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アートライティングコース

2026年11月04日

【アートライティングコース】劇場は待っている

みなさん、こんにちは。アートライティングコース非常勤講師の青木由美子です。
芸術の季節がピークを迎える11月になりました。みなさんは、この秋、劇場に足を運ばれましたか。
私は先日、寺山修司原作のミュージカルを観るため、新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO*Zaという劇場へ赴きました。
ひさしぶりに足を踏み入れた歌舞伎町は、歓楽街特有の湿った空気とどこからともなく漂ってくる酒やタバコや何かの匂いが、ざわざわした気分にさせる場所でした。上演作品が昭和テイスト全開のボクサーの物語なので、まさに内容にふさわしい雰囲気だったといえます。
舞台芸術はどの街のどの劇場で鑑賞したかもふくめて、豊かな体験になるのだと実感しました。
私はさほど数多く観劇するほうではありませんが、それでも馴染みのある気に入った劇場はあります。池袋の東京藝術劇場、初台の新国立劇場、渋谷のパルコ劇場などは、そこに向かうよく知った街並みを歩くのも観劇の楽しみの一部です。作品の好みが小劇場、中劇場向きの演目に偏っているようで、私はこれまで帝国劇場のような大箱には縁がありませんでした。けれどある小説を読んで、帝国劇場への関心が一気に高まりました。

さて、帝国劇場というマジカルな空間とそこに集う人々を描いた小説をご紹介します。
『劇場という名の星座』 小川洋子著/集英社/2026年3月

昨年2月から建て替えのため休館している帝国劇場。その長い歴史の演劇的記憶を掬い上げ、暗闇に浮かぶ星々のように描いた連作小説集です。舞台に立つスターよりもむしろ裏方のさまざまな職種にスポットを当て、矜持をもって誠実に仕事を遂行するプロフェッショナルな姿を繊細に描いています。また劇場に集まる個性的な観客に向ける視線がどこまでも優しいのは、作者の演劇愛ゆえでしょうか。たとえば盲目の男性と新人案内係の交流を『屋根の上のヴァイオリン弾き』のストーリーと重ねて描いた「ホタルさんへの手紙」、ステンドグラスの裏に住む不思議な少年の目に映る迷宮のような劇場内部「内緒の少年」、チケットを巡る薬剤師、少女、資料室補助員、3人それぞれのドラマ「一枚の未来を手にする」、売店の担当者だけが知っている幸運の椅子「こちらへお座りください」、母親が『ローマの休日』を観劇中に生まれそうになった息子の20年後の親孝行「長すぎた幕間」など。各篇の内容がリンクしているものもあり、最後の「劇場は待っている」では先行するいくつかのストーリーが回収され、長い時間の経過にともなう登場人物の老いと変わらぬ劇場への愛を伝えています。どの一篇も複層的な構成なうえ、多くは『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』、『ラ・マンチャの男』、『モーツァルト』、『エリザベート』など有名な演目と絡んだストーリーなので、演劇好きな方ならより楽しめるでしょう。

本書は小川洋子さんが帝劇から依頼されて書き下ろした作品で、30名を超える関係者への取材をもとに創作されているそうです。したがってリアルでありながらフィクションの自由さがあり、時にはファンタジーも混じっているところが独特の魅力を立ち上げます。リアルな点でいえば、案内係が台本を読み、ゲネプロを見学し、遅れてきたお客様を席に案内するタイミングを決めるというのは本当だとか。また出演者が舞台と楽屋を行き来するためのエレベーターがあり、誰と誰がいつ出番なのか楽屋係が把握してボタン操作するのも事実です。日傘をさしてロビーの階段を降りてくる「パラソル小母さん」は実在しましたが、開演に遅れそうなのに走ることができない人を助ける「背負い屋」の存在はファンタジーです。彼は劇場についてこう語っています。「思いもよらない仕事に従事している人間が、大勢集まっている場所です」 その大勢に作者は固有名詞を与えていません。新人案内人、幕内係、楽屋係、売店担当者、稽古ピアノ、付き人の「つき美さん」通訳の「やっ子さん」と徹底して仕事名で呼んでいます。さらには観客や舞台に立つ俳優も名前がありません。例外は最初の一篇「ホタルさんへの手紙」に登場する沙和子さん。名前が重要なカギになるストーリーだからでしょう。他には森繁久彌、山田五十鈴、司葉子などレジェンドの名前がいくつか。その代わりに取り上げた作品の役名は遠慮なく出しています。この短編小説集の主役は、演劇、そして劇場、ということなのでしょう。

全編を通じて、死の気配があります。小川洋子さんがしばしばインタビューで語っている演劇観、「舞台は死者に会える場」がそこここに反映されていると感じます。強い光と濃厚な影の描写、斯界と現世の喩え。それが本作にダークな味わいをもたらしています。演劇を愛するいい人ばかりが登場する心温まるお話ではない、と私は思います。生身の自分を差し出す、舞台芸術の深淵を描こうとしたのではないでしょうか。
歴史ある大型劇場はまっこと興味深い。だれも開けたことのない扉があっても、棲んでいる人がいても、妖精がいても、亡霊に会っても不思議ではありません。チケット入手が困難なこともあって前述のようなグランド・ミュージカルを観てこなかったことを少し後悔しています。
これから、劇場を見る目が変わりそう。
12月はバレエシーズンですね。

『劇場という名の星座』小川洋子著 集英社 2026年3月

 

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