卒業生紹介

京都芸術大学を卒業し、
活躍している先輩を紹介します。
卒業生インタビュー

杉原邦生さん

演出家・舞台美術家

いつだって、最高傑作の最新作を。
— 毎日を文化祭にしたくて舞台芸術へ。20年たった今も、次の「最高」をめざして準備をつづける日々。

毎日を文化祭にしたかった。

どうして舞台芸術に興味を持ったんですか?

杉原
高校時代まで演劇部とか何もやってなくて。

まったくの未経験?

杉原
はい。それどころか、授業にも来ない高校生でした(笑)。遅刻するし、自分の興味ないものはやらない。サッカーの授業でボールに3回触らないと出席にしないって先生に言われて。みんながグラウンドの真ん中に立ってる僕にボールをぶつけにきて、「邦生1回触りました!」って先生に報告してくれる、みたいな(笑)。

出席扱いになるように、みんながアシストしてくれてたんですね(笑)。

杉原
みんなに助けてもらって卒業できました(笑)。それぐらい本当に駄目な……駄目っていうか、好き嫌いがはっきりしてたのかな。

そこから舞台芸術の道に進もうと思ったきっかけみたいなものはあったんでしょうか。

杉原
そんな僕だったんですけど、昔から学校行事だけは好きで。文化祭とか、体育祭とか。そのときだけは始発で行くし、誰よりも遅くまで学校に残ってました。

あ、もう最初から最後まで学校に。ちなみに当時の役割って。

杉原
いわゆるリーダー。とにかく前に立って「みんなやるぞ!」って感じでした。合唱コンクールで歌わない男子たちにも「歌うぞ!声出すぞ!」みたいな(笑)。

引っ張る方だったんですね。

杉原
行事王ですね(笑)。で、みんなでひとつの目標に向かって練習するとか、ひとつのものをつくり上げるってことがすごく楽しくて、そういうことができるのってなんだろうって考えたら、舞台だなって。

なるほど。それで舞台を。

杉原
もともと、舞台を観るのは好きだったんです。小学生のときから年に数回くらい、ミュージカルとかバレエとか歌舞伎とか、いろんなものを親と観に行ったりしていたので。で、大学選ぼうってときに……。

これだ、と?

杉原
はい。結びついたんですね。舞台芸術学科なら毎日文化祭ができる!舞台が学べる大学に行くしかない!と思って。だから、ほんとに毎日文化祭をやるつもりで入学しました。

年間100本の舞台を、目に焼きつけた。

入ってみてどうでしたか?

杉原
最初は、ただただ劣等感。

劣等感!

杉原
僕は何も知らない。舞台のことを分かってない。周りのみんなは、高校演劇をやっていたり、僕よりはるかに経験や知識があるし、舞台もたくさん観てきている。でも自分で選んだ道だし、負けず嫌いなんで(笑)。卒業するときにはここ(大学)を1番になって卒業してやるって決めて、何をもって1番と言うかはわかりませんけど、とにかく勉強しました。舞台を年間100本観ようと決めたりとか。

100本!自分に課したわけですね。観るときはどういうところを意識していましたか?

杉原
授業で先生に、自由席でも指定席でもなるべく客席の中央に座れと教わったので、なるべくそういう席を選んで。はじめは舞台美術家を目指していたので、観ながらその舞台の美術を覚えるんです。開演前から美術が見えている公演であればずーっと舞台を観て。

目に焼き付けるわけですね。

杉原
それで、家に帰って観てきた舞台を思い出しながらスケッチをして、その後に感想を書く。今でもそのノートは残ってます。そういうことを、舞台100本を観るたびにやって、自分なりの知識や経験を増やしていくっていう作業をしてましたね。

それをやり続けることで、変わっていったものはありますか?

杉原
照明とか音響とか役者の動きが舞台美術と噛み合っていない作品が気になるようになって、美術家の視点ですべてをデザインできたら、作品がもっと豊かになるのにって思うようになりました。

たくさん観たからこそ不協和音みたいなものを拾えるようになったんですね。

杉原
でも、これ舞台美術家の仕事じゃなくて演出家の仕事だなって気づいて、そこから演出家という仕事に興味を持ち始めました。

関わってよかったと、思ってもらえる公演を。

舞台を観続けるうちに変化があったんですね。演出家を志してからは、どんなことをしていましたか?

