卒業生紹介
京都芸術大学を卒業し、活躍している先輩を紹介します。
飯田遥歩さん
株式会社スパイク・チュンソフト ゲームプランナーこの業界を志すきっかけをくれた、一本のゲーム。
憧れだった、この場所で、自分のストーリーを描いていく。
世界観に没入させてくれるゲームに出会えた。
ゲームに興味を持ったのは、いつ頃からですか?
- 飯田
- 歳が少し離れた兄が2人いて、物心ついた頃からゲームは身近にありました。ゲーム機やソフトも揃っていて。
ゲーム環境としては理想的ですね(笑)。
- 飯田
- そうですね(笑)。親もそこまで厳しくなくて、やることをちゃんとやっていればゲーム時間を制限されたりすることもありませんでした。
ゲームを「つくる」ことに関心を持ったのは、どういうところから?
- 飯田
- 対戦型のゲームでは6才、3才と年の離れた兄たちと同じようには遊べないし、次第に一人でできるゲームに没頭するようになりました。特に好きだったのが、中学生の頃に出会った『ダンガンロンパ』というタイトルです。今、私がいる会社スパイク・チュンソフトがつくったゲームです。
すごい。その時の原体験がきっかけで、今この会社で働かれているわけですよね。『ダンガンロンパ』のどんなところに魅力を感じたのですか?
- 飯田
- 一番魅力を感じたのは……奇抜な展開が多くて、一見絶望的なストーリーなのに、それが不思議と辛いものに感じられず、世界観に没入させてくれる感覚がありました。どんな展開も面白おかしく受け入れられるような演出や表現、逆転劇のようなストーリーに強く惹かれました。
世界観に没入させてくれる感覚。
- 飯田
- はい。自分でもそんな感覚を生み出せたらと思うようになりました。もともと自分で何かを考えたり想像したりすることが好きだったので、そこに見ている人が直接関われるような、インタラクティブな体験をつくりたいなと。
キャラクターの内面を考えるのが好きだった。
その気持ちを、なにか表現やアウトプットに落とし込む機会もあったのですか?
- 飯田
- ずっと絵を描いていました。
それは美術部とかではなく、自分で?
- 飯田
- はい。自分の好きなキャラクターを描いたり、オリジナルのキャラクターを考えたり。
どんなキャラクターですか?
- 飯田
- どちらかというと見た目よりも、性格を重視しながら描いていました。このキャラクターは、真面目でひたむきだけど、こういう一面もある、というように。
すごいな。この頃からもう、ストーリーや人物背景など深いところまで見ながらキャラクターを考えていたんですね。そこから京都芸術大学には、どのようにしてたどり着いたんでしょうか?
- 飯田
- 高校で進路を決めるとき、ゲームを学べる学校に進学したいと美術の先生に相談したところ、「専門学校も良いけど、視野を広げて学べる大学も調べてみた方が良い」というアドバイスをもらい、2年生からゲームを学べるキャラクターデザインコースにたどり着きました。
そこからは、迷わずキャラクターデザインコースに?
- 飯田
- はい。迷わなかったです。自分で調べていくうちに、特にこの学科は世界観づくりに強いと感じて。
世界観やストーリーを重視する飯田さんにとって、キャラクターデザインコースとの出会いは必然的なものだったように感じます。
身の回りに起きたことから、企画をつくる。
大学に入ってからは、どんな毎日を過ごしていたのですか?
- 飯田
- キャラクターデザインコースの学びは本当に幅広くて、アニメもゲームも、当時は音楽もあったりして。その中で私はゲームをメインにしながら、グラフィックも一緒に学んでいきました。
ゲームを学ぶって、たとえばどんな授業があるんですか?
- 飯田
- はじめの頃に、身の回りに起きたことから企画をつくるという授業があって、今でも心に残っています。
身近なところから企画を?
- 飯田
- はい。その先生がゲーム会社でプランナーをされていたこともあり、プランナー視点の授業が多くありました。私は入学するまでデザイナーになりたいと考えていたのですが、「ふだんの生活にある、ちょっとしたことを面白いこととして捉える」という先生の言葉から企画づくりが本当に楽しくなって、プランナーをめざすようになりました。
先生の言葉がきっかけで、ゲームプランナーという新しい目標ができたんですね。ちなみに、そのときはどんな企画を?
- 飯田
- えっと……。あんまり面白い企画じゃなかったんですけど。全然やったことないのに乙女ゲームをつくりまして(笑)。
(笑)。身の回りのどんなことを乙女ゲームに?
