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2026年10月14日
【アートライティングコース】ただならぬ偶然
この夏は、ゆえあって新海誠のアニメーション作品をあれこれと視聴していました。『天気の子』(2019年)と『すずめの戸締まり』(2022年)を観ながら、ぞわぞわとしました。『天気の子』は東京に雨が降り止まず、ついには東京が水没してしまう物語です。『すずめの戸締まり』では、主人公は地震を止めるために「扉」を閉めながら日本を北上します。宮崎県のある町から東北地方へと向かう物語です。
これら作品のどこにぞわぞわしたのかというと、震災が熊本を襲い、豪雨が千葉を襲った2026年の夏というタイミングで視聴したという一点につきます。すでに視聴していた作品ですし、内容も知っていました。それでもこの夏に、この2本を立て続けに観たということは、わたしにとってただならぬ体験であるように思えてなりませんでした。わたしがこの2作を観たところで何かが起こるわけでもありませんし、何かが解決するわけでもありません。「ただならぬ体験」と感じることじたいが、わたしの自惚なのかもしれませんし、誇大妄想なのかもしれません。
それでもなお、「たまたま」この夏に視聴したという事実に意味を感じ取らずにいられないというのは、人間の抗いがたい性質なのかもしれません。
「たまたま」に振り回されるより他にない人間の「存在の軽さ」を描いた小説がミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』(1984年)です。主人公のトマーシュはテレーザとの出会いがきっかけとなり、ゆくゆくは天職である医師の仕事を捨て、農村でひっそりと暮らすことになります。医師はトマーシュにとってなるべくしてなったもの、「そうあらねばならぬもの」であったのに対し、テレーザとの出会いはいくつもの偶然の結果にすぎないもの、「たまたま」の極地として認識されます。「そうであらねばならぬ」という必然性の重みよりも「たまたま」という偶然性の軽さによってトマーシュの人生は導かれるわけです。偶然が必然を超えて人を導くというのは、この小説の物語に限定されることではなく、わたしたちが現実に生きるなかでもみられることでしょう。人間の存在と切り離せないこの「軽さ」が「耐えられない」ということ、正確には「(その重さを)支えることができない」ということが、『存在の耐えられない軽さ』というタイトルの意味するところです。補足をしておくと、この「軽さ」をクンデラは否定的に捉えているわけではありません(「軽さ」と「重さ」の関係は曖昧で、一方を肯定的に他方を否定的に捉えることはできないと書いています)。
「たまたま」が物事を導くというのは、わたしたちのものの考え方にも根を下ろしているように思われます。ジョルジュ・ペレックの『人生使用法』(1978年)はパズルをめぐる小説です。物語の中心的な主題がパズルであるだけではなく、小説の構成方法や本作の読み方にもパズルの要素が織り込まれています。作中にヴァンクレールという画家が登場します。彼の手元には無数のラベルがあり、それをどうやって分類するかに悩んでいます。
かれはこれらのラベルを分類したいのだがえらく難しいのだと言うのだった。もちろん時間順というのがあったけれども、うまくいかなかったし、アルファベット順より酷いのだった。大陸別、ついで国別に試してみたけれども納得がいかなかった。してみたかったのは、ラベルの一枚ずつが、それも毎回違った理由で、つぎのものと関係づけられるようなやり方だった。[中略]それは難しいばかりか、なによりも無駄なことだとヴァンクレールはつけ加えた。ラベルをひと塊にしておいて、いきあたりばったりに二つ選んでもきっと少なくとも共通点の二つ三つぐらいはみつかるものだと。(ジョルジュ・ペレック『人生使用法』、酒詰治男訳、水声社、1992年、49-50頁)
この一節は、99の章がパズルのピースよろしく散りばめられた本作が、読者にこう読まれるだろうということを作家みずからが隠喩的に(それに加えて、からかい気味に?)示す箇所です。一つの筋の通った分析や解釈を試みたとしてもそれはすぐに頓挫してしまうだろうし、そもそも分析や解釈の発端のようなものは、無作為に、偶然に任せて選んだ章と章のあいだにも見つかるものだ、と。
なにをどう組み合わせても、なんらかの関連が見つかるというのは、『人生使用法』の読み方だけに関わるものではないでしょう。考察や論考のネタを探しているとき、考察や論考のネタが見つかった瞬間に起こっていることでもあるようにも感じられます。ネタが見つかった瞬間は嬉しくて気分も高揚するのですが、検証や検討を進めながら時間が経ってみると、そのネタが吹けば飛ぶような脆弱な関連に基づくものでしかないのではないかとの想いに駆られることがあります(この記事を読まれているみなさんも、同じような経験があるのではないでしょうか)。論考や考察にもこうした「耐えられない軽さ」がついて離れないような感覚がわたしにはあります。
それでもこんな「軽さ」は魅力的にも見えます。2026年の夏に『天気の子』と『すずめの戸締まり』を観ながら感じた「ただならぬ」感じは、(「ただならぬ」という重々しさとは裏腹に)この「軽さ」と表裏一体なのでしょう。クンデラの小説の人物も、抗いがたく「重さを支えることのできない軽さ」の側に身を置きます。この記事で『存在の耐えられない軽さ』と『人生使用法』を取り上げたことも、「軽さ」のなせるわざであるのでしょうが(わたしが「たまたま」この小説を読んだことがあったから言及できたわけですから)、やはりこの作品で「なければならない」感じもします。
もしかしたら、こんな「考察の耐えられない軽さ」と折り合いのつけどころを探す過程が、論考や考察を書くということなのかもしれません。
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