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芸術学コース

2019年01月29日

【芸術学コース】特別講義「国立国際美術館のこれまでとこれから」

みなさん、こんにちは。寒い日が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか。
今回のブログ記事は、芸術学コースの池野が担当いたします。

今回ご紹介するのは、「特別講義」という芸術学コースの定例イベントです。
特別講義は、学外のさまざまな分野の先生にお越しいただいて、専門領域についてのお話を伺うというものです。年に二回、東京と京都、それぞれの会場で行なっています。

今年度は、先日1月19日に京都の瓜生山キャンパスで橋本梓先生による講義「国立国際美術館のこれまでとこれから」が行われました。





橋本先生は、大阪の国立国際美術館に学芸員としてお勤めです。講義では美術館の現場での経験をもとに、美術館の役割や課題についてお話しくださいました。

国立国際美術館は、2017年で開館40周年を迎え、開館40周年記念として「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」と題した展覧会を行いました。この展覧会は、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

橋本先生も関わられたこの展覧会では、現代アートの収蔵品が多く展示されていましたが、その中には、パフォーマンスのように、物理的には残らないために、従来の考え方では保存・収蔵が難しい作品も含まれていました。

パフォーマンスの場合は、もちろん人間を収蔵するわけにはいきませんから、美術館はその作品に関連する資料や、指示書と呼ばれる作品のレシピのようなものを保存することになります。

作品そのものを保存できないのに、なぜわざわざコレクションするの?と思われる方もおられることでしょう。
しかし、もしも「物理的に収蔵が難しいから」という理由でそれらの作品を収蔵しないとなると、美術の歴史的展開を考えた時に、重要なパーツが美術館のコレクションから欠けてしまう、という事態が生じるのです。

後世のために、何を残していくのか――これからの近現代美術館は、そのような新たな課題にも挑戦していかないといけないわけですね。
お越しくださった方々には、美術館の「これから」を考える貴重な機会になったことと思います。

このように、芸術学コースの特別講義では、研究者から美術館関係者まで、時には海外からも、多彩なゲストの先生方をお招きして、授業とはひと味違った学習機会を提供しています。申し込み不要、芸術学コース以外の方も、一般の方もお越しいただける、文字通り、特別な公開講義です。

過去の特別講義の様子は、別のブログ記事にも掲載しておりますので、ぜひそちらもあわせてご覧ください。


2016年度京都、マリーナ・プリエーゼ先生による特別講義


「ルーチョ・フォンターナ 空間と環境」の様子


 

さて、来たる2019年2月2日(土)には、東京の外苑キャンパスで特別講義が開かれます。
今回の講演者は、彫刻家の小田原のどか先生です。

小田原先生は、制作を続けられるかたわら、調査研究を通じて近現代日本の彫刻をめぐるさまざまな問題に取り組んでこられました。
今回は、その小田原先生が、「戦後日本の彫刻にとってもっとも重要な場所」と位置付ける長崎の彫刻群について、その想いを語っていただきます。


北村西望《平和祈念像》(1955年)[撮影:小田原のどか]


 

会の詳細は以下の通りです。もちろん、入学前の方もお越しいただけますので、芸術学コースの雰囲気を知りたいという方も、1日学生になったつもりで、お気軽に来ていただければ嬉しいです。

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演題:爆心地・長崎の彫刻――被爆聖人像、平和祈念像、母子像
日時:2019年2月2日(土)14:00~16:00
会場:京都造形芸術大学 東京外苑キャンパス(教室は当日の掲示にてご確認ください。)
講師:小田原のどか
※事前申込不要。参加無料。芸術学コース以外の方・一般の方どなたでもご参加いただけます。

長崎市の爆心地一帯に現存する彫刻群からもうひとつの日本近代彫刻史を捉えようとすること、これが本講義のテーマです。

長崎は江戸時代に西洋彫刻の石膏像が輸入された場所であり、戦後には平和公園に《平和祈念像》などの大型彫刻が複数置かれるなど、彫刻と深い関わりを持っています。私はこれまで、戦後日本の彫刻にとって長崎はもっとも重要な場所と位置づけられるのではないか、長崎の彫刻群には人間にとって彫刻とは何かという問いの手がかりがあるのではないかと考え、作品制作と調査研究に取り組んできました。
本講義では、そういった少し大きな問いについても、皆さんとともに考える機会になればと思っています。

現在、長崎市松山町の爆心地一帯は平和公園となっています。長崎の平和のシンボルでもある北村西望作《平和祈念像》はここに1955年に設置されました。《平和祈念像》のまわりには世界各国から贈られた平和の像が並びます。

そして1997年には、北村西望の助手でもあった富永直樹作《母子像》が設置されました。いっぽう、平和公園からほど近い浦上天主堂には、原爆の炸裂によって頭部を失った立像と、反対に首だけになったたくさんの聖人像が保存されています。

このような異なる来歴を持つ彫刻であふれた爆心地・長崎は、いったい何を示しているのでしょうか。

1980年代後半から 90 年代にかけて構想されるも実現することはなかった「平和公園再整備計画」や、90 年代後半から2000年代前半まで続いた「母子像裁判」などの、これまで十分に光が当たることがなかった資料と併せて検討します。

 

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