- 飯田
- 当時、芸能人を騙る迷惑メールが頻繁にきた時期があったのですが、それを読むのがけっこう楽しくて。そこから着想を得て「メールで好感度を上げる」という企画を立てました。大ゴケしたんですけど(笑)。でもそれも良いきっかけになったなと思います。
コロナ禍の脱出ゲーム。制約もポジティブに変換して、企画に活かしていく。
ゼミ活動で体験型の脱出ゲームも制作したそうですね。
- 飯田
- 2年生のとき、それまでコロナ禍で大学に行く機会がなく、オンライン授業がやっと明けるタイミングで活動がスタートしました。
大変な時期でしたね。
- 飯田
- それから、ゼミメンバー全員で脱出ゲームを制作している京都の会社に伺って、実際にゲームを体験させてもらいながらヒントを出すタイミングやゲームの成功率をどう設定するかなどの考え方を学ばせてもらいました。
チームでひとつのゲームをつくる中で、飯田さんはどんな役割を?
- 飯田
- リーダーをしていました。当時は一生懸命にやっていてあまり意識はしていませんでしたが、後で振り返ると、ちゃんとみんなに同じ量の仕事が行き渡るように心がけていたように思います。
一人ひとりにちゃんと役割を。ゼミのメンバーは、同じコースでもそれぞれ得意なことは違う感じですか?
- 飯田
- そうですね。木を使った造形ができる子がいたり、レントゲンを使ったギミックは写真好きな子がアイデアを出してくれたり。
それぞれの得意なことを活かしてつくっていったんですね。リーダーとしてチームをまとめながら、飯田さんとしてはやっぱりプランニングも?
- 飯田
- はい。プランニングをしながら、シナリオも書いていて。
すごいな、一人何役も。企画やシナリオづくりの面では、どんなことを大事にしていましたか?
- 飯田
- 進行の起承転結を大事にしていたので、ストーリーの分岐になるヒント出しのタイミングとか、場面の変化を意識していました。演出にも工夫を散りばめていて、たとえば感染症拡大防止の観点から、密室にしたいけどできなかったり、入室時に消毒をしてもらったり、いろいろな決まり事があったのですが、「プレイヤーに必ずしてもらう手指消毒が実は毒だった」という設定からストーリーが展開したり、コロナ禍という制約も企画に活かして、できることを考えていきました。
制約もポジティブに変換して、ゲームの世界観やシナリオに落とし込んだわけですね。実際に脱出ゲームイベントを開催して、その反響はどうでしたか?
- 飯田
- 学内の人も楽しんでくれましたが、思った以上に学外からもたくさんの方が参加してくださって、メールでご意見をもらったりしました。良いところも、気になった点も両方伝えていただけて。
2年生にして学外の人にもゲームを体験してもらい、そのフィードバックを受け取れるというのは、とてもいい経験ですね。つくり手としての意識にも、何か変化はありましたか?
- 飯田
- 自分たちが「こう思ってほしい」という意図を持ってつくっても、受け取る人によって見ているところも、どう思うのかも違うということが、この経験を通してよく分かりました。
「BitSummit」や「ビビビット展」への出展。自分から、社会との接点をつくりに行く。
飯田さんは学外の活動にも、積極的にチャレンジされていたそうですね。
- 飯田
- はい。3年生のときに、他大学と合同で開催されたゲームジャムに参加して、そこでつくったゲームを「BitSummit」に出展しました。
- 飯田
- 他大学の学生とシャッフルで10人ほどのチームを組んで、実動3日ほどでゲームをつくりました。
今度は他大学の学生とチームに!
- 飯田
- 学校ごとに学んできたことが違うので、一緒にひとつのものをつくる大変さも実感しましたが、「新しい表現に挑戦したい」という想いを軸にチャレンジしました。
他大学の学生とのゲームづくりを通して、自分たちの強みを感じる場面はありましたか?
- 飯田
- やっぱり、ゲームの世界観とか、演出の部分ですね。たとえば、ゲームシステムづくりはプログラム系専門のプランナーが強いのですが、それをどう違和感なくプレイヤーに伝わるように表現するかという点は、キャラクターデザイン学科で学んできた自分たちならではの強みだと感じました。
ゲームの世界観や表現を大事にする飯田さんの想いは、ブレずに一貫していますね。
- 飯田
- もうひとつ、「ビビビット展」のゲーム企画部門にも出展しました。UIデザインの授業を取っていたんですが、そのグラフィックの先生から声をかけていただいて。
ゲームの先生じゃなくて?
