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アートライティングコース

2021年01月27日

【アートライティングコース】「書くことの目的は、非個人的な力の状態に生を至らしめることである。」ジル・ドゥルーズ



こんにちは。もうそろそろ春が立つころとなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。アートライティングコースの教員のひとり、上村博です。

昨年末、アートライティングコースの特別講義が行われました。ニューヨーク在住の文筆家新元良一さんをお迎えして、と言っても、遠隔通信手段を用いたライヴ配信で、新元さんは現地から深夜にお話しくださいました(ニューヨーク時間での深夜で、京都時間では昼間です)。便利な世の中になったものです。講義は「『いいね』を超えるためのマニフェスト」と題して、昨今のさまざまな情報あふれる時代のなかで、陰謀論やカスタマイズされて提供される情報などに振り回されず、どのように自分の確かな見解を保持するか、さらにはどのように生きるか、という大変アクチュアルな問題を語られました。全国各地から80人ほどの聴講者のみなさんにお集まりいただきました。
ところで、特別講義で新元先生も「風通しのよい」文章という表現を使われていましたが、自分の個人的な経験や信念に埋没するのではなく、それを個人を離れた社会あるいは公共性にどう開いてゆくか、というのは執筆活動さらには広く芸術制作に携わる者には大事な問題です。冒頭に記した文は、フランスの哲学者ドゥルーズが「英米文学の優越性」(『対話』1977年所収)について語るなかで出てくるのですが、書くこと、筆記 écriture の持つ性格、そしてまた「個人的」ということについて、大いに考えさせてくれます。

日記や私小説など、個人の体験や内面を綴るようなジャンルは勿論のこと、評論や紀行文など、多くの文章は自分の経験に根ざして作らざるをえません。さらに言えば、幾何学の教科書や機械の操作マニュアルですら、執筆者は自分の理解を踏まえて記述してゆきます。自分の個人的な経験や知見を離れて、あたかも自動筆記機械のように書くことで相手に何かを伝えることは難しいからです。
しかしまた、文章を書くことは全く個人的な経験の叙述にのみ終始するわけでもありません。そもそも書くことは誰か特定の個人が行うわけですが、同時にその個人は社会的な存在でもあります。個人だけの、個人にとってのみの経験は、人間が社会関係の中で生きている以上、原理的にありえません。きわめて例外的な特殊情況(たとえば砂漠に隠棲するなど)であっても、人間が言語を使う以上は、社会につながっているでしょう。個人が単語ひとつ記すにも、社会の共有財産としての価値や意味の体系のなかでしか書き得ないからです。

まずそのように、「個人」がなかなか唯一独自の個物ではありえない、という事態を踏まえた上で、冒頭のドゥルーズの言葉に立ち返りましょう。今しがた書いたこととは違って、彼の言う「書くこと」がもたらす「非個人的な力(une puissance non personnelle)の状態」は、個人が社会的存在にならざるを得ない、というようなことを言っているわけではありません。「非個人的」と訳しましたが、文法でいうところの「非人称的」impersonnelと読んでも良いかもしれません。書くことの目的は、個人を非個人的な社会に結びつける、ということではありません。そもそもそうした社会と個人の結びつきは当然です。むしろそのような意味での社会は個人的(人称的)なものでしかないのです。生きることは、他人と個人のつくる特定の連関のなかで作られるだけではありません。そうした個々の生の営みを超えて、個人の思惑や目論見と無関係に跳躍する生もあります。何らかの必要や目的に従って書かれる文章は、結局、いかにも独り言風の書きぶりであれ、社会的な共感をそそるものであれ、今ある関係、現在の人間関係のなかでの繰り返しです。しかし生には「非個人的」「非人称的」な運動もあって、それは閉じた自他の同語反復的な関係を開いて、新しい関係をもたらします。書くことは個人的とか社会的とかで括られるのではなく、創造的な活動でもあります。

さて、「書くこと」にそうしたことが可能なのは、言語が社会的産物というだけでなく、言語に人間の恣意的なコントロールを跳ね返す物質的な抵抗があるからではないでしょうか(ドゥルーズが物質と言っているわけではありませんが)。しかし、世の中には、ふわふわした、聞きかじりの、右から左へと流れ去る言語があふれています。滞りなく、流れるように意味がわかりやすい、というのは文章を褒める言葉ですが、それはそのことで意味が滾々と汲み出せるような場合です。そもそも意味をわかろうとしない、わからなくてもよい、さらにはわかってはならないような滞りのなさもあって、それが今や世を覆っているのかもしれません。端的にいえば、掛け声、あるいは命令や禁止の言語です。
そう書きながら、滞りだらけの不細工な文章になってしまいました。いずれにせよ、閉塞的な社会は閉塞的な言語が生み出します。書くことを続けましょう。



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