在学生データ・卒業生紹介

この学部では、18歳から96歳までの、職業も、生きてきた世界も、
まるでバラバラな人たちが、日本全国から集い、学びつづけている。

ただひとつ同じなのは、芸術へのつきない想い。

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※2016年3月、96歳で陶芸コースを卒業された平田繁實さんは、世界最高齢での大学卒業としてギネス世界記録に認定されました。

鈴木 さやか
空間演出デザインコース
18年度卒業
東京都在住 29歳

18歳で入学 現在はデザイナー

本気で学びたい人々の熱意に共感

「やりたいことが、ありすぎる」という理由で、18歳で高校を卒業して、あえて通信制の本学に進んだ鈴木さん。デザインを本格的に学びたくて、最初は通学制の芸大をめざしていた。ところが地元大学のオープンキャンパスで、「とりあえず、しかたなく進学する」という同級生たちの本音を聞いて失望。それとは正反対に、本気で学びたい人たちの熱意でムンムンしている本学の説明会に参加し、「きっと、ここなら好きなことに打ち込める」と迷わず願書を提出した。

多彩な経験と学びの両方で成長

空間演出デザインコースを選んだのは、授業内容の多彩さに惹かれたから。入学当初は、その多様すぎる素材やテーマに慣れなくて、四苦八苦していたという。一方で、通信ならではの自由な時間を活かし、”同世代とのシェアハウス“ ”ボランティア“ ”多種多様なアルバイト“など、高校時代からやりたかったことをつぎつぎと実行。そうした実地での経験と、コースでの専門的な学びを互いに活かすことで、アートの知識やスキルだけでなく、実践力や行動力を磨いていった。

即戦力としてデザイン会社に就職

じっくり寄り添ってくれる先生方や、年の差に関係なくつきあえるクラスメイトたち。周囲のいろんな人々から力をもらい、順調に学びをすすめて、いよいよ卒業へ。「学べば学ぶほど好きになる空間演出デザインを、どうしても仕事で活かしたい」と、粘り強く就職活動をつづけた結果、内装デザイン会社への内定を獲得。大学で得たノウハウや発想力が、実務に役立っているという。「なんだって自分次第で、やれないことはないから。後悔しない人生を送りたい」と話す鈴木さん。「いつか、大きな仕事で賞をとりたい」と、いっそう大きく豊かに「やりたいこと」を広げていく。

小椋 宏一
建築デザインコース
21年度卒業
愛知県在住 29歳

夢を追って ゼロから建築士へ

化学分野の会社員から一念発起

「いつだって、いまが一番若いと思って行動しなきゃ」。まったくの素人からプロの建築家をめざし、本学へ飛び込んだ小椋さん。その背中を押したのは、元の職場にいた先輩の言葉だった。得意な化学の分野に進学して就職。仕事に慣れてきたとき、ふと10年後の自分が頭に浮かんだ。「このままいけば波乱はない、けど、変化もない。たとえ結果が保証されなくても、めいっぱい挑戦する10年にしようと思ったんです」。

働きながら学べることが後押しに

挑戦したかったのは、ずっと憧れていた建築の世界。「自分にできるのか不安でしたが、働きながら学べる通信制があると知って」。たとえ1年で諦めてもいい、と本学の建築デザインコースへ。なんの経験もなかったからこそ、素直にコースの推奨どおりにカリキュラムをすすめ、その巧みさに感心した。「授業と自宅学習を行き来することで、着実に知識や考え方が身につくんです」。もちろん、やりがいがあるぶん、課題も多い。「目標の2年で卒業できたのは、授業で知り合った仲間たちのおかげです」。世代も職業も多彩なクラスメイトは、それぞれの立場からリアルな意見をくれる”もうひとりの先生“。そんな仲間の紹介で、転職者の受け入れに積極的な建築設計事務所に就職を果たした。

実践で学びつづけて一人前の建築士へ

「実践は、さらに学びの連続ですが、とにかく夢の入り口に立てた感謝を胸に、がんばりたい」という小椋さん。自分にどんな才能があるかはわからない。けれど、こうして新たな人生を切り開けたのは、やりたいことをごまかさず、向き合う勇気を持てたから。「入学からずっと、子どもの頃のワクワクがつづいている感じです」と語る眼差しは、まっすぐに夢の先へ向かっていた。

金盛 友実
空間演出デザインコース
20年度卒業
東京都在住 30歳
内山 章子
芸術学コース
11年度卒業
東京都在住 95歳

祖母の勧めが 人生の転機に

尊敬する祖母を追って初心者から入学

「考え方も、仕事も、まるで違う自分になったけれど、入学前には戻りたくない」と言い切る金盛さん。結婚した夫の祖母、内山章子さんの熱烈な勧めに心動かされ、本学に入ることを決めた。「章子さん自身が、戦争で断ち切られた学びに80歳から再挑戦して、自伝の執筆にもつなげた大学だから、きっと良いんだろうと」。選んだのは、インテリアへの興味や先生方の熱意に惹かれた空間演出デザインコース。「モザイクタイルを習っていたものの、芸術やデザインを学ぶのは、人生で初めてのことでした」。

