

アートライティングコース
- アートライティングコース 記事一覧
- 【アートライティングコース】「おなら」はアートライティングの題材になりうるか
2026年05月08日
【アートライティングコース】「おなら」はアートライティングの題材になりうるか
みなさん、こんにちは。教員の小柏です。
10年以上前から気になっている本があります。ピエール=トマ=ニコラ・ユルトー『屁の技法』(原題:Pierre-Thomas-Nicolas Hurtaut, l’Art de péter)という本です。作者名とタイトルを日本語で記しましたが、残念ながら日本語訳はありません。とはいえロミ&ジャン・フェクサス『おなら大全』(高遠弘美訳、作品社、1997年)で詳しく紹介されています。『屁の技法』は18世紀(1751年)にフランスで初出版されました。わたしの手元にあるのは、2006年にPayot社から出版されたものです。歴史家・映画批評家のアントワーヌ・ド・ベック(Antoine de Baeque)による序文が付けられています。
この著作は(偽の)医学読本といった体の、ユーモアと風刺に満ちた小冊子です。手元にある版は序文が30ページほどで本文が70ページほどで、書籍としてはかなり短い部類に入ります。
さてこの「おなら」を扱う小著がアートライティングといえるのかどうかを、今回の記事では考えてみたいと思います。アートライティングが取り上げる対象は芸術(作品)や文化です。おならをめぐる文章がアートライティングといえるのかどうかという問いは、別の言い方をすれば、おならについて語ることが芸術や文化について語ることになりうるのかどうか、ということになるでしょう。
わたしたちは直感的に「そんなことはない」と答えたくなるでしょう。おならは生理現象であり、医学やエチケットの文脈でこそ語りうるものであって、芸術や文化として語るようなものではない、と。
それでもユルトーは「屁をひることは技芸である(Péter est un art)」(註1)と述べています。フランス語原文を踏まえれば、おならをすることは一種の「アート」であると断定しているのです。ユルトーは放屁のメカニズムを記述し、おならを音の違いに基づいて「大開音の屁」「二重母音の屁」「半開音の屁」(註2)に区別し、それらの音を伴ったおならの特徴を解説しています。おならにそのような音の違いがあることを踏まえ、「屁は音楽か」と問うています。
この引用箇所には、この著作をアートライティングと呼びうることを示す重要なファクターが二つあります。
一つは、おならを音楽に準えている点です。アートとして認識されている音楽におならがなりうる可能性を示すことで、おならをアートへと引き上げようとする思考が見て取れます。話が少し脇道にそれますが、個人的にはこの論法から、映画の特徴(とりわけモンタージュの手法や思想)をあらゆる文化芸術に見いだすことで、映画をカノニックな芸術の仲間として示そうとしたエイゼンシュテインのモンタージュ論を連想したりもします。文化や芸術とは(まだ)認識されていないものに、文化や芸術との共通項があることを示し、その文化性や芸術性を示すことはアートライティングの一つのあり方でしょう。なにげない日用品を題材とし、その文化的意味や作家性に迫るアートライティング作品は、レポート課題においても卒業制作においても見かけられます。
もう一つは、おならの「技芸」について語っているという点です。おならの音を変幻自在に操る少年は、「屁をひることは技芸である(Péter est un art)」を体現しています。まさしく「技芸」や「技法」とは、artという言葉に与えられる日本語訳の一つでもあります。そして芸術作品や文化的産物を生み出すにはなんらかの「技芸」や「技法」が欠かせません(「技芸」「技法」から逸脱することで新しいものを生み出そうとする「技芸」「技法」も含めて)。artという言葉に、「芸術」という訳だけではなく「技芸」「技法」という訳が与えられている点は示唆的です。「技芸」や「技法」について語りうるということが「アート」を定義するものの一つであってもよいのかもしれません。アートライティングとは、芸術や文化といった文章の題材によって定義されますが、(一般的に芸術や文化と受け取られないものであっても)ある事物の技芸や技法について語るという語り方によって定義されてもよいではないでしょうか。『屁の技法』に関しても、おならの「技芸」に論が及んでいる点で、アートライティングと捉えて差し支えないように思います。
ここまで『屁の技法』がアートライティングと呼べるのかどうか考えてきました。おならというアートとはかけ離れた題材を取り上げた文章について考えることで、アートライティングというものの広がりを、多少なりとも嗅ぎとっていただけたのではないでしょうか。
註:
1: Pierre-Thomas-Nicolas Hurtaut, l’Art de péter, Payot, 2006, p.35. 以下、同書からの引用は拙訳による。
2: ibid., pp.49-61.
3: ibid., pp.66-67.
アートライティングコース|学科・コース紹介

