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芸術学コース

2021年06月08日

【芸術学コース】お釈迦さまの四大聖地①ルンビニー

みなさん、こんにちは。芸術学コース教員の金子典正です。今回は20202月にインドの仏跡を旅した時の様子を、前回に引き続き、ご紹介します。

▼前回のコラムはこちら

【芸術学コース】ちいさな大きな喜び


まず、仏教における四大聖地とは、お釈迦さま誕生の地:ルンビニー(ネパール)、悟りを開いた成道の地:ブッダガヤー、初めて説法をした初転法輪の地:サールナート、そして最期を迎えた涅槃の地クシナガラのことです。そして、霊鷲山や竹林精舎があるマガダ国の都:ラージギル、祇園精舎があるコーサラ国の都:サヘート・マヘート、三道宝階降下の地として伝えられるサンカーシャ、最後の旅の出発地:ヴァイシャーリーの4カ所を加えて八大聖地ともいいます。これらの聖地は、仏教経典の記述と遺跡の学術的な発掘調査によって、単なる伝承地ではないことが確かめられており、また、様々な研究の結果、お釈迦さまは実際に実在していたことも確認されています。

こうした聖地は、世界中の仏教徒の方々と観光客が訪れるため、どの場所もしっかり整備されており、とても快適に巡礼することが出来ます。ただ難点をあげれば、いずれもガンジス川の中・下流域に点在しているため、すべてを巡礼するには10日間以上かかってしまいます。ですので、四大聖地を1週間前後で巡礼する旅が一般的なようで、往きの飛行機でご一緒したお寺さんの団体さんは7日間のツアーでした。ともあれ、聖地巡礼の旅は、国際線でニューデリーに入り、翌朝国内線で地方都市のラクナウに移動して始まります。



そして、ラクナウの飛行場で観光バスに乗り、最初の観光地となる祇園精舎があるサヘート・マヘートへ向かい、そこから一筆書きのようにして最後のベナレスまでバス移動することになります。連泊することなく、次から次へとホテルを転々としなければなりませんので、旅自体が日々修行のようで、そして食事は言うまでもなくカレー、カレー、カレー。カレー好きの方にはこのうえない旅なのですが、そうではない方にとってはやはり大変です。また、お腹をこわすこともありますので、お薬も常備していた方が安心です。それでも、20年、30年前に一度旅した方にお話を伺うと、以前に比べてとても快適な旅ができるようになったとのことでした。



それでは早速ですが、お釈迦さま誕生の地であるルンビニーをご紹介します。まず上の写真は、インドとネパールの国境を越えてすぐの一枚です。左上に標識がみえていますが、ルンビニーまで26キロ、ポカラまで180キロとあります。国境で短期滞在ビザを発行してもらって、小一時間ぐらいで現地についたと思います。インドやネパールを訪れたことがある方なら、この雑踏をみて「あぁ~、いつも通りだなぁ」と感じるかも知れません。現地の人々の活気は旅人にエネルギーを与えてくれますよね。

さて、ルンビニーの観光地は1970年代後半から本格的に開発が始まり、現在でもゆるやかにゆるやかに進んでいます。マスタープランはなんと日本の建築家丹下健三氏が作成されたそうです。グーグルマップの衛星写真でルンビニーをみていただけると分かるのですが、かなり広範囲に渡って整備されています。なので、バスの駐車場から誕生の地まで一部電動カートを使用しながら延々と歩きます。



そして、ようやく現地に到着すると、靴をあずけてからの観光になります。お釈迦さまの聖地はほとんどがそうなのですが、裸足が原則です(なお、靴下が可のところもあります)。そして、ゲートを入ってまず目に飛び込んでくるのが、アショーカの木に囲まれた園林にたたずむ白い建物です。この建物の中に紀元前2世紀頃にさかのぼるとされるマーヤー・デーヴィー寺院址があり、さらに誕生の場所を示すマーカーストーンと呼ばれる石が発掘されました。建物の内部は写真撮影が禁止でしたので、その様子をお届けできないのが残念ですが、マーカーストーンの画像はインターネット上で見ることが出来ますので、調べてみてください。そして、この場所が誕生の地であることを揺るぎないものにしているのが、建物の正面に建てられた一本の石柱なのです。



石柱はアショーカ王柱(アショーカおうちゅう)と呼ばれており、インドの仏教美術史においてきわめて重要な作例として位置付けられています。アショーカ王は、古代インドのマウリヤ朝第3代の王であり、インドをはじめて統一した王であるとともに、複数の仏教経典に「仏滅後、第116年目にアショーカ王が世にあらわれた」と説かれていることから、お釈迦さまの生没年を知るうえでもきわめて重要な歴史上の人物とされています。100年ほどならお釈迦さまに関する伝承や伝承地も確かなものが多いと考えて良いでしょう。

アショーカ王は当初は専制君主として権力を振るっていましたが、即位八年後のカリンガ国征服を機に仏教に帰依し、武力から法による統治を行い、仏教の大外護者となり、お釈迦さまの聖地を巡礼して、高さ13メートル前後の石柱すなわちアショーカ王柱を建てたことが知られています。ルンビニーといっても広い村なのですが、そうしたなかで「此処がそうだ!」と言えるのは、このアショーカ王柱が建っているからなのです。さらに驚くべきは、このアショーカ王柱には古代のインドの文字であるブラフミー文字でアショーカ王の詔勅が刻まれているのです。



刻まれた銘文を解読した要約は以下の通りです。「王は、即位二十年をへて、自らここに来て、親しく参拝した。ここでブッダ=シャカムニが誕生したからである。石で馬像を造り、石柱を造立させた。ここで世尊が誕生したのを記念する為である。この村は世尊の生誕地であるから、今後は租税を免じ、生産物の八分の一を納めればよいものとする。」とあります。なんとアショーカ王はここでお釈迦さまが生まれたとしっかり刻んでくれているのです。これ以上の考古学的な確実な資料はなく、文句なしにここが誕生の地とみて良いでしょう。このようにアショーカ王は仏教や仏教美術の研究にとっては、欠くことのできない重要な王さまなのです。日本各地の古い寺院を訪れると、三重塔や五重塔といった仏塔が必ず寺院に建っていますが、そうした仏塔建立のルーツとも言えるものに、アショーカ王による八万四千の仏塔建立説話があります。ご興味のある方は、アショーカ王についてぜひ調べてみてください。それでは、続きはまた次回に!

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