気づかなかった故郷の”宝“を再発見

これまで経験したことのない学びを通して、新しい視点や発想を身につけていく金盛さん。そこに、運命的な課題との出会いが。「地域の特色を活かすプロダクトの制作で、ずっと見過ごしていた地元・東北の”伝統こけし“の魅力に目覚めたんです」。もっと深く向き合って、しっかりカタチにしたい。まずは地元から声をかけ、気づけば12人もの職人さんを巻き込み、ユニークで魅力ある”伝統こけしプロダクト“を卒業制作として完成。在学中からはじめた伝統工芸を伝える活動「こだまプロジェクト」をベースに、卒業の翌月には地域ブランド『Koquela』を設立。工芸品の公募展に入選したり、有名百貨店で好評を博したりと、めざましい躍進をつづけている。

出会いを力に伝統工芸の魅力を世界へ

現在は、自身のブランドだけでなく全国各地の職人をSNSで紹介するなど、より幅広く伝統工芸の魅力を発信。「ただ単に自分の作品をつくりたい、売りたいだけでは、ここまでがんばれなかった。”唯一無二の美や文化を守り、広く世界に届けたい“という想いに賛同してくださった皆さんが、私の背中を押してくれています」と話す金盛さん。「好きなことを学べる」と祖母の勧めた学びで、新たな自身の人生と出会った。

井坂 弥生
染織コース 18年度卒業
大学院 博士課程 在籍中
埼玉県在住 53歳

制作から研究へ 想い深めて

つくる意味を見つめ直しに本学へ

「なんて、美しいかたちだろう」。井坂さんの心を奪ったのは、八丈島に伝わる織り物を織る人の”手のかたち“。この島への観光がきっかけで手織りに興味を持ち、都内の教室でひと通りの技法は理解できた。「けれど、あるときから、”私はなんのために織るんだろう“という疑問が頭から消えなくなって」。仕事の異動をきっかけに時間のゆとりができ、本学の染織コースでいちから学び直すことを決めた。

体系的に染織を学んで意識が変化

大学に期待していたのは、染織の技術だけでなく文化までの総合的な学び。「それ以上に、芸術史や文化人類学など、さらに大きな視点から染織を知ることができました」。同時に、芸術が日常生活とかけ離れたものではなく、ごく身近につながっていることを実感できたという。「勤務先でも、”先入観を捨てて、まずやってみよう“と、新しい発想で行動できるようになりました」。そんな前向きさや先生のアドバイスに導かれ、卒業後は大学院の修士、そして博士課程へ。「技法研究を重ねるなかで、継承が危ぶまれているものがあると知り、織り手である自分が技術の保存に役立てたら、と思ったんです」。

地域に伝わる技を制作と研究で伝える

かくして、自身の原点でもある八丈島に伝わる手織り技術を研究テーマに選んだ井坂さん。「なぜ、こんなに美しいと感じるのか。”手のかたち“には、ちゃんと理由があったんです」。実際に織ってみることで、その美と合理性をあらためて理解できたという。「織物はその実物にふれてこそ、手ざわりや機能性といった価値を深く理解できます。だからこそ、制作も研究も両立したいと考えました」。自らも制作する研究者として、手織り技術の未来を結びつなごうとする井坂さん。その糸は、学ぶほどに力強くなっていく。

河野 博
洋画コース 17年度卒業
通信制大学院洋画分野19年度修了
京都府在住 90歳

何歳からでも 学べる喜びを

憧れの京都で77歳から芸大生に

「まだまだ、やりたいことがある。自分には可能性がある。そう感じさせてくれた大学生活でした」。描きかけの新作を前に、そう力強く語る河野さんは90歳。孫が大学に進むのを見て、若い頃は諦めるしかなかった芸術の道で、大学への進学を果たそうと、77歳で洋画コースへの入学を決心した。「せっかく夢をかなえるのだから、憧れの京都で、人生初の油絵を学んでみたいと思ったんです」。

学ぶほど深まる喜びと挑戦心

かくしてはじまった、60年ごしの芸大生活。慣れない画材やパソコン、突然はじまった妻の介護など、さまざまな困難を上回る喜びが、そこにあった。「先生の一言一言が、ぐんぐん自分のなかに吸収されていくようで。他の絵画スクールでは得られなかった感覚です」。専攻する油彩はもちろん、他の制作も一般教養も、見ること、聞くこと、学ぶことすべてが新鮮でおもしろい。「いろんな同期の作品を見るたびに、”こういう表現、画材もあるのか“とチャレンジ心がふくらむんです」。

卒業後は大学院に進学して制作

さらなる向上を求め、84歳で卒業すると同時に、大学院進学を果たした河野さん。「師をもライバルとする」作家性の高い学びに刺激され、独自の画材や画風に挑戦。50号を4枚連結した200号の修了作品を完成させた。「在学中、足の痛みで歩けなくなった時期も。けれど、それを乗り越えることで、新たな意欲を得られました」。ひとに感動を与えるような絵が描けたら、どんなにいいだろう。いまの自分にはまだまだでも、挑みながら描きつづけることが何より楽しい。「やりたいことができる。それだけで、本当にいい世の中だと思うから」。微笑みながら「最期まで筆を持って」とキャンバスに向かう河野さん。制作への深い喜びが、その絵に魂を与えている。