対談企画 片岡真実×サスキア・ボス

アーティストに必要なグローバルな視点とは

片岡 真実|Mami Kataoka

大学院 グローバル・ゼミ ディレクター

京都造形芸術大学大学院芸術研究科教授。森美術館チーフ・キュレーター、第21回シドニー・ビエンナーレ芸術監督(2016~2018年)。国際美術館会議(CIMAM)理事(2014年~)。日本およびアジアの現代美術を中心に企画、執筆、講演等多数。

サスキア・ボス|Saskia Bos

キュレーター、エデュケーター、美術史家

アムステルダムのキュレとリアル・プログラム[デ・アペル]の創設者兼キュレーター、ニューヨークのクーバー・ユニオン大学芸術学部長などを30年以上にわたって歴任。その間に第2回ベルリン・ビエンナーレ(2001年)、第53回ヴェネツィア・ビエンナーレオランダ館(2009年)などキュレーションも多数。

アーティストが世界で評価され続けるためには何が必要なのか。
世界から見た日本の芸術教育とは。
世界で活躍するアーティストを育成するプログラム「グローバル・ゼミ」を立ち上げた本学教授片岡真実と、2018年度特別講師を務めるサスキア・ボス氏、両キュレーターによる対談が実現。

片岡 > 京都にまず、1週間滞在されましたが、日本は初めてではないですよね。どのような変化が見られますか。また、現代アートに関して言うと、過去数十年間で何が変わったと思いますか。

サスキア・ボス  > 1996年に初めて日本を訪れ、京都、東京、そして九州を巡りました。私が理解していたものとは全然違い、視覚的にも非常に美しく、繊細で、整然としていて、秩序があり、日本人の在り方にとても感動したのを覚えています。この間、金融やデジタル情報の世界と同様に、芸術の世界の変化も加速し、非常に忙しい場所になってきました。以前はパリやニューヨーク、東京に限られていたアートシーンが、今では中東、東南アジア、アフリカなどどこにでもあります。アートフェアやギャラリーも世界中にあり、アーティストや美術館の数も激増しています。昔とは大違いです。今年はアジアだけで5つのビエンナーレが開催されますよね。以前はビエンナーレといえばヴェネツィアとサンパウロでしたが、今では至る所で年中行われています。これは若いアーティストには大きなストレスであり、混乱してしまうでしょう。自分の道を見つけるのは困難なことです。大学は、世界、芸術の世界、自分の芸術の世界という3つの異なる世界への対応の仕方を学ぶための大切な場だと思います。

片岡 > 京都には芸術を学べる大学が少なくとも5校ありますが、これは街の特殊性に関わりがあるかもしれません。日本人から見ても、京都では寺社仏閣といった建造物などの伝統文化、庭園、食文化などが大変豊かです。京都で芸術を学ぶ意義についてどうお考えですか。

サスキア・ボス  > 京都で工芸や造園、建築など様々な種類の技術が継承されていることは大切なことです。建築技術は更新されていきますが、アーティストの芸術的な技術にも、何か違うもの、新しいものをつくることが求められます。いま学生たちと、新しさと伝統のバランスについて話し合っていますが、これも重要なことです。東京で芸術を学ぶ場合、より世界を感じ、京都では、より日本を感じるということでしょうか。

片岡 > 学生時代の経験で、今でも役立っていることはありますか。言い換えれば、彼らの年齢で何を学んでおくべきだとお考えでしょうか。

サスキア・ボス  > 私の母は画家でしたし、父は私たちを美術館や教会によく連れて行ってくれました。すでにかなりの視覚的訓練を受けていたので、美大には行かず、法律を学びましたが飽きてしまい、結局美術史を学びました。ただ、美術史は作品制作については学びません。イタリアでは、作品をつくり、考え、研究し、書くことで初めて芸術を学ぶことができると考えます。頭と手が一緒に働くように、その両方を行う必要があります。しかし、作品をつくるのは美大で、美術史を学ぶのはアカデミー、という国もあります。アーティストは本から歴史を学べますが、アカデミーで学ぶ美術史は、写真からしか学べない可能性もあります。美術館などで実物の作品を見なければなりません。多くの美術館や博物館がある京都はその意味でも素晴らしいです。美術史を学ぶには、コンセプトの理解が必要です。このコンセプトとは、現在ではなく当時のコンセプトですが、これは美術史で最も難しい点です。つまり、当時の人々がどのように考えていたのか、我々はそれをどのように再現できるかを理解することです。

片岡 > 学生は京都にいる間、海外に行くのであれば知っておくべき固有の空間を体験することができます。例えば、ブルーノ・タウトが彼の視点から日本の文化について語った桂離宮などです。

サスキア・ボス  > 学生に旅は重要です。そして議論を深め、英語を上達させることも重要な課題です。私たちは視覚芸術について話していますが、アーティストにとっての対話は、単なる視覚的情報の交換以上のものであり、別の言語が必要となります。いまの学生には2つの問題があります。ひとつは英語の問題で、対話にも旅に使える言語としても英語はとても実用的です。もうひとつ不足しているのは自信です。これは英語の問題にも通じていて、言葉を話せなければ、さらに自信を喪失するからです。私は授業でプレゼンテーションの訓練をしていて、学生は自分自身の作品について話さなければなりません。そこに、失敗はありません。失敗とは、成功を前提にした概念で、リアルなものです。失敗を経験しても、人生は続いていくのを知ることが重要なのです。