- 飯田
- はい。デザイナーをめざす学生が多く参加していて、展示期間には、企業の方が見に来られてプレゼンを行う日もあります。就職活動にも近い、企業との接点をつくるイベントになっていて、だからこそ企業の方の目に留まるために面白くなきゃいけないし、見せ方も工夫しなきゃいけない。そんな企画書づくりでした。
これまで学んできた企画とデザインを、うまく融合させるような。
- 飯田
- このイベントに挑戦したことで、自分が立てた企画をいかに見やすく、印象的に伝えるかということをUIデザインの視点を活かして考えるようになりました。企画とデザインを掛け合わせることで、自分の武器がひとつ確立できたように思います。
自分にきっかけをくれた憧れの場所で、ゲームプランナーとしての一歩を。
就職活動は、どんな風に取り組んだのですか?
- 飯田
- スパイク・チュンソフトがずっと第一志望で、その目標が変わることはありませんでした。
その想いがブレなかった理由は?
- 飯田
- やっぱり、『ダンガンロンパ』に初めて出会ったときの感動が忘れられなくて。「こういうゲームをつくりたい」と、この道を志すきっかけをくれたゲームだったので。
飯田さんにとってのゲームの原点が、ここにあるんですね。大学で4年間学んだことで、改めてこのゲームの良さを感じるところはありますか?
- 飯田
- ありますね。キャラクターデザインコースのゲームゼミに入って、まわりのメンバーもみんなゲーム好きなのでいろいろな話をしてきました。その中でも、誰かと一緒に遊ぶパーティーゲームなどが、つくりたいゲームとしても人気だったのですが、それでもやっぱり「私はひとりで没頭できるゲームがやりたい」と、改めて確信を持てました。
没頭できる感覚を生み出すためにも、世界観やキャラクターの深みが大事になってくると考えると、飯田さん自身が子どもの頃から感じてきたこと、大学で学んできたことが、全部ストーリーとしてつながっている感じがします。
- 飯田
- 振り返ってみたら、そうですね。
ひとつの目標をずっと持ち続けて、憧れていた会社から内定の連絡がきた瞬間というのは、どんな気持ちでしたか?
- 飯田
- すごくうれしかったです。企画とデザイン、これまでのすべてを注いだポートフォリオを携えて選考に臨んだので、それが報われたという気持ちになりました。
最高ですね。入社して1年目、今はどんなことをされていますか?
- 飯田
- 新入社員のみんなでゲームを開発するプロジェクトがあり、そのメインプランナーを務めています。
1年目からもうプランニングを!まさにやりたかったことができている環境ですね。
- 飯田
- ゲームとして面白いかどうかはもちろん、実際に会社として世に出せるかどうかの判断しながらゲームをつくるので、学生のときとはまた違った責任がありますね。
実際に製品として世に出るわけですからね。その中で、大学で得た強みが活かせると思うところは?
- 飯田
- 資料づくりの部分で、自分のアイデアやこうしたいという方針を伝えるときに、それがより伝わりやすくなるように図を描いたり資料をデザインしたりして、コミュニケーションが円滑になることを心がけています。
飯田さんのこれからの目標を教えていただけますか?
- 飯田
- 自分が一から考えた企画を世に出すことをめざしたいです。そして、自分が世に出したものに対して、人がどう思うのか、どう感じるのかを知りたいので、いろいろな意見が生まれるようなゲームをつくりたいです。
意見がひとつじゃなくていいというのが、素敵ですね。さいごに、これから大学に入学されるみなさんに向けて、ひと言メッセージをお願いします。
- 飯田
- キャラクターデザインコースの一番の魅力は、幅広い分野を学べて、各分野に専門の先生がいてくれることだと思います。私ももともとデザイナーを志望していて大学でゲームプランナーという新しい目標に出会えたように、今すでにめざす分野を決めていたとしても、知見を広げるという意味でも、いろいろチャレンジしてみてほしいですね。
キャラクターデザインコースという環境をフルに活かして今ここにいる飯田さんならではのメッセージですね。これからのご活躍が楽しみです。貴重なお話をありがとうございました!
取材・記事|久岡 崇裕(株式会社parks)
- 卒業年度・学科
- 2023年
キャラクターデザイン学科 卒業
- 出身高校
- 東京都立足立西高校
- プロフィール
- 『ダンガンロンパ』というゲームタイトルがきっかけで、企画・開発を手がけたスパイク・チュンソフトに憧れ、就職も同社だけを目標に準備を重ねる。念願だった入社が叶い、新入社員の開発プロジェクトや人気シリーズの新タイトルに携わる。
作品