杉原
とにかく演出家としての実践が必要だと思って、2年生のときに自分のカンパニーを立ち上げました。

学生ですでにカンパニーを!先を見据えていますね。

杉原
それがプロデュース公演カンパニー「KUNIO」です。

演劇だと「劇団」をつくるっていうイメージがあるんですが、劇団とはどう違うのでしょうか?

杉原
プロデュース公演は、基本的にはその作品に関わる俳優やスタッフをその都度集めて行う公演形態です。だから、新しい作品のたびに人が入れ替わって、創作していくんです。

なるほど。毎回メンバーが違うんですね。「KUNIO」としての活動はどんな風にスタートを?

杉原
最初は学生だったので、周りの話の合う同級生たちを誘って、「こういうことやりたいんだけど」って。声をかけるからには、やっぱりその責任を大事にしてたかな。

責任?

杉原
お客さまが楽しんでいただくことが第一だけど、関わった人たちみんなに関わって良かったって思ってもらえないと僕の負けなんで、そこはプロ意識っていうか、ちゃんと責任を取らなくちゃいけない、という意識でした。

巻き込むからには、その人たちも発展していなきゃいけない。

杉原
そうですね。KUNIO公演に関わったことをきっかけに新しい仕事が入った、気持ちよく仕事ができる、今までにない良い芝居・パフォーマンスやスタッフワークができた、ってなれるようにすることが僕の役目のひとつだと思うから。

お客さんのことだけ考えればいい、というわけではないんですね。

杉原
それはどの作品、どの公演でもそうですね。自分と共に創作することによって、全員が何らかのかたちでステップアップしてほしいんです。そういう場にできるといいですね。

いくつもの出会いが、自分のステージを引き上げてくれた。

大学時代、どんな人が印象に残っていますか?

杉原
僕は大学時代、いろいろなアーティストやスタッフの方々に出会って、そのおかげで今があると思っていて。

いろんな出会いがあったのですね。

杉原
たとえば、当時学科長だった劇作家・演出家の太田省吾さん。初めて演出をつとめた春秋座での自主公演で、演出を褒めていただいたことがあって。同級生が書いたテキストを僕が演出したんですけど、打ち上げでも他の先生方がテキストを褒めてる中、太田さんが「君の演出が良かった」ってボソっとおっしゃってくれて。もうちょっと頑張ってみようと思えました。

それはすごく励みになりますね。

杉原
太田さんからは、舞台芸術に携わるアーティストとしての姿勢を教えてもらいました。稽古場でつくってきたものを舞台上に乗せた時点でその作品は社会化される。不特定多数の人の目に晒される。それはすなわち作品を通して社会とつながるということに他ならない。だから、僕たちは社会に向けて表現を考えていかなくちゃいけない、ということを教わって。だから、今も常にそのことを考えながら仕事しています。

舞台は社会に向けて発するものだと。

杉原
そうですね、社会に開かれているものじゃないと人を動かすことはできないと思うので。

そっか、人を動かすことにもつながっているんですね。

杉原
それから、舞台美術家の島次郎さん。当時、島さんが受け持っていた夏期集中講習で、街の模型をつくるというワークショップがあって。その前段階として、それぞれ自分が思う街の絵を描いてくるという課題があったんですけど、僕はそのとき恐竜にハマっていて、恐竜の街を描いたんですよ。

誰も想像できなかったでしょうね。

杉原
しかもA3の画用紙をちぎったりとかして、結構自由にやって。で、提出したら島さんが「面白い!これ僕にちょうだい。アトリエに飾りたい」って。

学生の課題をアトリエに飾りたい、と。それはもう褒めるを超えているのでは。

杉原
いいですよって渡したら、本当にしばらく飾ってくださってたみたいで。

それはうれしいですね。

杉原
そしてもう一人、春秋座の舞台部にいらっしゃった楢崎英三さんという技術者。親しみを込めて勝手に“ならぽん”なんて呼ばせてもらいながらも、しょっちゅう怒られてたんですけど。