片岡 > 学生のうちに失敗を経験することは重要ですよね。助言してくれる教師がいるうちに。英語については、学ぶべきだと思っても、日本にいるとその必要に迫られないのです。あなたのような人が訪れて初めて、英語を話さなければならなくなります。グローバル・ゼミでは、学生が考え、話し、議論することを避けられない状況をつくっていますが、3つ目の問題は、論理的思考かもしれませんね。自分の感情や抽象的思考を言語化していく能力です。

サスキア・ボス  > 様々なアーティストの理論について学ぶ必要がある一方で、私がディレクターを務めたアートセンターでは、情報過多という別の問題を抱える学生や大学卒の若手キュレーターがたくさんいました。 展覧会の観客の多くは知的ですが、必要以上の情報を持っていません。キュレーターは物事を曖昧にしたり疑似哲学的にしたりすることなく、分かりやすく明確に説明する必要がありますが、キュレトリアルな文章には疑似哲学的なものも多く、決して優れた文献とも言えません。

片岡 > 大多数の観客を前にせざるを得なくなると、自身の思考を分解し、平易な言葉に置き換えることを求められます。このプロセスはとても興味深いと思っていて、自分の考えを哲学的なレベルまで高め、それを身近なところまで戻すという学習プロセスです。

サスキア・ボス > そうすることで、自分の中での考えも明確になりますよね。もうひとつの方法は翻訳です。例えば、私がオランダ語で書いた文章を英訳する場合、翻訳者が優秀であれば、より理路整然とし、純粋になります。文章がより高いレベルに到達するのです。

片岡  > 情報過多とも言える若い世代について言えば、彼らはインターネットで何でも調べることができます。それでも、どうすれば成功できるのか、どうすれば認められるのかを聞かれることがありますね。

サスキア・ボス > 選択肢はたくさんあります。学生は、選択することを学ぶこと、自信がなくてもその選択を貫くことです。自分の選択にこだわり、勇気を持って、さらに研究を深め、友人との対話を通して再確認したり、プレゼンをしたり、お互いの作品について理解を深めたりすることで自分たちのコミュニティーができていくのです。もうひとつ、1対1で対話をする状況をつくることで、授業という考え方を無くそうとしています。授業以外の場所で、踏み込んだやり取りが必要です。1対1であれば学生はよりリラックスした中で議論をし、間違うこともできます。また自分の好きな場所や作品についての考えを広範囲の文脈から説明してもらえるので、学生に対する私自身の理解も深まるのです。アメリカでは展示された学生の作品に対して、講評をするクリットと呼ばれる授業があります。そこでは教授だけでなく学生も他の学生に対して質問をしなければなりません。質問をすることで、作品をいかに深く理解していくかを考えます。地球を掘り下げていくような感じです。掘り下げるにしたがって対話も深まり、文脈が創出されます。なぜその作品がつくられたのか、なぜその選択がなされたのかなどを理解します。そう、すべては選択なのです。

片岡 > 教育者として一番大切なことは何ですか。また、学生に伝えたいメッセージがあれば教えてください。

サスキア・ボス > アーティスト、特に若手は、自分と周囲の世界とのバランスを保つ必要があります。芸術や周囲の世界を気にしすぎると自分を見失いますが、自分に焦点を合わせすぎると、最終的には殻にこもってしまい世界との関わりを失ってしまいます。私はアーティストの立ち位置という概念を強く信じています。立ち位置とは、自分の視点、芸術の世界や世界一般についての自分の意見をもつことです。印象派になるか、写実派になるかといったことが、19世紀から20世紀初頭の選択肢でした。キュービズムや未来派などもそうです。しかし現在はこれらすべてが同時に存在しています。時間の概念が崩壊したように全てが存在し、地理的な距離も歴史も関係ありません。ただし、あなたが選べる立ち位置はひとつです。彫刻分野のアーティストであれば、ブランクーシが好きだけれど、それに浸るだけにはなりたくない。彼の重力に関するコンセプトは理解するけれど、それを何か現代的なものにしたい。何か別のことをしたいから、映画か詩か、あるいは空気中に漂うものか、何か非物質的なものか、といったように考えるのです。このように、まずアーティストとしての自分の立ち位置を明確にしなければなりません。成功するか、認められるかはその後の問題です。あなたが自分だけの道を興味深く追求しているところを、人々は信じてくれるのです。そのための教科書はないのです。大学で学び、研究することはできますが、卒業後は卒業証書があるだけで、何かを達成したアーティストになったわけではありません。毎日が何かのはじまりで、毎日がその繰り返しです。

片岡 > 旅を続ける、学び続ける、ということですね。

サスキア・ボス > 意見交換を続けること。接点を保ち、対話を続けることです。

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