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アートライティングコース

2020年10月06日

【アートライティングコース】「ルイ太陽王の巨大な手は、この大庭園をチェス遊びに手頃な広さと考へてゐた」(三島由紀夫、1967年)

みなさま、こんにちは。アートライティングコースの教員、上村です。

「アートライティング」という作業では、芸術を味わい、経験する、というだけでなく、その良さや値打ちをいかに他人に伝えるか、ということが大事なのですが、そこでは、しばしば芸術作品や芸術活動の特色をどこに求めるか、ということが問題になります。ただ一般化して分類すればよいわけではありません。それですむ程度のものなら、「これは60年代を代表する音楽だ」「これはアンピール様式の家具だ」と言っておけばよいでしょう。しかしそれでは、単なる物知りです。勿論、分類ができて、様式が見分けられたり、作者が同定できたりしたら、それはそれで結構楽しいことですし、見分けがつくことで、より一層の犀利な知覚も可能になります。しかし、アートライティングは、分類が最終目的ではありません。お決まりのカテゴリーに分類するだけでなく、さらにものそのものの個性まで言い当てなくては、面白さが十分に伝わりません。

さて、冒頭に掲げましたのは、三島由紀夫が仙洞御所の庭園について記した文章(『宮廷の庭1仙洞御所』1968年、文章の執筆は出版の前年夏)にある言葉です。そこで三島は、日本の庭園とフランスの庭園とを比較し、前者が時間を取り込んで作られているのに対し、後者は時間を徹底して排除して作られている、という指摘をしています。ヴェルサイユ宮殿の庭園は大変広壮です。そこを歩く人間は、あたかもチェス盤の上の蟻のようなものです。庭園がチェス盤だとすると、当然それを俯瞰して駒を動かす人物がいます。それがルイ十四世(太陽王)です。「一枚のチェスの盤上をゆく蟻のやうなわれわれの存在に比して、ルイ太陽王の巨大な手は、この大庭園をチェス遊びに手頃な広さと考へてゐた」というのは、三島らしい修辞の勝った比喩ですが、庭園の空間的拡がりを一望する視点を描いて巧みです。


ただ、仙洞御所とヴェルサイユ宮殿という2つの宮廷の庭を比べるのは、ちょっと対比が鮮やかに過ぎるかもしれません。たしかに、一刻一刻の石や植物や水の表情の変化、そしてまた人の視線の移ろいにあわせて相貌をにする日本庭園と、だだっぴろい平面やまっすぐ延びる直線が強調されたフランス庭園とを、それぞれ時間と空間に振り分けて語るというのは、わかりやすいです。とはいえ、仙洞御所は日本庭園にしては大ぶりなところがあり、(実際、三島自身も指摘していますが)空間ののびやかさも十分に感じさせますし、ヴェルサイユはヴェルサイユで、人が蟻のように移動する幾何学的空間というだけではなく、個々の部分には、それなりに陰影や屈曲もあって、そこに過ごす人の移動とともに景観も変わります。そもそも庭はどう使うかということも大事なので、一点透視の遠近法的な構図を絶対王政の空間支配になぞらえるのは、わかりやすい反面、単純化の恐れもあります。

そうした文化論的な対比が「国」と「国」、あるいは「西洋」と「東洋」とのあいだでなされてしまうと、しばしば「国」や文化圏の内部の微妙な差異を塗りつぶし、均一な「日本文化」とか「中華文化」とか「アメリカ文化」などの幻想的な言辞がはやります。「日本文化」の「本質」を自然らしさとか、質朴さだとか、あるいは逆に装飾性とかの一語で片付けようとする、ちょっと強引な言葉づかいです。観光案内とか、あるいは飲み屋さんでの話の種ということなら、それも一興でしょう。しかし、本当に異文化をつぶさに認め、評価しようとするなら、そもそもが複合的で多義的な文化や芸術を一言で括るのはあまり適切ではありません。勿論、個々独特で一見したところばらばらな活動や作品を全体として俯瞰し、そこに通底する隠れた性格を看取する、ということは、それなりに素晴らしいことです(あくまでも月並みな言説を反復するのでなければ)。しかし、分類整理が目的ならともかく、そこにとどまってもなりません。その共通の地盤に根ざしつつも、いかに個々の作品がそれぞれのしかたで花を咲かせたのか、どのように独特の実を成熟させたのかを見つめることで、ようやく人の果たした仕事の意味が際立ってきます。

三島の表現が間違っているとか、拙いということではありません。彼は彼なりに御所の庭の特性を語るためにヴェルサイユを引き合いに出したのでしょうし、またそこで安直な標語による文化比較というよりも、卓抜な表現により大事なところを言い当てています。いささか過剰に文飾に走ってはいますが、たしかに彼ならではの鋭い指摘が散りばめられています。「一定の空間、一定の時間にわたる静寂を手に入れるには、実に煩瑣な手続きを要するのが現代」と述べ、その手続を経てようやくに入ることのできる庭園の価値を語るという文明観、また仙洞御所の庭を「美しい老いた狂女」になぞらえるという感受性、そして雨に濡れた石を見つめて、ひとつひとつの乾き具合にまで言及するという緻密な視線を併せ持つ、非常に面白い文章です。しかし、その彼にしても、比較文化論的な記述になるや、大雑把さが避けがたく目につきます。

文化論や芸術論と異なり、アートライティングには作品の個性を尊重し、そこに常に立ち戻るという作業がつきまといます。それこそ面倒ながらも、同時に醍醐味でもあるところです。アートライティングを学び、また本コースを巣立ってゆくみなさんが、この世界の実に豊かな多様性を掬い上げて、他者と共有できる文章を綴ってゆかれることを期待しています。

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