ならぽん(笑)

杉原
ちょうど自分が舞台芸術学科に入った年に春秋座ができたこともあって、初演出作品を上演できたのがこの劇場でした。当時は経験も実績もなかったので、同級生たちと熱量と勢いだけで企画書を書いて、半ば殴り込みのようなかたちで学科に持ち込んで、なんとか公演を支援してもらえるところまで漕ぎ着けることができたんです。

自分から上演のチャンスをつくったんですね。

杉原
でもまだ演劇界的には、どこの馬の骨かもわからないようなただの学生なだったので、当然たくさんの観客を呼べる見込みもなく、客席の一部のブロックのみを使うかたちで公演を行いました。その公演を観て、ならぽんが「邦生、本当にこの劇場を使う必要があるのか? ここを使うなら、客席を満席にできるような作品をつくれ」って。

春秋座といえば、立ち見席を合わせると1000席近くにのぼる大劇場です。そこを満席にするって、すごいことですよね。

杉原
当時の僕にとってはすごく高いハードルでした。その後、演出家として東京を中心に海外などでも仕事をしながら、毎年のように春秋座で凱旋公演をさせてもらえるようになり、その度に、ならぽんが「邦生、また来たか!」「お前がやりたいように準備しといたぞ!」と喜んで迎えてくれました。

春秋座は杉原さんにとって、完全にホームですね!

杉原
数年前の話ですが、そんな凱旋公演の本番を観てくれた後、ならぽんが「邦生、これだけお客さんを集めることができて、しかもお前らしい作品で面白かった、よかったな」と言葉をかけてくれたことがあります。本当に、本当に嬉しかったです。

学生の頃の杉原さんに言った言葉を、ずっと覚えてたんですね、“ならぽん”さん。

杉原
そうやって自分の成長を促してくれたり、活躍を見守ってくれたりする人がこの大学にいて、今もつながりが続いています。

すごく良い話です!

杉原
だから、もし入学したら一つひとつの出会いや経験を本当に大事にしてほしい。それがいつ、どんなかたちでつながっていくか分からないから。

最新作が最高傑作じゃないと続かない。 辛い、終わりがない、でも楽しい。

よければ今後についても何か。

杉原
舞台って大きな企画になると3年前くらいから動き始めるので、3年後くらいまではなんとなく予定が決まってるんですけど。

へぇ、随分先まで。

杉原
もうとにかく一つひとつやるしかないんですよね。本当にそれしかなくて。ただただ確実に面白いものを毎回つくっていく。

決まってるからといって、安泰ではまったくない。

杉原
まったくないです。毎回怖い。ちゃんとできるかなって、毎回自分自身と戦いながらつくってます。最新作が最高傑作じゃないと続いていかないですから。常に周りが期待している以上のものをつくっていかなくちゃいけない。

そのハードル年々上がっていかないですか。

杉原
上がっていくんです。ってことは、自分がそれまでよりもさらに努力していないと超えていけないんですよ。辛い!終わりがない!でも、それが楽しいんですよね。辛い楽しさは永遠に飽きないから。

辛さと楽しさは表裏一体なんですね。

杉原
だからこそ続けられるんだと思います、舞台芸術が日本人にとってメジャーなものになることが僕の一生かけての願いなので、まだまだ走り続けていきますね。

応援しています。貴重なお話をありがとうございました。

 

 

取材・記事|久岡 崇裕(株式会社parks)

卒業年度・学科
2005年
舞台芸術学科 卒業
出身高校
神奈川県立鎌倉高校
プロフィール
主宰するKUNIOでは『グリークス』全編上演、外部ではスーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』、パルコ劇場『藪原検校』、シアターコクーン『パンドラの鐘』など古典から現代劇まで幅広く演出を手掛ける。第36回京都府文化賞奨励賞受賞。

作品

picture

東京芸術祭2023 東京芸術劇場 Presents 木ノ下歌舞伎『勧進帳』

  1. Home
  2. 学生生活・就職
  3. 卒業生紹介
  4. 卒業生紹介(杉原邦生さん)

毎日更新! 公式SNS

公式SNS紹介