
日本画コース
理系の研究職をリタイア後、京都で日本画を学ぶ
理系の研究職に生きながら、「リタイア後は絵を学びたい」という夢を温めてきた岡安さん。距離や費用面から一度は地元の絵画教室を選んだものの、「どうしてもこえられない壁」を感じて本コースへ。「京都で日本画を学ぶ」という念願を果たした。入学してまず感心したのは、テキスト課題に書き込まれた添削の細やかさと的確さ。卒業した今、あらためて当時の添削を見返しつつ、同じ課題を描き直しているという。「たかが3年、されど3年。明らかに〝絵が変わった〞と自分で感じています」。
岡安さんの絵を変えたもの、それは添削だけではない。「さまざまな人が、いろんなやり方で、それぞれの画を描いている」。通信ならでは、大学ならではの多様性が、「日本画はこうあるべき」という枠にとらわれていた岡安さんの目を開かせた。「たとえば、筆の代わりに葉っぱやプチプチ(緩衝材)を使ったり。行き詰まった学友が、岩絵具を洗い落としたら、その跡が思いがけない深みとなったり」。それぞれの制作過程を見るだけで、多くの学びを得られたという。「経験値に関わらず、みなさん個性や熱意がすばらしいです」。
しかし、先生の教えまでが多様なのには、悩まされた。「卒業制作に選んだススキの下図を、ある方は〝暗い〞、別の方は〝これでいい〞と」。先生こそ正しいと思いこむ学生は、何を頼りにすべきかわからなくなる。しかし、それこそが正解。答えは、自分の中にしかない。「暗いと言った先生も、だからダメなのではなく、暗さのなかにも希望がほしいと伝えたかったはず」。そこまで言葉にしないのは、本人に、答えを見つけてほしいから。考えた末に、ススキの足元にふきのとうを描いた卒業制作は、東京の選抜展に選ばれた。「これから新たな構図やモチーフにも挑み、足腰立たなくなるまで描きつづけたい」と笑う岡安さん。その希望が、夜明けを待つススキの穂先に輝いている。
入学以来、旅先でも観光地より「ちょっと裏の風景」を探し歩く習慣が。「以前は外でスケッチするのが気恥ずかしく、近くの草花ばかり描いていましたが、今後はもっといろんな対象をスケッチし、画にしてみたいです」。