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文芸コース

2020年05月19日

【文芸コース】想像力とホームグランドと深呼吸と


 こんにちは。文芸コース教員の安藤です。先行きの見えない不安に苛まれる日々でが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。陽光が緑を照らし出す初夏の季節となり授業も開始されました。強い志を持った方々とともに学べることに教職員一同、心引き締まる思いです。


 しかしながら、今スクーリング科目に関しては遠隔授業などが中心となり、なかなか皆さんとご一緒できる「場」がありません。その点は大変残念なのですが、対面で授業はできなくとも「想像力」を皆さんと共有し、大学を今まで以上の「創造力」を生み出す「場」に出来ればと私たちは思っています。

今日はそんな「創造力」と「場」に関して書かれた文章を収録した本を紹介したいと思います。

ふっとお手を止める機会があれば、少しリラックスした気分で読んでみてください。


 「私は二十代の前半に東京放送、現在のT B Sが発行している「調査情報」で多くの仕事をさせてもらった。ジャーナリズムのどのような組織にも属した経験がなく、たった二本のルポルタージュしか書いたことのない若造を、当時の「調査情報」の編集部は、いま考えれば信じられないほど重宝してくれた」

これは作家・沢木耕太郎さんのエッセイの中にある文章です。

この編集部での出会いと経験が、のちに『敗れざる者たち』と『人の砂漠』を書かせることになります。そして「あの名作」も……。
「調査情報」編集部は沢木さんにとっては拠り所=「場」だったのです。

  ところで「調査情報」とはどんなメディアだったのでしょうか。
「放送の専門誌であるにもかかわらず、私に自由にルポルタージュを書かせてくれていたのだ。テーマが放送とまったく関りなくとも構わなかった。好きなテーマについて、好きなだけ取材をし、好きなだけの原稿枚数を書く、ということを許してくれていた」。

そんなメディアだったと沢木さんは書き残しています。(編集者を長らくやっている私は、「信じられない!」という思いと、ある種の羨望をそこに感じます)。
またその「場」には三人の年長の編集者がいて、彼らは皆、個性的だったとも書いています。彼らの「想像力」を吸収し、その「場」を共有することで沢木さんは大きく成長していきました。


「独特の語り口にかかると、どんなつまらない挿話でもキラキラと輝きはじめ」、いつも「面白がる精神というべきものが横溢していた」

三人と共有する時間は、どんなに充実していたことでしょう。

しかし、沢木さんは原稿を書くのが遅かった。専門的な勉強をしたわけでもなく、偶然、ルポルタージュを書くようになったため、トレーニングする時期がなかったから当然です。

でも、三人は根気よく付き合うことを続けます。そして原稿が上がると、こう言ってくれたと言います。「面白いからどんどん書け」と。

それは1971年8月から1975年8月まで。4年の間のことでした。
(そのうち1年はのちに「あの名作」のための旅に費やされました……。)

 
「「調査情報」は最初に現れた「ホームグランド」であるだけでなく、ひとつの「学校」のようなものであった」

と沢木さんは書いています。「ホームグランド」それは本拠地であり故郷。まさしく自分の居場所です。そしてそこは「学校」だった……。

そんな「場」で沢木耕太郎という作家は「想像力」と「創造力」を成長させていきました。

色々なことに思いを馳せる今、少しだけ深呼吸をして、沢木さんの本を読んでみてください。そこには「想像力」と「場」の可能性がほかにも数多く書かれているはずです。

 *引用は『沢木耕太郎ノンフィククションV  かつて白い海で戦った』(文藝春秋)
『銀河を渡る 全エッセイ』(新潮社)より

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「想像力」と「深呼吸」をテーマにした安藤先生のコラムは前回春のブログも併せてお読みいただけます。

【文芸コース】想像力とユーモアと深呼吸と


 

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