大学パンフレット資料請求はこちらから
10年以上前から気になっている本があります。ピエール=トマ=ニコラ・ユルトー『屁の技法』(原題:Pierre-Thomas-Nicolas Hurtaut, l’Art de péter)という本です。作者名とタイトルを日本語で記しましたが、残念ながら日本語訳はありません。とはいえロミ&ジャン・フェクサス『おなら大全』(高遠弘美訳、作品社、1997年)で詳しく紹介されています。『屁の技法』は18世紀(1751年)にフランスで初出版されました。わたしの手元にあるのは、2006年にPayot社から出版されたものです。歴史家・映画批評家のアントワーヌ・ド・ベック(Antoine de Baeque)による序文が付けられています。
この著作は(偽の)医学読本といった体の、ユーモアと風刺に満ちた小冊子です。手元にある版は序文が30ページほどで本文が70ページほどで、書籍としてはかなり短い部類に入ります。さてこの「おなら」を扱う小著がアートライティングといえるのかどうかを、今回の記事では考えてみたいと思います。アートライティングが取り上げる対象は芸術(作品)や文化です。おならをめぐる文章がアートライティングといえるのかどうかという問いは、別の言い方をすれば、おならについて語ることが芸術や文化について語ることになりうるのかどうか、ということになるでしょう。
わたしたちは直感的に「そんなことはない」と答えたくなるでしょう。おならは生理現象であり、医学やエチケットの文脈でこそ語りうるものであって、芸術や文化として語るようなものではない、と。
それでもユルトーは「屁をひることは技芸である(Péter est un art)」(註1)と述べています。フランス語原文を踏まえれば、おならをすることは一種の「アート」であると断定しているのです。ユルトーは放屁のメカニズムを記述し、おならを音の違いに基づいて「大開音の屁」「二重母音の屁」「半開音の屁」(註2)に区別し、それらの音を伴ったおならの特徴を解説しています。おならにそのような音の違いがあることを踏まえ、「屁は音楽か」と問うています。
学校時代の友人であった二人の少年にはある才能があり、彼らもわたしもそれで遊んで楽しんだものだった。一人は思いどおりにさまざまな音階でげっぷをし、もう一人も同様に屁をひるのだ。屁をひる方は、屁をより優雅で洗練されたものにすべく、チーズの水切り用の小さな金網の上に一枚の紙を乗せ、尻をむきだしにしてその紙の上に座り、尻をよじりながら、出てくる音をあらゆる種類の有機的で笛のような音に変えてみせる。その音楽はそれほどハーモニーに満ちたものでなかったし、転調もそれほど巧みでなかったといわざるをえない。そのうえ、こうした演奏に合わせたメロディーの法則を考案することも難しいだろうし、低音部と最高音部、テノールとバスバリトン、ソプラノとバスコントルを、しかるべく調和させることもやはり難しいだろう。しかし音楽の巨匠であれば、後世にまで引き継がれ、作曲技法として書き残されるに値する独創的な体系をそこから引き出すこともできるはずである。(註3)
この引用箇所には、この著作をアートライティングと呼びうることを示す重要なファクターが二つあります。
一つは、おならを音楽に準えている点です。アートとして認識されている音楽におならがなりうる可能性を示すことで、おならをアートへと引き上げようとする思考が見て取れます。話が少し脇道にそれますが、個人的にはこの論法から、映画の特徴(とりわけモンタージュの手法や思想)をあらゆる文化芸術に見いだすことで、映画をカノニックな芸術の仲間として示そうとしたエイゼンシュテインのモンタージュ論を連想したりもします。文化や芸術とは(まだ)認識されていないものに、文化や芸術との共通項があることを示し、その文化性や芸術性を示すことはアートライティングの一つのあり方でしょう。なにげない日用品を題材とし、その文化的意味や作家性に迫るアートライティング作品は、レポート課題においても卒業制作においても見かけられます。
もう一つは、おならの「技芸」について語っているという点です。おならの音を変幻自在に操る少年は、「屁をひることは技芸である(Péter est un art)」を体現しています。まさしく「技芸」や「技法」とは、artという言葉に与えられる日本語訳の一つでもあります。そして芸術作品や文化的産物を生み出すにはなんらかの「技芸」や「技法」が欠かせません(「技芸」「技法」から逸脱することで新しいものを生み出そうとする「技芸」「技法」も含めて)。artという言葉に、「芸術」という訳だけではなく「技芸」「技法」という訳が与えられている点は示唆的です。「技芸」や「技法」について語りうるということが「アート」を定義するものの一つであってもよいのかもしれません。アートライティングとは、芸術や文化といった文章の題材によって定義されますが、(一般的に芸術や文化と受け取られないものであっても)ある事物の技芸や技法について語るという語り方によって定義されてもよいではないでしょうか。『屁の技法』に関しても、おならの「技芸」に論が及んでいる点で、アートライティングと捉えて差し支えないように思います。
ここまで『屁の技法』がアートライティングと呼べるのかどうか考えてきました。おならというアートとはかけ離れた題材を取り上げた文章について考えることで、アートライティングというものの広がりを、多少なりとも嗅ぎとっていただけたのではないでしょうか。
註:
1: Pierre-Thomas-Nicolas Hurtaut, l’Art de péter, Payot, 2006, p.35. 以下、同書からの引用は拙訳による。
2: ibid., pp.49-61.
3: ibid., pp.66-67.
アートライティングコース|学科・コース紹介

大学パンフレット資料請求はこちらから
おすすめ記事
-

アートライティングコース
2026年03月03日
【アートライティングコース】「メダルなんて必要ない。ただここに存在し、皆に演技を見てもらえるだけで十分です」─女子シングル金メダリスト・アリサ・リュウ選手(1)
こんにちは。アートライティングコースの非常勤講師、青木由美子です。 みなさんはミラノ・コルティナ冬期オリンピックを楽しみましたか。私は長年見続けてきたフィギュア…
-

アートライティングコース
2026年02月03日
【アートライティングコース】ゲームをめぐるアートライティング
こんにちは。アートライティングコース教員の小柏裕俊です。 アートライティングとは、芸術や文化をめぐる文章を書くこと、そうしてできあがった文章作品のことです。ここ…
-

アートライティングコース
2026年01月07日
【アートライティングコース】「BBは倒錯的でも、反抗的でもなく、不道徳でもない。それだから道徳は彼女には通用しない」 ―― シモーヌ・ド・ボーヴォワール「ブリジット・バルドーとロリータ・シンドローム」1959年
みなさま、明けましておめでとうございます。アートライティングコースの教員、上村です。みなさまはどのような年をお迎えになったでしょうか。 年々同じような正月ではあ…






















