか。

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本学の芸術学コースでは、美学、日本美術史、西洋美術史を専門とする教員がそれぞれの研究領域から多種多様な授業を行います。その模様を、1月以降も開催のコース別入学説明会やオンライン1日体験入学でぜひ体感してみてください。

コース別入学説明会

オンライン1日体験入学



 

読書案内
尾関幸編『西洋近代の都市と芸術 ベルリン─砂上のメトロポール』竹林舎、2015年。
ベルナール・コマン『パノラマの世紀』野村正人訳、筑摩書房、1996年。
ヴェルナー・ブッシュ『カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ』杉山あかね訳、三元社、2025年。

 

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